二章第16話

 広く長い大理石の廊下を歩く靴音が一枚の扉の前で止まる。静かな気配に満ちた空間に一呼吸置いて、ダンテの大きく逞しい拳が重厚な木の扉を軽やかにノックした。


「どうぞ」

「失礼致します」


 内からした男の声を聞き、ダンテは扉を押し開けた。重厚な作りと見た目とは裏腹に扉は音もさせず軽い力で開く。

 ボルドー色の毛足の長い絨毯が敷き詰められた広い室内には男が四人。モスグリーンの一人掛けソファに腰掛けているサーラの父親のユーグ・マリベデス侯爵。マリベデス公爵と反対側のソファに座る痩せ型の少し神経質そうな片眼鏡の男ーー宰相でありレニーの父親のキール・ダンゲル。ソファと入り口の間に立っているジャックの父親でありテール王国騎士団団長のジャン=ジャック・ハシュウェル。そして最後の一人、一番大きなソファに腰掛け濃紺色のビロードのマントを左肩から流し、グレーの髪の上に黄金に輝く冠を抱く男。顔に深く刻まれ始めた皺と鋭い眼光は実際の年齢よりも歳を重ねているように見えるこの国の王、カエシウス・テールに深く礼をしたダンテは王に促されるまま反対側のソファの一席に腰掛けた。


「お時間を作って頂き感謝します。我が王」

「良い」

「ありがとうございます」


 鋭い眼光に無表情のカエシウス王の前のテーブルにはフェリックスが纏めた紙の束が置かれており、ダンテとカエシウス王との間に沈黙が流れる。

 それを破ったのは彼らの丁度間に座る人物だった。


「本当にこれはその少年が考えたと言うのか?」


 ダンテを見ながら宰相のキールが問うと、ダンテは頷いた。


「えぇ、そうです」

「ふむ……」


 顎に手を当て目を細めたキールは膝の上に置いた右手の人差し指をトントントンと叩きながらダンテとユーグの顔を交互に見る。


「12歳でここまで纏められるものなのか? 一体どういう子供なのだ?」

「いたって普通の子ですよ。少しばかり聞き分けが良いと言いますが、分別のある子ですけど」


 穏やかな笑みを浮かべ言ったユーグの言葉に続けるようにダンテは口を開く。


「それと本が好きだと聞いておりますぞ。これらの情報は全て本から調べたと言っていましたな。後はお菓子作りが好きで食べものに興味があるのでしょう」

「お菓子作り?」

「あぁ、そういえば今度私の娘がお菓子の作り方を教わるんだと言ってましたね」


 そう言ったユーグに眉を顰め、キールの指は忙しく早く動く。


「貴族の、男の子が? お菓子作り?」

「まぁ、元々病弱で家にいる事が多かった故に読書やお菓子作りに楽しみを見出したのでしょう」

「なるほどな」


 それまで王の傍に立ち静かに聞いていたジャン=ジャックが頷き、オールバックに上げた前髪を撫であげた。


「愚息がダンテの訓練を受ける為にグリーウォルフ家に毎週通っているのだが、帰ってくると必ず今日はアップルパイが旨かっただの、今日はスコーンだったのと菓子の話ばかりでな。あの少年が作っているとは言っていたが……ところでダンテ。あいつは本当にちゃんとやってるのか? 訓練を」


 あまりにも息子の話がお菓子の事ばかりで常々本当に訓練をしているのか不安に思っていたジャン=ジャックの問いにダンテは笑う。


「はっはっは。ご心配なく! 熱心に受けておりますよ!」

「本当か? 少しでもサボるようなら殴って構わんからな」

「心配せずとも大丈夫ですよ。あの日の事は彼も何か思うところがあったのでしょう」

 

 ダンテの言葉に室内に静寂が落ちる。

 アルゲンタム暗殺未遂の起きたあの日。犯人の目的は推測でしかない上に犯人の正体が分からない為事件は隠された。カエシウス達には目星は付いているのだが、情報が少なく確定的なものが無い状態では手が出せず、できる事と言えば警備の強化と監視と捜査の徹底。そして、グリーウォルフ家の監視と調査。

 フェリックスがアルゲンタム達と知り合ってすぐに王家の人間が狙われた。その状況だけ見れば、グリーウォルフ家が犯人と何らかの関わりがありアルゲンタム達に近づいたと考えるのが普通だろう。現にカエシウス達もそう考え、警護という名目で監視とグリーウォルフ家に出入りする者や関係者の調査をしてきた。

 だが、この三年何一つ不審な点や怪しいところはグリーウォルフ家からは出てこなかった。


「ダンテよ。グリーウォルフ家とその子供の様子はお主の目から見てどうだ?」


 カエシウス王の問いに少しの間の後ダンテは口を開いた。


「……とても実直で気持ちの良い者たちです。フェリックスは真面目で控えめで思慮深いですが、思いやりのある優しい少年です。ただ少し……少し、少年らしからぬ言動をすることがありますが」

「ほう?」

「例えて言うなれば、大人のような。それも、妙齢のご婦人のような」


 そう言ったダンテにカエシウスは片眉を上げ、キールは深く眉間に皺を寄せた。


「不思議なことを言うな、ダンテ。それは例のソースの事があるからか?」

「それもありますが、それだけではなく…………何とも言い難いですな、宰相殿」


「ふぅむ…………でも確かにそう言われるとなんだかしっくり来ますね」


 そう言ったユーグに自然と室内の視線が集まる。

 

「サーラは良く髪を三つ編みや纏め髪を花と綺麗に結い上げて上機嫌で帰ってきますね。聞けばフェリックスくんがやってくれたとか」

「…………アルゲンタムの今年の誕生日プレゼントは手編みのガウンだったそうだ」

「そして、お菓子作り」

「………………………………」

 

 再び沈黙が室内に広がる。

 

「お菓子作りが出来て、女の子の髪も結えて、ガウンも編める。話だけ聞くと、確かにご婦人のようだな」

「しかも、貴族のご婦人ではなく市井の、ね」

「確かに」


 妙に納得したような表情のユーグとは対照的に何とも言えない怪訝な顔のカエシウス、キール、ジャン=ジャックの三人。


「ゴホン…………あーなんにしてもだ。この三年でグリーウォルフ家が振っても叩いてもホコリも煙も出てこない事が確認出来た事は喜ばしい」


 咳払いの後、そう言ったカエシウスはダンテへアルゲンタムに良く似た瞳を向けた。


「ところでダンテよ。訓練の報告書は読ませてもらった」


 その言葉に室内の雰囲気が変わった。

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