第22話


 脳みそが消化不良を起こしている。いや、何を言っているのか分からないと思うが俺にも何がなんだか分からん。あれからたった一晩しか経過していないということが信じられず、貫徹した両目に朝日が痛いほど染みた。

 それでも男子高校生の習性で、いつか来るやけっぱちという名の特大自主休暇のために足は学校へと向かう。いつか、いつかやってみせるぜ、俺だけのゴールデンウィークをな……!!


「おお、後藤。生きていたか」


 誰だこいつ。俺は首を傾げた。ぼんやりとした意識の霧がわずかに晴れてそいつの名前を思い出した。


「茂田どの」

「どうした? なぜ忠誠に目覚めた?」

「思い出すのもいまいましい」


 拙者は首を振った。


「あれがたった一晩の出来事だったとは到底思えぬ」

「だろうな。性格壊れちゃってるし。いったい紺碧さんに何をされたんだよ」

「詩文を朗読されたのでござる」

「内容は」

「時は幕末、魔界に堕ちた鬼の副長、土方歳三とそれをサポートする恋人・紅葉沢火穂」

「夢小説かよ!!」


 俺は頭を振って正気をいくらか取り戻した。夢小説というのは自分を空想の中へと放り込んでしまった、現実への反逆声明のことである。


「鳥羽伏見の戦いのあと、五稜郭に開いたデスティニー・ゲートから堕ちた土方と紺碧さんは一振りで確実に相手を殺せる魔剣を手にとって悪魔や堕天使をゴミのように切り飛ばしていくんだ」

「日本史の志波が聞いたら読んでくれそうだな」


 あの人が読んだら赤ペンで採点までしてくれると思う。

 俺はこめかみをもんだ。


「大学ノート三冊分と覚悟しているうちはまだよかった。家に帰ったら机の上に古紙回収に出す気なのかってくらい別のノートが束で積んであった」

「それ全部読まれたの?」

「うん」

「休憩は?」

「ない。一回吐いてぶっ倒れた。生まれて初めて気絶したよ」

「マジか」

「それでさ、起きたらさ、腕に注射針が刺してあってさ、見たらブドウ糖を点滴されているところだった」

「通報しろよ……」


 国家権力がこの町の女子に勝てるなら俺だってそうしたかったよ。


「とにかく、ひどい目に遭ったぜ……もうしばらくジャンプも読みたくねえ」


 朝が来て、読み切った疲れが出たのか、紺碧さんがベッドに倒れ伏しスヤスヤと眠り始めてくれなければ、俺は今でもやつの毒牙に引っかかったままだったかもしれない。そう思うと今お日様の下にいられることが砂漠で味わう水のようにみずみずしい。


