第8話 ビジネスを始めよう!

 

 とりあえず幟を立ててみたところ、すぐに通行人から話しかけられた。


「え? なにこれ? っていうか風呂入れるって意味?」


 そもそも幟が珍しすぎるためそっちに関心を持ってしまうという弊害はあるようだが、内容を理解してもらえているので成功だ。きちんと正しく伝わるデザインになったのはプァンピーのおかげだな。


「ん? なんだこりゃ。ほう。本を読みながら休憩」


 しかし、珍しいということはすなわちアテンション、驚きがあるということだ。

 現代の日本人ならそのまま通り過ぎるだろうが、この人達は初めて見る幟というものに対して、なんだろうこれはと気にかけ、足を止める。

 よってこの販促物の効果はとてつもなく高かった。

 吸い込まれるように俺たちの居た漫喫……じゃなかった宿屋に入っていく。


「へえ。これは君たちが作ったの?」


 そして、幟そのものに興味を持つ人も現れる。


「そうです! ご要望とあればお作りいたしますよ」

「じゃあ、早速相談させてもらえるかな」

「どうぞどうぞ、じゃあ中で」


 プァンピーは営業もできるのか。あっという間に商談が開始したぞ。

 しかし、いくら頼もしくとも出会ったばかりのプァンピーに、せっかく捕まえたクライアントを任せるわけにもいかない。

 宿屋の中に入ると店主が戻ってきていたのか、忙しそうに対応していた。俺たちが何の説明もしていないので突然客が押し寄せてどうしたことだと思っているだろう。申し訳ないが、その説明をしている暇はない。商談中にも次のお客様が来訪し、こちらもてんてこ舞いだったのだ。パレルの店も大忙しかもしれない。

 日が落ちる頃になると、さすがに来客が途絶えた。治安が悪いからというよりも夜に出歩く必要がないからだろう。コンビニも無いし、ファミレスも無いからね。みんな家に帰るか、もしくは酒場などに繰り出すのだろう。

 めでたくも、この漫喫……いや宿屋は満員御礼だ。

 こちらはこちらで幟の注文がたっぷり入った。明日も明後日も、現場視察やら打ち合わせやらやることが埋まっていく。しばらくは幟を作るだけで食うのに困ることは無さそうだ。

 明日からビジネスを開始できるとわかれば、今日はもう休みたい。


「プァンピー、お疲れ様のところ悪いが、店主に交渉してくれないか」


 今更にも程があるが、ようやく俺の寝床を確保する機会の到来だ。贅沢は言わないが、きちんとしたベッドがある部屋だと有り難い。


「ああ、はいはい。おっけーですよ~」


 そう言って、とててと小走りにかけていく。俺はロビーのテーブルに座ったまま、彼女が店主と交渉しているところをただ見ていた。


 スキンヘッドの店主は笑顔になり、プァンピーも破顔した。結果良ければなんとやら、説明不足を怒られなくてよかった……。

 プァンピーはフリスビーをキャッチしたゴールデンレトリーバーのように帰ってきてサムズアップ。なんと頼もしい。交渉は大成功したのだろう。


「私の部屋に泊まっていいそうです!」

「なんでだよ!?」


 大失敗じゃねえか。別の部屋を借りてくれよ。そしてなんでそんなにドヤ顔なの?


「なんと、全室埋まってしまったのです。もちろん幟のおかげで!」


 む。そりゃ、めでてーな。仕事の成果が出たことは、嬉しいことだが。


「私の部屋はさすがに貸さなかったそうです。下着が脱ぎ捨ててあったから!」


 だから、なんでドヤ顔なんだよ。恥ずかしがれよ。心底嬉しそうに報告しているが、いくら犬っぽく手柄を自慢したからって、ここで偉いねーと言いながら頭を撫でるやつがいると思うか?


「だからカオスさんは今夜寝床を確保できるというワケです。さぁ、感謝して下さい」


 そう言うと、腰に手を当てて、むふんと鼻息を出した。確かにそのとおりであり、恩人なことは間違いない。相手は犬ではないので言葉で感謝すればよいだろう。


「ありがとう」


 俺の言葉に反応したのかしてないのか、なんと微動だにしなかった。


「そんだけ?」

「えっ」


 どうやらお気に召さないようですね。それもそうか、してもらったことに対してあまりにも淡白すぎるか。しかしどうしたものか。当然金は無いわけだし。

 困り顔で思案していると、良いことを思いついたような顔でアドバイスをくれた。


「こういうときは、ハグをするんです。この国だと」

「ハ、ハグ」


 むうう、確かに、欧米ではそういう文化もある。しかし日本から出たことのない俺としては恥ずかしすぎることだぞ。むしろお金を払ってすることなんじゃないかとすら思う。


「ほら」


 抱っこをせがむ子供のように無防備に両手を広げるプァンピー。いやー、まじかよー。

 正直なところ心臓はバクバクだが、こちらでは日常的に行われる行為をそこまで意識しまくっているなんてことがバレたらそれこそ恥ずかしい。

 せっかく見た目が若返って異世界にやってきたというのに、若い女の子に翻弄されすぎだろ。


 一歩近づくだけで、緊張が高まり、ごくりとツバを飲む。

 プァンピーはどう見ても中高生くらいのあどけない女の子であり、にこにこと無防備に笑っているが、それが返ってこちらの心をざわつかせるのだ。わたし、条例が気になります!

