もしも空から巨人の足が降って来ても
@rokunanaroku
第1話 猫被りの転校生
出来れば、誰とも関わらずに生きていたい。
誰の目にも触れず、誰にも干渉されず、静かに生き て、静かに死にたい。
いつからか、僕はそんな風に思っていた。
別に、友達や恋人に裏切られたとか、大切な人を失ったとか、そんなドラマチックな過去がある訳じゃないけれど。
教室内の喧騒を聞き流しつつ、僕は窓の外に目をやった。
梅に雨と書く季節に相応しく、大粒の雨が今朝からずっと降り続いている。
「え……」
降りしきる雨の中にあるものを見つけ、僕は頰をかこうとした手を止めた。
いや、見間違いかも知れないけれど。
雨粒に紛れて、光る何かが落ちてきたような……。
途端、騒がしかった教室が静かになったのに気づいた。
教卓に目をやると、そこにはここの担任の女教師がいる。
「突然ですが、今日から転校生がやって来まーす。入っていいわよー」
突然の報告にざわつき始めるクラス。
リスみたいな小さい動作でドアを開け、転校生は黒板の前に立った。
「えと、
クラスメイトに名前しか情報を与えていない。転校生の自己紹介としては、落第点だろう。
雨が降ったり止んだりする今の空模様みたいに、クラス内には微妙な雰囲気が広がった。
男子達の多くはだらしなく頰を緩ませていたが。
それから一週間が経ち梅雨が明けた頃には、転校生はクラスの中に溶け込んでいた。
まあ、僕と同様陰の存在として闇に溶けているのだが。
身体能力は並、学力は平均の少し上くらい。艶のある肩くらいまでの茶髪や、穏やかな表情は魅力的だと思うのだが、クラスの男子や女子が遊びに誘ったところで、
「え、えと。今日は用事があるので、ごめんなさい」
と断ったのが計八回ほど。
いくらルックスが良かったとしても、それでは友達が出来ないのは当然だろう。
ルックスも良くない奴が言えたことではないけれど。
まあ、そういう訳で僕は特にその転校生のことを気にしていなかった。
名前さえ覚えているか怪しかったほどだ。
だけどそれは、下校時に下駄箱に入れられた紙切れを見つけるまでだった。
錆びたドアノブに手を掛けたところで、僕は一度思い留まった。
ここは、屋上の扉の前。屋上は、先程見つけた白い紙に指定されていた場所だ。
「屋上に来て 花添」
シャーペンでその七文字が記されていただけだった。
わざわざここまで来てしまった理由は、明確にはわからない。
自分と似た雰囲気の彼女が気になったのかもしれない。
でも、やっぱり引き返そうかな。
握った手を離そうとした瞬間、僕はバランスを崩した。
扉が、突然向こう側に開けられたのだ。
身体が、前に倒れこんでいく。
僕は反射的に目を瞑り、手をコンクリートについた。
照りつける太陽のせいか、コンクリートはものすごく熱い。
そう思い、目を開けたところで僕は固まった。
僕は、僕を呼び出した花添に覆い被さっていた。
「離れてくれない?」
抑揚のない声。
「あぁ、悪い」
僕は逃げるように起き上がった。花添も立ち上がり、パンパンと制服を払い始める。僕が触れた肩を重点的に払っているのは気のせいだろうか。
「なあ」
「何?」
鋭い視線。
「花添が僕を呼んだんだよな」
「うん、残念ながらね。それじゃあ、早速私の話を聞いて」
花添は僕の反応を待たずして、淡々と話を始めた。仕方なく、耳を傾けた。
そして、話を終えた後。
「二週間後には、空が降って来て地球を踏み潰すんだな。それで、地球を救いたいけど一人じゃ出来ないから僕に助けを求めてるわけか。
なるほど、信憑性の塊みたいな話だな。街頭調査すれば全員が信用すると思うよ」
突如、すねに鈍い痛みを感じて蹲った。
花添がつま先で蹴り上げたのだ。
まだ冷ややかな目で睨みつけてくる花添。追撃をされてはたまったものじゃないので、僕は両手を挙げて降参の意を示した。
「悪かったよ。少し揶揄いすぎた」
「反省してくれたらそれでいいよ。
