二章第3話

 厨房でチーズケーキ作りの為の準備をしていると、目敏くウィルスが澄ました顔をしつつ近寄ってくる。


「お坊っちゃま、もしかしてチーズケーキですか?」


 いつも通りの平静さを保ちながら言ったウィルスのその声音はどこか喜びの色が滲んでいる。


「ご名答!」

「やっぱり!」


 厨房の作業台の一角に集められた材料はたっぷりの牛乳にバターそれからレモンと木綿布に木桶など。この世界でのお菓子作りはまず必要な材料を作るところから始める事がほとんどなので、前世よりも随分と時間と手間が掛かる。ちなみに、これからクリームチーズと生クリームを作るのであります。


「いや〜お坊ちゃんの作るお菓子はどれもこれも最高に美味しいですけど、その中でもチーズケーキは格別ですよね。うんうん」

「ウィルス〜前はスコーンを格別って言ってたけど?」

「あれ、そうでしたっけ?」


 しれっと首を傾げて見せるウィルスに私は笑いながら手を止めずに言う。


「皆も食べれるようにたくさん作るから大丈夫だよ」

「さすが、我がお坊っちゃまです」


 芝居がかったように一礼したウィルスは厨房の裏口から聞こえてきた女の子の声に反応し体を動かした。


「こんにちは。ステファニー商会です」


 よく通るハキハキとした声の主はステファニー商会の主人、マルクの長女マリーだ。亜麻色の髪をキュッと三つ編みにまとめ、動きやすそうな麻のワンピースに白い腰巻エプロン姿のマリーへ私は裏口から離れた位置にある作業台の前から彼女に声を投げる。


「こんにちは、マリー」


 裏口から入ってきたマリーに顔を向け、にこやかに挨拶をする。挨拶はするが、特に近づいて雑談したりはしない。初めて会った時からマリーの態度はツンとしたもので挨拶はするが顔をすぐに逸らすし近づいて来ないでオーラ全開で私は内心いつも首を傾げていた。

 マリーは使用人たちの話では笑顔で実に礼儀正しく仕事もできる賢い子だとの評判だったが、なぜか私たち家族に対しては全く寄せつけない雰囲気を崩さない。何か嫌われるような事をした記憶もないので無理に距離を縮めるのを諦め、あとは自然な流れに任せようと思い今に至る。


 必要最低限の挨拶をしてすぐに作業台の上に顔を戻し、私はレモンを切ってレモンを絞りグラスにレモン汁を溜めていく。

 背後ではマリーとウィルスが一言、二言言葉を交わし仕事の話をしている。マリーのお使いは注文の小包と今月分の請求書を届けに来たようで、聞くともなしに聞きながら作業をしていると会話が終わった。しかし、終わったら一言大きな声でお邪魔しました、と言って帰っていくマリーだが今日はいつもと違っていた。


「……何をしているんですか?」


 まさか声を掛けてくるとは思っていなくてちょっと驚いた顔をしたまま振り返ったと思う。しかし、マリーは私の顔ではなく、私の手元を見ていた。


「え、あ〜えっとね、チーズケーキを作る為にクリームチーズと生クリームを作るところだよ」

「クリームチーズと生クリーム?」


 眉を寄せたマリーに私は手を動かしながら話していく。鍋に少量のミルクと同量のバターを入れ、それをかまどに置き、かまどの中に数本の薪と火の精霊のエンちゃんを入れる。


「そう。まず、ミルクとバターを温めて混ぜながらバターを溶かしたら……これで生クリームの完成」


 市販の生クリームとは全然違う代用品だけどホイップして使わないのでこれでも大丈夫。

 薪と戯れながらチロチロと良い弱火加減を維持してるエンちゃんの様子を確認しながら、私はミルクの瓶を手に取った。


「次にまた鍋にミルクを入れて」


 今度はたっぷりとミルクを入れ、少し火加減を強くし混ぜながら温める。沸騰直前まで温めたらエンちゃんに火を消してもらい、鍋の中にレモン汁を加えながら混ぜていく。


「レモン汁を入れたら良く混ぜて。そしたらツブツブしてくるから、そうしたら……」


 木綿布をしっかりと張った木桶の布に鍋の中身をあけていく。


「布にあげて、水分を切るっと」


 粒々の物体と液体が布で分けられ、水分がある程度落ちたら布ごと持ち上げ、軽く絞って更に水気を抜きながら布の口を縛って桶に落ちた水分に塊が触れないように桶の中で吊り、木の板で蓋をした。