「でもよ、本当に何もなかったの?」

「おまえ実際あの状況で『うわあ、俺の中の野性が目覚めちゃうよお~』とか言えねーよマジで。普通に気まずいわ」

「えー、つまんねえなあ。だから草食系とか言われるんだよ」

「はあ? 法律と道徳を守っててなんでけなされんの? 馬鹿か」


 本気で不機嫌入った俺に茂田が逆に申し訳なさそう。なんかごめん。

 俺は深々とため息をついた。いろいろ疲れた。


「男と女の関係なんてエロマンガ島にしかない幻想だな」

「エロマンガ島ってなくなったんじゃなかったっけ?」

「え、嘘?」

「いや、わかんねーけど」

「未確認情報かよ。ググれよ。指先ひとつでウィキペディアさんがなんでも教えてくれるわ」

「でもググったら負けかなみたいな気もするじゃん」

「わかる。わかるけど」


 などと、川原で爆発騒ぎを目撃した翌日とも思えない会話をしていると、背後から何か物言いたげなため息が聞こえてきた。


「貴様らはつくづく生産的なことしないな」

「あっ、紫電ちゃん!」

「お勤めご苦労様ッス」

「お勤め?」


 学ランを着た金髪美少女という、そのままアキバへ持っていけばどこかしらが買い取ってくれそうな1/1スケールの紫電ちゃんを俺たちはにやにや眺めた。


「気持ち悪いぞ貴様ら」紫電ちゃんは心底いやそうである。

「うぇへへ、今日も学ラン似合ってるよ紫電ちゃん」

「ぐひひぃ、今日は何色のパンツをはいているんだい?」


 紫電ちゃんはぐしゃぐしゃっと前髪をかき回し、とんでもないことを口走った。


「はいているわけがなかろう!」

「っっっ!!!」


 なんたること。

 俺と茂田は赤面してしまい、まともに紫電ちゃんの顔が見られなかった。そうか……はいてないのか……きっと何か事情があるんだな……いまちょっと思いつかないけど……。

 紫電ちゃんは自販機の釣り銭口を漁る天ヶ峰を見るような目になった。


「馬鹿が。はいてないわけがなかろう」


 なっ……


「なんで、そんなひどい嘘つくんだよ!!」

「言っていい嘘と悪い嘘があるよ紫電ちゃん!!」

「そんなにか? 早朝早々とセクハラされた私の気分は無視か?」

「はいてねー宣言の方がよっぽどセクハラだよ」

「あんたのくだらないハッタリのおかげで俺たちの心臓はオシャカスレスレだよ」

「なぜ私の下着の有無でそんなにも大事になるんだ……一度保健室にいくか?」


 頭を心配しての発言なのか、拳で送り込むつもりなのかによって返答が変わるっての。えーと選択肢選択肢。


「あれ、茂田くん。画面に選択肢が表示されないよ? 壊れてるのかなーこれ」


 ガンガン石塀に頭を打ちつけ始めた俺を茂田が後ろから羽交い絞めにした。


「もうよせ!! もういいんだ、もう苦しまなくていいんだ!!」

「はいはい面白い面白い」


 紫電ちゃんがそれこそ徹夜明けじみた気のない顔で言った。


「だから頭をぶつけるのはヤメロ。近所迷惑だ」


 はーい。

 俺たちは何事もなかったかのようにわき腹を小突きあった。へへっ、茂田、おまえは本当にいいショートコント要員だぜ。


「朝からその元気さだけは評価してやる」と紫電ちゃんが言った。

「おまえらもなにか生き甲斐でも見つければひとかどの男になれたかもしれないのにな」

「そういうテンション下がること言うのやめてもらえます?」

「ふん」


 紫電ちゃんは先端まで真っ白い鼻を俺たちからぷいっと背ける。何を言われてもいいや。かわいいからなんでも許しちゃう。


「そんなことはいいんだ。まったくおまえらは人の話を本当に聞かないな。後藤、おまえに話しておきたいことがあるんだ。聞け」

「ほほう」


 俺は腕を組んだ。


「聞こう」

「くっ……腹立つ顔しやがって……まあいい。後藤、BITEという組織を覚えているか」

「闇の国家権力、ブラック・アイアン・テリブル・エクストラ……略してBITEだろ。覚えているとも」


 ちなみに略称はブラックからエクストラまで清々しいほど全部パチだ。正式名称なんか俺も知らん。そして紫電ちゃんが心底イライラしてきたみたいなので俺は唇に指を当てて茂田に「しいっ」とやってみせた。


「俺かよ。俺ではないわ。ふざけているのは基本的におまえだわ後藤」

「…………」

「こーらっ、茂田くん、そんな生意気言ってると先生怒っちゃうよ?」

「…………」

「なんで女教師だよ。誰だよ」

「…………」

「もお、いつも授業中に寺本さんのうなじばかり見て。先生知ってるんだからね?」

「地味に実話を混ぜてくるのはよせ!! ……あっ」

「ふふ、反抗的な態度。先生怒っちゃったあ。茂田くんにはたーっぷり特別授業が必要みたいね……って痛い痛い。わき腹を小突くな。なんだよ」


 茂田は死んだ子ダヌキを見るような目で俺の背後を指差していた。俺は振り向いていた。


「ひっ……ぐっ……うっ……ぐす」


 紫電ちゃんが泣いてた。

 あ。

 やべ。

 そうだった。

 紫電ちゃんはいつもクールなフリをしているだけで、その実、無視されたり言うことをちゃんと聞いてもらえなかったりするとぽろぽろ泣いちゃう子なのだった。やっべー忘れてた。こんなことが天ヶ峰にバレたらぶっ殺される。どうしよう。いや今はそれどころではない。紫電ちゃんは今泣いているんだ!!