でも、一つ勘違いしないで欲しいんだけど、私は別に一人で地球を救えない訳じゃないの。ただ、あなたが手伝ってくれたら楽になるから、こうやって頼んでるだけ」
しゃがみ込んだ僕を見下しながら、花添はそう言った。
「人に何かを頼む態度には見えないんだが。それで僕が手伝うと思ってるのか?」
「うん。君に拒否権はないもん」
「どういうことだよ」
僕の質問には答えずに、花添は屋上の端へと向かった。急ぐ様子はまるでない。教室での花添由仁のイメージとは正反対で、頭がぐちゃぐちゃだ。
クラス内では猫を被っているということだろうか。
天を仰ぐと見えたのは、五時ごろの赤く染まった空。
二週間後に、落ちてくるとは到底思えないほど、いつも通りの景色。
花添はやはり歩いて、こちらに戻ってきた。
僕の前に立ち、スマホの画面を突きつけてくる。
見せられたのは、短い動画。
制服を着た男性が、同じく制服姿の女性に覆い被さるように倒れている。どこからどう見ても、さっきの僕達だ。
もともとスマホを仕掛けていたということは、わざとだったのか。
何となく、これから花添の言うであろうことがわかる。
「君が私を手伝わないなら、この動画をクラスにばら撒くよ。君に襲われそうになったって」
花添は勝ち誇ったような笑みを見せた。
やはり、そうか。でも、そんなことクラスメイトはすぐに信じないんじゃないか。
「クラスに明らかに私のことを好きな男子がいるの。北野くんって言うんだけど……。彼に泣きついてみたらどうなるかなー?」
思わず、舌打ちが漏れた。
北野はクラスの中心にいるやつで、精神年齢は低めの男だ。花添が言うことが本当なら、僕はもう静かな学校生活は送れなくなるかもしれない。
具体的に言えば、虐められるだろう。ほぼ、確実に。
「……はぁ。わかったよ、僕は君を手伝う」
花添は意外にもガッツポーズを作った後、すぐに不敵な笑みへと戻った。
そのまま、花添は手を突き出してくる。
握手だと理解した僕は、その妙に柔らかい手を握った。
「よろしくね。えっと……」
「
「海原君ね。これからは精一杯こき使われてもらうからよろしく」
「……よろしく」
花添は、満足げな笑顔を浮かべた。
何故か乗る電車が同じで、何故か一緒に歩いている駅までの道。
花添は突然立ち止まった。僕も、一応止まる。
「海原君さ、まだ私の話、信じてないよね」
「正直に言えばな」
「じゃあさ、明日の朝のニュース番組を見て欲しいんだけど」
枕元で鳴る、スマホの目覚まし。
夢の世界へと誘惑してくるベッドから、僕は何とか起き上がった。
時計が示すのは午前7時。
全く、どうして土曜日からこんな時間に起きなくちゃならないんだ。
舌打ちをしつつ部屋のテレビを点け、僕は文字通り固まった。
流れているのは、真っ暗な空の映像。
そこに突如、小さな光の粒が現れる。
海辺にある砂の一粒みたいだった光は、ぱらぱらと増殖を始める。
まるでオセロみたいに、黒が白へと塗り変わっていき、気づけば空には光の天井が出来上がっている。
そして、数え切れない量の光がさらに光量を増しながら、重力によって大落下を始める。
地球侵略にきた地球外生命体がいれば、こんな風なのだろう。
しかし、それらは地上に辿り着く前に消滅を始める。
音もなく、神隠しみたいに消え去っていく。
闇に残ったのは、もっと遠いところで瞬く星々だけだった。
本能から震えるような光景だった。
恐怖なのか、興奮なのかはわからないけれど。
僕は何度かスマホを落としながらも、昨日無理矢理に追加された番号に電話をかけた。
「ニュースでいっぱい流れ星が見れるはずだから、願い事を決めておくといいよ」
昨日の花添の言葉が、ずっと脳内で反響していた。
「五分も遅刻。海原君、自分から呼び出したんじゃなかったっけ?」
「悪い。迷った」
頬杖をつきながらこちらを睨む花添に、僕は頭を下げた。
ここは、駅前にあるカフェのテラス。