「あとは自然に水分が抜けるのを待てばクリームチーズの出来上がり」

「……なんでこんな事知ってるんですか?」

「え? えっと、本で調べたんだ」


 何度も目を瞬かせ、眉を寄せながら言ったマリーに私は苦笑しながら答えた。本当は前世での知識なんだけども。前世でいかに安く、ある物で美味しいものを作るか! 工夫に工夫を重ねたその経験がまさかここで生かされるとは。


「そもそもなんで貴族の子が料理なんかするんですか?」

「なんでって……ん〜私、体が弱かったから。体の調子を整えるのに食事に気を付けるようになって、それからかな」

「ふぅん……全然そうは見えないけど……」


 癖なのか眉間に皺を寄せながら呟くマリーに私は彼女の様子をそれとなく伺いつつ、何気ない様子で話を続けた。


「今はケヴィンたちのお陰もあって随分良くなったんだよ。それとマルクさんとマリーにも色々とワガママを叶えてもらったから。良い薬草とか質の良い油のお陰だよ、ありがとう」


 突然話の矛先を向けられ、またも眉間を寄せたマリーだが少しばかり空気が柔らかくなった気がする。


「別に。それはこっちも利益になっているので礼を言われる事じゃないです」

「そう? それでもありがとう。チーズケーキは明日焼くんだけど、もし良かったら食べてくれないかな?」

「え?」

「いつもお世話になってるお礼も兼ねてさ! 焼き上がったらウィルスに届けさせるよ。ね、ウィルス」


 マリーが何かを言う前にニコニコとウィルスに向かって有無を言わさない形で約束を取り付けるとウィルスは少し驚いたような顔をしつつも大きく頷いた。


「えぇ、そんなのお安い御用ですよ」

「でも……」

「ほら、新商品の何かアイデアになるかもしれないし。マルクさんの感想も聞きたいしさ」


 ステファニー商会から販売されているバジルソースとサルサソースの売れ行きは好調でソースシリーズは他にオニオンとベリーが追加されたが、全く違う新商品も欲しいねと言う話も出ている。だが、その話は去年から出ているが宙ぶらりんで止まっている状態だ。

 まぁチーズケーキが新商品のアイデアになるとは思えないが、そこは建前でこうでも言わないとマリーは受け取ってくれないだろう。

 

「……それなら、分かりました」


 頷いたマリーだが、しばらく黙っていたかと思うと突然顔を上げた。


「ねぇ。今、気になる事とか物とかありますか?」

「気になる事?」


 唐突な質問に首を傾げると、マリーは少しだけ眉を歪めた。


「いや、別に。ちょっと気になっただけで。無ければ別にいいです」


 少し気まずそうにそっぽを向きながら言ったマリーに私は小さく唸った。


「う〜ん。そうだなぁ……あぁそうだ」


 気になる事、と言うかもう念願のようになっている事。それは味噌、醤油、納豆の存在確認!

 最近ようやく本で見つけた情報で、テール王国に比較的近い異国の村が地球の東南アジアのような風俗の村があるらしいのだ。


「あのね、トトリ村ってところに行ってみたいんだ」


 大好きな納豆をどうにかしてまた食べられないものかと、作り方もしくは食習慣として納豆に近いものを作っているところがないかずっと探し続けていた。前世はネットという素晴らしい発明品があり、必要な調べ物は単語をポポンと打ち込めばすぐにずらりと結果が表示された。だが、この世界ではそうもいかない。膨大な本の中から、あるいは誰か知っている者から聞いたり調べたりするしかなく、必要な情報に突き当たるまでに時間がかかる。

 そして、ようやく辿り着いたトトリ村の存在。


「トトリ村の風習とか風俗とか食べ物とか! とっても気になってるんだ。いつか行ってみたいなぁ」


 本当にいつになるのか分からないけどいつかは行きたいトトリ村! その日を夢見てウットリと言った私にマリーはふぅん、と顎に指を当てた。


「トトリ村。トトリ村ね」


 ぶつぶつと確認するように呟いていたマリーはパッと顔を上げると


「じゃっ。私はこれで」


 と言うとさっさと裏口へと向かい、お邪魔しましたと一言大きな声でみんなに聞こえるように挨拶してワンピースの裾を翻してあっという間に出て行ってしまった。


「……なんだったんだろう?」

「さぁ?」


 残された私はウィルスと一緒に首を傾げたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る