第44話

 アルゲンタムがサーカスのテントから姿を消して其れほど時間は過ぎていないはずだが、とてつもなく長い時間が過ぎているように感じる。

 少し先を進み揺れている三角帽子を目で追い、私はギュっと唇を強く引き結ぶ。土の精霊のダイちゃんの道案内を信じているが、どうしても気ばかり焦っていた。

 まだだろうか? まだだろうか? と焦る気持ちを抑えつつ、それでもダイちゃんに尋ねようかと口を開きかけたその時、ダイちゃんが短く音を発した。


(いた!)


 テントや木製コンテナ、それから様々な道具が点在する先。少し開けて枝振り豊かな一本の木の近くに陽光を受けて輝く美しい銀色の髪の小さな体が地面に横たわるようにうずくまっている。

 そして、木の下の影に薄汚れた松葉色のフードを被ったマント姿が1人。こちらを背にしてアルゲンタムの方を向いて立っていた。

 離れた私の目には少年の小さな体が僅かに動いているのが見えるが、顔は髪に隠れてわからない。良い状況では無いのは確実だ。しかし、アルゲンタムとマントの男との間は十分な距離が開いている。今の私のスピードなら余裕でアルゲンタムの側に駆けつける事ができるはず!


 と思っていたのだが、更に近づくと彼らの間に赤く揺らめくトカゲの姿態が不穏に蠢いているのを見つけ私は目を見開いた。私の火の精霊であるエンちゃんより一回り大きな火の精霊。


「やめて!」


 無意識に私は声を上げていた。

 私の叫びにマントの男が勢い良くこちらへ振り向くが、私はその横を飛び抜けアルゲンタムへ駆け寄る。


「なんだぁテメェっ!!」


 怒鳴った男はフードの影からギロリと私たちを睨みつけた。

 鋭い一重の黒い双眸。薄い唇は荒々しい口調の為に歪み、男の浅黒い肌の顔には特徴的な紋様が赤い化粧で描かれていて、それが恐怖だけでなく得体の知れない不気味さを加味している。


「………フェリ、ックス」

「殿下、大丈夫ですか?」


 弱々しく顔を上げるアルゲンタムはいつもの無表情が苦しげに歪んでいる。汚れた服、乱れた髪に焦げ臭い匂い、白いはずの肌が所々赤く擦りむけていて痛々しくて、私は彼を抱きしめた。


「良かった、無事で! 本当、良かった!」

「…………フェリックス」


 少し、殿下の体が震えているような気がする。

 こんな恐ろしい状況でも泣いていないアルゲンタムだが、どんなに怖く不安だっただろうか。


「殿下、皆のところに帰りましょう」


 決意を込めて言った私の言葉にアルゲンタムは無言で小さく頷き、私の肩口を強く握って来た。その小さな手になんだか涙が込み上げてきて、歪み始めた視界で手を添え、まだ小さな手を握り返した。


「チッ! まぁ、どこの誰だろうがいいさ…………その王子様と一緒におねんねするんだなぁ!」


 男の言葉にハッと顔を向けるとニヤリと邪悪な深い笑みを浮かべ、火の精霊が体をうねらせている。

 私はアルゲンタムを男から守るように立ち上がり睨みつけたものの、足が僅かに震えているのが分かる。 


(怖い。足が震える。でも、殿下を守らなくちゃ!!)


 グッと唇を噛みしめ、足の指先に力を込めて背筋を伸ばすが男は私の虚勢を見抜いているように笑みを深くし、愉快そうに低い声を響かせた。


「ふははっ、まとめて黒焦げになりなぁ!」


 男の言葉に呼応するかのように火の精霊が唸り声を上げ、鋭い牙を剥き出した口から赤々と輝く火球が放たれる。飛んでくる火球に身は竦むが、頭はただ一念


(守らなきゃ!)


 ただただ、それだけを思い硬く目を瞑りながら無意識に両手を前に突き出していた。

 ゴゴゴっ! と地鳴りと共に目の前に盛り上がる土の壁。土の壁に遮られた火球が火花を散らしながら弾け消える。


「なにぃ!?」


 驚愕に目を見開いた男の動きが動揺で止まった今がチャンスと、私はそのまま両腕を前に勢い良く突き出した。


「えぇい!」

「チィっ!」


 土の壁が崩れる倒れてくるのを大きく後ろに飛び退いてかわした男の足元に勢い良く倒れた土の壁がバラバラと砕ける散る。


「この、くそガキぃ!」


 足元に転がった土片に憤怒の表情で顔を歪める男は殺気の込もった鋭い視線を私に向けた。初めて向けられた明らかな敵意と殺意に身が竦み震えが走る。


(どうしよう?! どうしたら助かるの?!)


 初めて身に迫る危険に必死に考えを巡らせる私の頭にダンテの顔が浮かぶ。


「エンちゃん!」


『キュイっ!』


 私の呼びかけに現れた小さな火の精霊はクルリと一回転すると赤い火柱を真っ直ぐに燃え上がらせる。


「フゥちゃん!」


 続けて右手を下から上へ振り上げると、淡い薄黄緑色の風の精霊が飛び、地面から火柱を囲むようにして風を吹き上げ渦を巻きながらより高く火柱を伸ばす。伸びた火柱は小さな炎の竜巻となって昼間だというのに周囲を赤々とした眩しい光で照らし出した。


「なんだとっ!? 」


 唖然と炎の竜巻を見上げていた男はやがて忌々し気な表情で歯噛みした。



「三体だと……こんな、ガキが……三体も精霊を」


 ギリギリと音が聞こえてきそうな程歯を噛みしめ、憎しみが籠った鋭い目を向ける。その双眸の闇の深さにビクっと私の体が無意識に震える。


「クソっ! くそっ!! くそっ!!! ガキのくせにぃ!!!」

「いたぞ!」


 激しく発狂したように叫ぶ男の声に被るように、知っている声が耳に飛び込んできた。


「フェリックス! 無事か!?」

「きょ、教官!」


 見慣れた顔にドッと安堵が溢れ泣きそうになるが、まだだ。まだ、脅威は目の前にいる。

 男から一定の距離を取り、私たちの周りに展開し剣を構えるダンテたちを静かに一瞥し、男は私を見据えた。


「…………テメェの面、覚えたからなぁ。そのうちまた会いに来てやるよ…………」


 今までの怒りに任せた激しい口調から一転し、冷めた感情の消えた声にヒヤリと悪寒が走る。まるで見えない刃を首筋に押し当てられているよう。私が身動き出来ずにいるともう一度目だけで周りを一瞥した男は音を立てずに影へと消えた。

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