僕が、会って話したいと電話をすると、花添に場所を指定されたのだ。こんな風な洒落た店は来る機会がないので、辿り着くのに苦労した。
「何で、転校したての私じゃなくて海原君が迷うの。……って、海原君は友達いないからこんなところには来ないのか。ごめんね、意地悪なこと聞いちゃって」
コーヒー片手に嫌味を言う花添は様になっていて、僕は何も言わず椅子に腰を下ろした。
というか、友達いないって。
「花添も友達いないだろ。僕と変わらないじゃないか」
「私は友達がいないんじゃなくて作らないの。別にいなくても困らないし」
「何とも、拗らせてる奴が言いそうなセリフだな。って痛いって」
机の下で花添が蹴りを食らわせてきたのだ。しかも、またすねだった。いつか折れてしまうかもしれない。
「まあ、そんな話はいいとして。今朝のニュース、あれは何なんだ」
「空から降った光の話だよね」
僕が頷くと、花添は続けた。
「あれは、空の入れ替わりの副産物みたいなものだよ。交代の衝撃でああなったの」
「入れ替わり? 交代?」
「あ……」
花添は、突然間の抜けた声を上げた。顔には、やってしまったという表情が貼りついている。
こんな顔もするんだな。
「おい、花添?」
「……今の話聞いてた?」
「入れ替わりとか、交代とかいう話以外は聞いてない」
「ちゃんと全部聞いてるじゃん、まどろっこしい言い方しないで。……やっちゃった」
花添はがくりとうな垂れたかと思えば、急に顔を上げた。
「もういい。海原君には話すよ」
そして、花添はまたも僕の反応を待たず、話を始めた。
ただ、その表情には、昨日より少し覇気が無いように見える。
「空が降ってくるって言ったけどね、正確には少し違うの。実際に降ってくるのは、巨人の足なんだよ。
昨日の光は、本物の空と巨人の足が入れ替わりによるものなの」
「ちょっと待て」僕は、流れるように話す花添を止めた。
「今の話が本当なら、この空に見えるものは巨人の足の裏なのか?」
僕は人差し指を上に向けた。
太陽は夏らしく燦々と輝き、真っ白い雲はのろのろと流れている。
花添はちらりと上を見やってから頷いた。
「そうだよ。全くそうは見えないだろうけど」
少し整理しよう。
まず、今朝のニュースで見た光は、空と巨人の足の入れ替わりによるものだった。
今僕たちの上に広がっているのは、どうやっても空にしか見えないが実は巨人の足である。
そして、その巨人の足が今日から十三日後に降ってきて、地球を踏み潰す。
「……そうなのか」
「今度は疑わないの?」
「まあな」
花添は朝のあれを言い当てたのだから、信憑性はそれなりにあるはずだ。
突然、花添がテーブルからこちらに乗り出してきた。
「昨日、頼ったのが海原君で本当に良かった」
「……そうか」
「海原君は私にとってかなり都合のいい男だよ」
にやりと、至極楽しそうな笑み。
「おい、僕の感動を返してくれ」
ツッコミを聞き流して、花添は立ち上がりテーブルに千円札を置いた。
「私、そろそろ帰るね。お会計よろしく」
それだけ言うと、花添は小走りに店を出て、そのまま路地に消えていった。
「僕、何も頼んでないんだけど……」
愚痴が溢れる。
仕方ないなと立ち上がると、花添が座っていた席にかかった黒い傘を見つけた。
それを手に取り、お会計を済ませた後、僕は花添を追うべく路地に入った。
都合がいいとは、こういうのを言うのかもしれないな、と思った。
路地に入り、見事に花添を見失った僕は適当に歩き回るしかなかった。
四つ目の別れ道を右折したところで、僕は花添を見 つけた。
アスファルトの上にうつ伏せになった花添を。
慌ててそちらに駆け寄った。
「おい、大丈夫か。花添?」
声を掛けてもピクリとも動かないので、荷物を放り出して花添の身体を起こす。
眠っているように穏やかな顔が見える。
しかし、髪と同じく茶色がかった瞳が露わになったままだった。
目を開けながら寝ているだけ?