「ごめん紫電ちゃん。ちゃんと聞くよ」


 感情が激しても殴ってこない彼女にはその資格がある。


「悪かった。ごめん。この通り。だから泣きやんでくれ。こんなとこを女子に見られたら俺は焼却炉で燃やされてしまう」

「うっ……いつもいつも……ふざけてばっかりっ……」


 冷や汗もんである。確かにちょっとくどかったかもしれない。マジで気をつけようと思った。


「マジで気をつけるよ。ごめん。ちゃんと聞くから。バイトがなんだって?」

「BITE……」


 ほんのわずかなイントネーションのギャグさえ許してもらえない世界線に突入してしまったようだ。


「そう、そうやな、BITEやな。それでBITEがどないしたん?」

「後藤、この期に及んで関西弁に頼るのはどうかと思うぞ」


 うるせえ茂田黙ってろ。わかってんのか? なんとかこの一件を悪い冗談にしなければ俺も貴様も終わりなのだぞ。

 紫電ちゃんはだいぶ長い間、えずいていたが俺がティッシュを与えると、三回チーンをして、やっと人心地ついたようだった。あぶねー。よかった。ほんとよかった。


「大丈夫か?」


 俺が聞くと紫電ちゃんは真っ赤に染まった目元をごしごしと学ランの袖で拭った。


「……以後、気をつけるように」


 当たり前である。ほんとごめんな紫電ちゃん。


「で、話って?」

「ああ……」


 泣き疲れてどうでもよくなったのか、紫電ちゃんの声には覇気がなかった。


「あの組織、私が昨夜壊滅させたから」

「そうかそうか……そうか!?」

「落ち着け後藤、聞き返せてないぞ」


 俺はぱんぱんと頬を叩いた。


「マジかよ紫電ちゃん。そういうのはちゃんと俺が見てるところでやってくれないと」

「連絡したけど出なかったじゃないか」


 連絡? ああ、なるほど。夜は紺碧さんに携帯を奪われていたので出れなかったのだ。というと俺が紺碧さんに目を開いたまま悪夢を展開されている時、紫電ちゃんは超能力者を擁する国家権力とひとり戦っていたのか。強すぎだろ。


「よく一人で勝てたな。怪我とかしなかったか?」

「ああ、私は大丈夫。佐倉や男鹿にも手伝ってもらったからな」


 佐倉? 男鹿? 誰だ……と俺はちょっと虚空を見上げて思い出した。沢村目当てに接触を試みてきたBITEの構成員たちだ。連中を校内で発見し次第、紫電ちゃんがぶちのめして地下牢に監禁した後に説得(パンチング)しているという噂は新聞部のやつらに聞いていたが、味方に引き込んでいたとは。男鹿というのは聞き覚えがなかったが、ひょっとすると紫電ちゃんはすでにBITEのほとんどのメンバーを取り込んでしまったのかもしれない。お台場から奥多摩までぐらいなら指先ひとつで制圧できちゃうんじゃないのこの子。


「じゃあ、もう沢村のところには異能者はやってこないんだな」

「ああ。少なくとも実力行使してくる急進分子だったBITEがなくなった以上、最低でも一度本部で再攻撃隊を編成し直さなければならないのは確実だ。また来るにしてもこれで終わったにしても、時間稼ぎはできたと思う」

「そうか。よかったよ。まあ、沢村一人のために五人も六人も異能者を失ってたんじゃ本末転倒だからな」

「うん……」


 紫電ちゃんは何かうるうるした目で俺を見てくる。


「どした?」

「……いつもそんな感じで喋ってくれると、助かる……」

「お、おう……」


 今は相当気を遣って喋っているからハイパーイケメンモードなのは自分でもわかっているが、なんていうか、普段の俺ってどんだけうざいの? 死にたくなってきた。死ーのぉっと。エヴァ新劇を見終わり次第死にまーす。


「後藤しっかりしろ」観客になっていた茂田が舞台に戻ってきた。

「悲しそうな顔をしているぞ」

「悲しいからだよッ!!」


 この馬鹿が。見たまんまを言えばいいと思ってやがるな! そうはいかんざきだよマジで。笑いなめんな。


「じゃあ、私は先にいく」


 まだちょっと目尻がぽっと風邪でも引いたみたいに赤くなっている紫電ちゃんが言った。


「生徒会の仕事もあるし」

「そうか。わかった。沢村関連でまたなんかわかったら教えてくれ……っと、忘れてた。BITEのアジトに犬飼さんって人いなかった? メガネの年増なんだけど」

「メガネ……? どうかな……すまん、覚えてない。向かってくるものは全滅させたつもりだが、逃げたやつがいなかったとは言い切れない。見かけなかったが……」

「ふむ……わかった。ま、大した人じゃないから気にしないでくれ」

「ああ」


 紫電ちゃんは「急ぐ」と言って、アスファルトを踏み砕いて猛ダッシュ、俺たちの視界から消えた。俺はその場にしゃがみこみ、砕けた道路の状態を確かめたあと、携帯電話で区役所に電話して破損した道路があることを告げた。ピッと通話を切り、ため息。


「いいことしたぜ」

「ああ、市民の義務だからな。女子の不始末をなんとかするのは……」


 俺と茂田は顔を見合わせ、力なく笑いあった。


 その時の俺は、またうちの女子が無茶をしたなあ、ぐらいに思ってヘラヘラしている余裕があった。沢村が手から火を出そうが出すまいが、俺たちの日常は国家権力にだって揺るがすことはできないし、それは今後も変わりっこない。

 そう思っていた。



『登場人物紹介』

 後藤…猛省

 茂田…ふでばこを忘れたことに気づく

 紫電ちゃん…多感な年頃

 天ヶ峰…自販機の釣り銭口はあさらずにはいられない

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