沢村、手から火ぃ出したってよ
顎男
第1話
授業中、ふと隣を見たら沢村のやつが手から炎を出していた。
俺は何事かと思って目を瞬いたが、どうもマジックの類ではないらしい。
「…………」
誰がびっくりしていたかって沢村がびっくりしていた。ごくっと生唾を飲み込んであたりをきょろきょろしてきたのであわてて俺は顔を伏せた。
どうやら誰も見ていなかったらしい。沢村が安堵のため息をついているのが聞こえた。
そこでやめておけばいいのに沢村は机の下に両手をおろして、ぼおおおと炎を燃やし始めた。誰か音に気づいてもよさそうだが昼飯をたらふく食った後の五限に起きてるやつなどいないし、沢村の前の席にはヤンキーの田中くんが寝ているのであんまりみんなそっちを見ようとはしない。
それにしてもいくら窓際一番うしろの席には魔物が宿るといっても手から炎を出すやつがあるか?
俺は「むにゃ……すみません……ペンギンのギンってなんですか……?」とありそうでなさそうな寝言を言うふりをしつつ、組んだ腕の隙間から沢村の様子をうかがい続けた。
炎は沢村の手をなめていたが、熱くはないらしい。本人にはダメージはないんだというご都合主義のあれか。
なんていうんだっけ、手から炎を出す能力。パイロキネシス?
とりあえずあの炎と沢村の能力を総じて「沢村キネシス」と呼ぶことにする。
いまは炎をちろちろさせているだけだがそのうちに別の能力にも目覚めるかもしれない。甲冑を着た美少女っぽいヴィジョンを出したりとか。そんなことができた日には俺は人間をやめるかもしれない。沢村も人間をやめる瀬戸際なのかもしんない。
最初、沢村は「おれって実はすごかったんだな……」みたいな顔で炎を眺めていたが、だんだんこの怪現象が恐ろしくなってきたらしい。ぱったり炎を出すのをやめてしまった。
沢村は中空を眺めている。
そしてまたちらっと机の下を見やり、ぽっと炎を出してみせた。あわてて消す。またつける。どうやら何度か繰り返しているうちに炎が出なくなってこの一件を真昼の中の夢にしようとしているらしい。現実から目を背けるのはよくない。
俺は首をめぐらせて周囲を探索した。俺以外に沢村の異常事態に気づいているやつがいないかと改めて思ったのだ。
すると一人見つけた。いつも俺と昼飯を食う仲の茂田だ。
茂田は頬杖をついて大空を遠い眼で見上げているような格好をしているが、汗だくになっていた。明らかに沢村キネシスに気づいている。呼吸も荒くなっていて、隣の席の寺島さんが「なんだこいつ気持ち悪い早く死ねばいいのに」みたいな目で茂田を見ている。かわいそうな茂田。クラスで唯一の黒髪ロングでバドミントン部の寺島さんに嫌われるなんて。もう茂田の未来には寺島さんと仲良くミントンに勤しむ可能性はないのだ。
その寺島さんは憎悪の目つきで茂田を見ているだけで沢村キネシスには気づいていないらしい。まだ少し高めだが、西日が逆光になって沢村キネシスが見えにくいのかもしれない。沢村がもっと虹色の炎とか出してくれれば寺島さんのかわいらしい悲鳴が聞けたかもしれないと思うと沢村の役立たずさにムカっ腹が立ってきた。
こうなったら八つ当たりの一手である。そもそも沢村キネシスのせいかどうか知らないが俺の周囲の温度が上がってきた。暑い。なんで五月の末にこんな暑い思いせにゃならんのだ。
俺はくんくんと鼻を鳴らせて、呟いた。
「なんか焦げ臭くね……?」
それでハッとみんなが夢から覚めた。確かに炎の爆ぜる音やら匂いやらを感じる。
沢村の顔は見えなかったが相当驚いたらしい。びくうっ!! と肩が震えるのが視界の端に映った。ざまを見るがいい、沢村よ、このままアメリカのラボに飛ばされて人体実験を受けるのが貴様の運命なのだ。それに授業中に時々炎を出されると落ち着かないし。
みんなが一斉に沢村の方を見た。炎はとっくに消していたが、それでも「わたしが犯人です」という顔色を浮かべていれば追求は免れまい。ははは。
ところが俺の想像とは裏腹に、みんな首をかしげながらまた前へ向き直ったり、机に突っ伏して眠り始めてしまった。なんだどうした。
俺は沢村の方を見た。
沢村は不機嫌そうな眼で前の席、この期に及んでまだ眠っている田中くんの背中を見ていた。
俺は戦慄した。
こ、こいつ田中くんのせいにしやがった……!
なんだ沢村その「困ったなこいつ」みたいな顔は。下手人のくせによくもまァそんな人を責める目つきができたもんだなと俺は歯軋りした。かわいそうな田中くん、ヤンキーなのは姉貴で弟の彼はただ髪が金髪なだけなのに。それも姉貴とその友達に羽交い絞めにされた末の脱色なのに。
沢村の横顔に、俺は人間の業の深さを思い知ったのだった。
六限から、田中くんの肩書きに「ヤンキー」と「パツキン」に加えて「焦げ臭い屁をこく」という不名誉極まりない一文が増えてしまった。高校二年生の夏を前にしてこの失点は即死に近い。
「火力発電所田中、か……」
やかましいわ茂田。
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