いや、でも花添の身体は服越しでもわかるほど熱い。
というか、まずこんなところで寝るような馬鹿ではないだろ。
思考が堂々巡りする僕の頭を冷やすように、ぽたりと水滴が降ってきた。それは、どんどん数を増していき、本格的な降雨になる。
「だから、花添は傘を持ってたのか」
納得しつつ、辺りを見渡すとちょうど屋根のあるボロボロのバス停を見つけた。
僕は花添をおぶり、荷物を腕にかけて、そちらに向かった。
救急車とか呼ぶべきなんじゃないのか。
少し落ち着いてそう気づいたとき、隣で物音がした。
バス停のベンチに横にならせた花添が、身体を起こしたのだ。
ぱちぱちと何度か瞬きをした後、花添はこちらに怪訝そうな目を向けてきた。
「何で海原君がいるのよ。……というか、ここはどこ?」
花添は自らの身体を抱き、僕から距離をとった。
「おい、何もしてないぞ」
何かを言われたり、脚が飛んできたりする前に疑惑を否定してから、僕は事の顛末を話した。
花添は聞き終えた後も、しばらく下を向いて動かない。
そして唐突に立ち上がると、そのままよろよろと歩き出した。
その覚束ない足取りは見ていられなくて、僕は花添の身体を支えた。
「助けてくれたのは感謝してるから。触らないで」
花添はそう吐き捨てた。
確かに、ここまでしてやる義理は無いのかもしれない。
そう、思いながらも僕は花添の肩を離すつもりはなかった。
「……たまたま、僕もこっちに行く用があるだけだよ」
我ながら下らない言い訳だ。
花添はふん、と鼻を鳴らしたものの、これ以上抵抗しようとはしなかった。
熱があるようだし、そんな余力もないのだろう。
「………………助かったよ」
「無理して礼を言う必要なんてないよ。じゃあ」
花添の住むアパートまでは、三十分ほど歩かなくてはならなかった。
帰るのにも一苦労だな、と思いつつ回れ右をすると、後ろから手を引かれた。
「流石に、ここまで送ってもらってすぐには帰らせられないよ。……上がっていって」
「病人は黙って寝ておいた方がいい」
「いいから」
「いや、帰るよ」
「あの動画。まだスマホの中だよ」
熱がこもって紅潮した頰を釣り上げる花添。
くそっ、まだ消してなかったのかよ。
「……わかったよ。早く案内してくれ」
結局、僕は半ば脅される形で、花添についていった。
一応、お邪魔しますと言って部屋に上がる。
玄関からは短い廊下が伸び、その突き当たりに部屋があった。
何というか、予想通りだった。
小さめのキッチンに、ベッド、エアコン、丸い木製のテーブル。あとは、壁を覆うように配置された本棚だけ。テレビさえ置いておらず、部屋の主の変わった性格が窺える。
というか、何気に初めて入る女子の部屋なんだけど……これはノーカウントだな。
「花添、一人暮らしなんだな」
ベッドに腰を下ろした花添に声をかけた。
ちなみに、僕は上手くポジションを見つけられず、立ったままだ。
「やっぱりわかる?」
「うん、干してある洗濯物の数でわかるよ」
「……きもっ」
冷たく刺すような声色。
僕でさえ花添に同感だが、男を招くなら部屋干しの洗濯物くらい片付けておいて欲しい。
下着も干してあるのだ。出来るだけ見ないようにしたけども。
花添は立ち上がろうとして、またよろけた。そして、そのままベッドにダイブした。
「今は寝とけって。僕はもう帰るし」
「ん、でも」
表情を歪めながらもまだ食い下がろうとする花添。
何かを僕に返さないと気が済まないのだろうか。
借りを作りたくないとか、考えているのかもしれない。
「わかったよ。じゃあそこにある本、読ませてもらってもいいか」
僕は壁中の本棚を指差した。
読書は暇を潰すためによくするので、ちょうどいいだろう。お互いに。
「わかった、何でも好きなのをどうぞ。……あと、出来ればあんまりこっちを見ないで欲しい」
花添がごろりと寝返りを打った拍子に、ワンピースの首元が乱れて、眩しい首筋が露わになる。
何となく、目を逸らした。
「わかったよ。さ、病人は早く寝ろ」
「約束ね。……おやすみ」
迷った挙句僕も返事をして、本棚に向き直った。
ミステリーから恋愛まで、多種多様なジャンルの本が所狭しと並べられている。
見ただけで、少し本の香りがするほどの数の中。
一つの本に、目を引かれた。
文庫本の半分くらいの薄さのそれは、他のどの本よりも、僕の興味を唆る。
気づけばそれは、僕の手の中にあった。
クリーム色の表紙には、「日記」の二文字。
流石に勝手に見るのはまずいか。でも、花添は何でも好きなものを読めばいいと言っていたし。
結局好奇心には逆らえず、僕はページをめくっていた。
人の日記は無断で見るべきじゃない。
読んでから、そう後悔した。
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