第45話

 まるで何事もなかったかのように遠くから流れてくる喧騒と風景。忽然と男の姿が消え、私は身体中の力が抜け地面にへたり込んだ。

 目の前には風に大きく葉を揺らす木と、こちらを見ているエンちゃん、フゥちゃん、ダイちゃんの三精霊。


(助かった、の?)

「殿下!」


 発せられたダンテの声に我に返り慌てて振り返ると、体を起こして座りこちらへ顔を向けているアルゲンタムの姿。まだ幼い美しい少年のサファイアのような澄んだ双眸が私を映していた。


「フェリックス……」

「殿下……でん、ふぇえっ…うぐっ」

「フェ、フェリックス!?」


 無事なアルゲンタムの顔を見た瞬間、今まで張り詰めていた緊張が切れたことと安堵とで涙が溢れ情けない事に私は泣き出してしまった。そんな私にビクッと体を震わせ、でもどうしたら良いのか分からずただ黙って見ているアルゲンタム。


「どうした? どこか怪我でもしたのかね?!」


 ダンテの大きな暖かい手が背中に優しく添えられると更に安堵感が増し、抑えようとすればする程どんどん涙が溢れ、鼻の奥がつんと痛くなる。


「ち、ちがっ……違います!」


 恥ずかしいけどどうしようもなく泣きじゃくる私は、つっかえながら言葉を絞り出す。


「で、殿下が無事で……良がった……グスッ。よかっ……こわかっ……怖かったぁぁぁ! わぁぁぁん!」


 無言で見つめるアルゲンタムは静かに私の側に来て、ただ黙って膝を突き合わせるように座っている。そんな彼の体温が彼の無事を実感として伝えていて、嬉しく私は泣きながら目の前のアルゲンタムの手を握った。

 私の背中をさすってくれていたダンテはクシャっといつもの大きな笑顔で笑うと


「おお、おお、そうですな。怖かったですな! しかし、そこから逃げなかった。偉いですぞ」


 そう言いながら私を優しく抱きしめ、よしよしとまるで子供をあやす様に頭を撫でるダンテ。姿は子供でも心の中は大人の私はこんなに泣きじゃくったのも久方ぶりだし、ましてや男の人に慰められるなんて初めての事で恥ずかしさで急に冷静になった私はお陰で少し涙が引いた。


「ず、ずびません教官。恥ずかしいところをお見せして」


 ズズッと鼻を鳴らした私から体を離したダンテはしかし、とわざと顰めっ面を作りながら続ける。


「私はアウルム殿下たちと城に戻る様にとお伝えしていたはずですぞ。こんな危険な真似をして、もしフェリックス殿にも何かあったらどうするのですか?」

「あ、う……それは……す、すみません」


 謝る私にスッとアルゲンタムが手を上げ、ダンテを制す。


「……フェリックスを責めないでくれ。今回のことはこうなることを予期し対応できなかった私の失態だ」

「そんな、殿下! 殿下は何も悪くありません! だから、そんなこと、言わないでください……」


 あのガーデンパーティーもそうだったが余程、子供とは思えない発言に私は何故か胸が苦しくなり言葉の最後には俯いてしまった。


「殿下……」


 神妙な顔でアルゲンタムを見ていたダンテはやがてフッと表情を和らげ、立ち上がりながら側に控えていた護衛騎士を振り返った。


「殿下の手当てを」

「はっ」


 それから私たちの周りは騒がしくなった。

 軽く傷の手当てを受けたアルゲンタムと私は迎えの馬車が来るまで隣り合って座り、無言で手を繋ぎながら動く大人たちの様子を眺めていた。ぼんやりと周りの様子を眺めているとあの男の暗い目が思い出された。また会いに来ると言っていた、あの男。


(一体、どうなるんだろう……)


 またあんな事が起こるのかと思うと寒気がしてブルッと私の体は震えた。


「フェリックス……大丈夫か?」

「は、はい。大丈夫です、殿下!」


 相変わらず表情の変化に乏しいが心配そうに顔を覗き込んでいるアルゲンタムに余計な心配をかけまいと慌てて笑顔で返事をしたが、納得していない様子の美しい少年はその綺麗な柳眉を少し曲げた。


「………………」

「ほ、ほんとに大丈夫ですから。殿下」

「…………アル」

「え?」

「アルと……呼んでくれないか?」


 ギュッと繋いだ手に力が込められる。


「友達、なのだろう……?」


 視線を外し、消え入りそうな声で言ったアルゲンタムに私は目を瞬かせた。いつも無表情で何事にも動じずにいるアルゲンタムがなんだか小さく不安そうに見える。

 そんな彼の手を同じ様に力を込めて握り返した。


「そうですね。友達ですもんね、アル」


 パッと私を向いたアルゲンタムの顔は驚きの表情を浮かべていたが、すぐに蕾が綻んだ様な微笑みを浮かべた。

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