第2話 玲愛は、高い木々に囲まれ
玲愛は、高い木々に囲まれ、古ぼけた木造の掘っ立て小屋が数件、周りを囲んでいる井戸の傍に立っていた。
「ここはどこなの?なんで、私はこんなところにいるの? だれか、人はいないの? 」
呆然と立ち尽くしている玲愛に向かってやってくる数人の人影があった。
やってくる人々は、かすりの着物を着て、ちょんまげを結い、みんな時代劇に出てくる村人の恰好をしている。
「おい、お前、どっからやって来た? この里になんの用だ? 」
玲愛に声かけた男は怒気を含み、すでに、腰の直刀に手が掛かっている。
「どこからって、京都からよ。この里って、いったい、ここはどこなのよ」
玲愛は怯えながらも、自分に危害が及ばないように訊かれたことに素直に答え、この場所のことを訊こうとする。
できれば、早くみんなのところに帰りたい。その一心から出た声は怯えて震えていた。
その時、玲愛は初めて、自分の身に起こった、異変に気が付いた。
自分の発した声が、あまりに幼く、自分の視線は、今まで見ていた視線と比べてあまりに低かった。
慌てて、自分の身なりを見回すと、さっきまで、体にフィットしていたお気に入りのセーラー服は、肩からずれ落ち、スカートも、一部が腰に引っかかっているだけで、裾をだらしなく地面を引きずっているのだ。
(私、小さくなっちゃった? )
「そこの幼子(おさなご)、誰に連れられて、この地に来た? ここは、里の者以外が、立ち入ることのできない土地だぞ」
直刀に手をかけた男が、荒っぽいセリフを吐いている。
(こんな小さい子にきつい言葉を使って)
玲愛には、今の自分の置かれている立場が全く分かっていなかった。
玲愛は、さっきまで過ごしてした京都の壬生浪士駐屯地跡地から、一八五三年、黒船来航のほんの数週間前の日時にタイムリープしていたのだ。
そして、玲愛が立っていた場所は、その時代の伊賀の地に、江戸幕府に与する伊賀流の忍術流派とは一線を画し、伊賀流忍術古来の金銭によってのみ、雇い主との関わりを持つため、場合によっては、違う雇い主に雇われ、敵味方に分かれて争うこともある。そのため、主君より一族の掟の方が絶対であり、一族に対する裏切りに対する断罪は、今だ「抜忍成敗」を実行するという鉄の掟を持つ、影の一族の隠れ里であった。
さらに、この一族の幼い頃からの戦闘訓練は想像を絶し、一族の身体能力は、他の伊賀忍術の他流派を軽く凌駕しているのである。
「この場所は影の一族の隠れ里、我らの秘密を探ろうとする者は、たとえ、幼子(おさなご)であろうと死んでもらう」
「ちょっと、死んでもらうって物騒な、殺人罪で警察に捕まるわよ」
「警察? なんだそれは?」
「犯罪者を捕まえる国家組織よ」
「国家組織にそんなものはない。また、我々には国家権力など及ばない」
「国家権力が及ばない? あなたたち、やくざなの。だったら一般人には手を出さないのが任侠ってものでしょう」
玲愛は、目の前の訳の分からない集団に対して必死だった。命を取られる。生まれて始めての恐ろしい体験だった。
しかし、影の一族にとっても、玲愛は得体の知れない存在だった。幼子のくせにはっきりとした物言い、諜報集団である影の一族でさえ、初めて聞く単語の数々、どう扱うべきか考えあぐねている。
それで、影の一族の長が、呼ばれてこの場にやってきた。
「お前、名前は?」
「玲愛です」
「玲愛? お前は誰かと一緒にここに来たのか? 」
「由美や真美がいないから、たぶん一人で」
「一人で? この里の周りは、険しい自然の要塞になっている。とても、お前のような幼子が一人で来られる所ではないぞ」
「そんなこと言われても、耳鳴りがしたかと思ったら、周りの景色が、波打つように変わって、気がついたらここに立っていたの」
「なんと、それが本当なら、神隠しにでもあったか? だとしたら、ここに来たのは神の意思なのか?」
「あの。ここはどこなんですか」
「ここは、伊賀国の中ある」
「伊賀? 三重県の伊賀のことかな。でも、その言い方って、江戸時代の言い方だよね」
「いかにも、今は江戸時代だ」
「え、江戸時代! 私、タイムリープしちゃたの? 今何年何月なの?」
「今は一八五三年六月だ。それがどうかしたのか」
「ペルーが、黒船に乗って来た時代ね。もう、黒船は浦賀に来たのかしら」
「ペルー? 黒船? なんだそれは? 」
「そうか、黒船が来るのは七月よね。あのね、ペルーはアメリカ人、黒船は蒸気帆船よ」
「なんだそれは?」
「口で説明するのは難しいわ。あと二週間もすれば、浦賀にやって来るから見に行ってみれば」
「アメリカか……。たしかに、我々の情報では、長崎奉行がオランダからそのような書簡を渡されたという話があったな」
試案するような沈黙が流れた。
「よし、玲愛とやら、お前の言っていることが、本当がどうか確かめてから、お前の処遇を決めることにする」
玲愛はこれを聞いて、ほっと安堵した。玲愛の記憶では、あと二週間もあれば、事実が判明する。そうなれば、殺されることもなくなるだろう。
そこで、気持ちが軽くなったのだろう。黒胸が来航して、空砲を撃ったため、江戸の町が大騒ぎになって、「泰平の眠りを覚ます上喜撰、たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌が詠まれたという話まで、気楽に歴女の知識を影の一族に披露していた。
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