二章第17話

「ところでダンテよ。訓練の報告書は読ませてもらった」


 その言葉に室内の雰囲気が変わった。


「いかがでしたでしょうか?」

「随分と本格的になっておるな。どうした? 私兵団でも作るつもりか?」


 ニヤリと口の端を歪めて意地悪く笑ったカエシウスにダンテは表情を崩さず


「ご冗談を」


 と笑みを浮かべる。


「しかし始まりは子供達の身体トレーニングだったはずだ。それが三年で入隊したばかりの騎士と変わらないような内容になっているが?」


 目を細めたキールにダンテは苦笑を浮かべ、珍しく気恥ずかしそうに歯切れ悪く言う。


「それは、いや私も最初はそのつもりではありましたが……子供達の可能性と熱意にどうも当てられたようで。特に、やはりフェリックスですな」

「フェリックスくん?」


 ユーグが軽く瞬きをしながらフェリックスの名を繰り返すとダンテは頷いた。


「そうです。病弱で最初は走る事さえままならなかった子が少しずつ走れるようになり、腕立て伏せも続けてできる回数が増え、顔も体も肌艶もみるみるうちに健やかに変化していくその様は本当に素晴らしいものです。それはフェリックス自身も嬉しいらしく自発的にトレーニング内容を増やしたりしましてね。そんな彼に他の子供達も私もすっかり感化されてしまったという訳です」


 初めて会った時のフェリックスを思い出し、ダンテはフッと微笑み目を細めた。


「子供の成長というのは目を見張るものがあるからな。それにしたって、精霊の数はどうだ?! これは本当なのか?」

「そうそれです。それが本当なら大変なことですよ」


 ジャン=ジャックの少し強めの語気にユーグも少し熱のこもった口調になる。


「精霊に他の精霊を紹介してもらう……そんな事が当たり前に行われるようになったとしたら…………精霊省は色々と考えなければならなくなる」

「確かにな」


 顔を曇らせるユーグにキールもジャン=ジャックも少し険しい表情になるが、カエシウスは一度目を細め一瞬の思案の後、片手を軽く上げた。


「……その事についてはどちらにせよ今後我が国の課題になるだろう。今この場でどうにかできるものでもあるまい」


 それよりも、とカエシウスは続ける。


「我には新しい“影”が必要だ。奴らに知られていない“影”をな」

「はい。今、適任者を探しております」


 キールの言葉に、だがカエシウスは頷く事無くフェリックスが纏めた書類を取り上げた。


「近接戦はそれほど得意では無いようだが、精霊を扱う事に関してはなかなかに独創的だな」


 カエシウスの言葉はダンテの報告書の内容を指していた。

 ダンテの報告書には今まで行われたグリーウォルフ家での訓練内容とその時の様子、そして所感が記録されていた。その内容はカエシウスだけではなく、この場にいる全員にとって興味深い物でありこの国の未来に何かしらの影響を及ぼす可能性を感じていた。


「…………フェリックス・グリーウォルフは“影”として使えそうか?」

「………………まだ、分かりませんが可能性はあるかと」


 ダンテの返事にカエシウスは鋭い光を宿した目を上げた。


「ならばこのトトリ村行きで可能性を見よう。ジャン、騎士を何人か護衛に付けろ。人選は任せる」

「はっ!」


「……申し訳ありません陛下。その……」


 と、流れを切るように視線を逸らし気まずそうに言葉を発したキールにカエシウスは軽く目を大きくする。


「どうした」

「実は……息子のレニーなのですが。レニーが昨夜、私にこのトトリ村行きに一緒に行きたいと言ってきまして……」

「ほほぅ! 随分と熱心に読んでいると思ったら!」


 どこか嬉しそうな声を上げたダンテに顰めっ面をするキール。


「喜ぶなダンテ! 最初は何の冗談かと思ったぞ」

「で、レニーは何と言ってきたのだ?」


 興味をそそられているらしい王の様子に少し眉を顰めつつ、キールは片眼鏡の位置を直しながら言った。


「は…………いずれ、王にお仕えする身であれば今の内から近隣の情勢も知っておいた方が得策だと思う故付いていきたい、と」

「ははっそう言われてはそう簡単にダメとも言えませんな」


 ダンテが白い歯を見せながら言うとキールは苦虫を噛み潰したような顔になった。


「…………過保護なつもりは無いが、状況が全く理解出来なかったからお前に聞こうと思っていたところにコレだよ、ダンテ。全く、昔からお前が絡むとロクな事がない」

「あぁ、それは同感だな。お前は良くも悪くも嵐を呼び込む」


 腕組みしながら大きく頷いたジャン=ジャックにダンテはその分厚く大きな肩を竦めた。


「そうですかな? 気のせいでは?」

「フッ……何にしてもキールの息子も頼もしく成長しているようだな。心強いぞ」

「勿体なきお言葉」


 軽く頭を下げたキールにカエシウスは続ける。


「レニーの同行を認める。後はお前が決めるといい」

「はっ」


 小気味の良い返事をしたキールに頷き、カエシウスは目を細めた。

 一見、豊かで平和に見えるこの国も不穏な影はある。この表面上の平和と民の安寧を守る為に必要な事は大っぴらな戦いなどではなく、秘密裏に事を処理する暗躍者の存在だ。


 フェリックスはまだ子供だ。しかもほとんど表舞台には現れてはいない。今から“影”として育てるのにこれほど打ってつけの存在がいるだろうか?


(この白羽の矢は彼の人生を狂わす事になるかもしれない。だが、そんな事は今までやってきた事だ…………罰ならあの世でいくらでも受けようぞ)


 一国の王のわずかな心の痛みは新たな自国の駒が増えるかもしれない期待の前にすぐに消えた。


「なかなかどうして……面白くなりそうだな」


 カエシウスは持っていた紙の束を見つめながら呟いた。

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