ブラックベアー・ディザスター~~二人の少年と人食いグマ~~

武州人也

キラー・ブラックフット

「この間の相手が陰キャでさぁ、会計が割り勘だったのサイアクって感じ~」

「うはは、ウケる」

「そんな男忘れてさぁ~オレらと楽しもうじゃん」

「そうだよそうだよ」


 河原の砂利の地面。その上で、若い男女二人ずつのグループがバーベキューを楽しんでいた。彼らの周りには誰もいない。貸し切り状態ともいえるこの状況の中で、彼らはアルコールが入ったこともあって顔を赤くしながら騒いでいた。


 埼玉県黒足市くろあししは、都心から時間をかけずに来られるということもあって、夏になるとレジャースポット目当ての人々が訪れる。だが今年は新型ウイルス流行の影響からか、川の畔のキャンプ場は閑古鳥が鳴いていた。

 そんな中、この四人グループは秋の連休を利用してこの地を訪れ、バーベキューにしゃれ込んだということである。


「ねぇ見て見て! あれ!」


 そのグループの中の一人の女性が、林の方を指差した。その方向には、何か黒いものがもぞもぞと動いている。

 それは、クマの子どもであった。この子グマは四人に気づいてはいないようで、鼻を鳴らしながら地面に顔を向けている。きっと木の実などの食べられるものを探しているのだ。

 子グマを見つけた女性は、クマの方にそっと近寄った。


「あれクマでしょ……平気なの……?」

「おい麻里、やめた方がいいんじゃねそれ」

「クマはやべぇって」

「大丈夫よ。こんなに可愛いのに……皆怖がりすぎなんじゃない?」


 麻里と呼ばれたその女性は、子グマに近寄るとその前でしゃがみ、懐からソーセージを取り出した。その時、ようやく子グマは麻里の方を向いた。黒い毛に覆われた子グマは、その円らな瞳も相まってまるでぬいぐるみのようだ。


「ほら、これあげるから、こっちおいで」


 ソーセージを差し出して子グマに向ける麻里。しかし、警戒しているのか、子グマは近寄る気配を見せない。何度か注意を引こうとソーセージをぶらぶらさせてみたが、効果なしだ。却って子グマは後ずさり、距離を取り始めた。

 その時、彼女を恐怖のどん底に突き落とすものが、すでに忍び寄ってきていた。


 いい加減、子グマに構うのも飽きてきた麻里が立ち上がった、その時である。


 がさ……がさ……


 草木のこすれる音が、すぐ近くから聞こえてきた。


「え? 誰かいるの……?」


 気になった麻里は、音のする方に視線を遣った。その時、彼女は言葉を失った。


 名も知らぬ草木の間から、一匹の大きなツキノワグマが、二つの目を彼女の方へ向けていたのだ。殺気だったその目を――


「っ――」


 麻里は頭が真っ白になった。クマは四つ足でのしのし歩きながら、一直線に向かってくる。この状況が大変危険であるのは、誰だって理解できることだ。


「きゃあああああ!」


 麻里は叫びながら、脱兎の如くに逃げ出した。だが逃げる麻里は、がさがさという音とともに、あの黒い巨体が迫ってきているのを感じ取った。クマが追ってきているのだ。

 麻里の叫び声は、クマを刺激してしまうものであった。加えて彼女が走って逃げだしたのもよくなかった。こういった動作はクマの狩猟本能を呼び起こさせてしまう。特に、冬眠に備えて栄養をため込む秋の季節であればなおさらのことだ。だがそのようなことは、彼女の知る所ではなかった。


 ――逃げられない。


 あのずんぐりとしたクマがこんなに俊足だとは、露ほども思っていなかった。もう、クマの吐息が聞こえる所にまで追いすがられていた。

 クマの鋭い爪が、麻里の背中を切り裂いた。あまりの激痛に、彼女はそのまま湿った土の上に倒れ臥してしまった。

 起き上がろうとした麻里。しかし、体をひねって仰向けになった彼女のすぐ目の前に、クマの顔があった。


「いや……もうやめて……お願いだから……許して……」


 このままでは、死ぬ。麻里の恐怖の感情は、涙となって流れ出した。この全く無意味な命乞いが、彼女の最期の言葉となった。



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