 だいたい、数時間前には彼女のスケスケのお風呂上がり姿を見たばかりであるからして、下心をまったくゼロにするというのは難しいことだった。

 彼女はゆーっくりと近づく俺を急かすことはなく、じーっと見つめて待っていた。やっぱりやめようとは言えなかった。

 おずおずと身体を合わせ、腰に手を回す。

 栗色の長い髪からはこの世界のシャンプーなのか、フローラルな香りがする。


「もっと、ぎゅっと」

「はい」


 細い身体を抱きしめる。お腹に当たっているものがなにかは革のベスト越しでもわかる。心臓が破裂しそうだ。


「そこで頭を撫でる」

「え、そうなのか?」

「そうです」


 よしよしと頭を撫でた。もちろん犬にするようにではなく、小さな頃、泣いていた妹にしたように。彼女は猫のように目を細めた。


「そして感謝の言葉をたくさん言う」

「助かった、ありがとう、嬉しいよ、本当に感謝してる」

「いや~、それほどでも~」


 満足したのか、ぴょんとバックステップして、


「いい感謝の表現でした!」


 と極上の笑顔とともにお墨付きをいただいた。

 安心すると同時に、お世話になるたびにこんなことしてたら心臓への負担が大きいだろうなと危惧していた。

 そのような状態であるにも関わらず、気軽に俺の手を繋いで階段を登り、自分の部屋にいざなうという行為はおそらく無邪気なものであろう。胸はあるとはいえ幼い顔をした背の低い彼女を、かなり年上であるにも関わらず意識しすぎていることは恥ずかしいにも程がある。

 そうだ、彼女の部屋に一緒に入るというのも俺の考えすぎという可能性がある。こっちの世界では男女が一緒に眠るなんてよくあることなのかもしれない。

 うんうん、そういうことに違いない。冷静になろう。

 そしてプァンピーはドアを開け、一緒に中に入った。

 ベッドの上には下着がたくさん置かれていて、椅子にはブラジャーがかけてあった。


 ……そういえばさっき言ってたじゃないか! 部屋の中がそういう状態だから貸せなかったって! なんで一緒に入室しちゃったの?

 回れ右をしようとするが、がっちりと手を握っているので不可能だ。


「一旦部屋を出ておくよ」

「どーしてです?」


 俺は目を閉じているので表情は伺いしれないが、本当に疑問に思っているというよりはとぼけているように思えた。


「どうしてって」

「汚いから……?」


 おおう、下着は汚いもの。そういう考えもあったな。確かに俺のものだったらそう思うかもな。女性モノの下着をそう思ったことはなかったな……。


「違う、違う」

「じゃあ子供の下着でも興奮するからですか?」


 ぐっ。そんな俺がヘンタイであるかのような物の言い方はないだろう。

 そもそも、そういうことではなくデリカシーの問題なのではないか? って男から言うのもよくわからんな……。

 しかし子供って。本当に子供だったらむしろ問題あるまい。彼女は十二分にレディだ、特に胸が。

 こういうときはあれだ、俺がこの世界の常識とは少しズレている設定をうまく使うのが賢い生き方であろう。


「俺の生まれた国では、女の子の下着をじろじろ見ることは紳士的ではないとされているんだ」


 ちょっと芝居がかった言い方になってしまった。だって日本人として普通に生活してたらこういうセリフって一生言わないんだもの。洋画の世界だよね。


「なるほどカオスさんは紳士だから、女性として魅力的なプァンピーちゃんの下着を見ないようにしていると」

「そうそう」


 自分で言うんだ、というツッコミはとりあえずしないでおく。


「決してさっき偶然見ちゃった豊満かつグラマラスな扇情的なわがままボディと比較してショボいからではなく」

「うん? うん」


 豊満とグラマラスって同じ意味というか全部同じ意味じゃね、とかさっき偶然見ちゃったって何か俺ってそんなラッキースケベイベント発生してたっけ、そういえば朧気に網膜に焼き付いている気もするな、などとも思いながら曖昧な相槌をする俺。


「なるほど、なるほど、そうかそうか、わかった、わかりました」


 よくわからないが、納得してくれたのでこれでいいことにしたい。

 するとプァンピーは、ベッドに腰掛けブーツを脱いで、下半身に布団をかける。何? 唐突に眠くなったの? やっぱりお子様なの?

 彼女は右手でベッドの空いている場所をポンポンしながら、


「しょうがないなあ、おいで」


 とはにかみながら言いましたとさ。


「ええっ!?」


 何が!? しょうがないってどういうこと!?

 プァンピーが理解を終えたら今度は俺が理解できない状態に!

 待て待て、落ち着け。

 ヒッヒッフー、ヒッヒッフー。おいこれラマーズ法だな、出産するのかよと思いつつ、冷静になったからヨシとする。ヨシ!

 ほら、この世界の常識ってものがあるわけだ。うっかり勘違いするパターンだよ、あぶねー。


「ごめん、その意味するところがわからないんだ、この国のこと全然わかんないから」


 でた、必殺の何もわからないアピール。これは便利! 今後もこれで乗り越えていこう!


「あー、そうですか。正直なところその質問自体がこの世界ではデリカシーにかけるんですが、仕方有りません。これは性行為のお誘いです」


 うわあああああああああああああ!!!!


 なんとなくそうかなと思ってたらそうだっただけだが、これはヒドい。何も乗り越えてない。

 いや、待て、まだだ、まだ終わらんよ。


「すまん、そういうことは俺の国じゃあ、好きな人同士じゃないとしないんだ」


 どうだ、この紳士な態度。これだけスマートな対応であれば、自然に穏便に済ませられるに違いない。


「それはこちらでもそうです。私はそれでもお誘いしているんですから、拒否されると傷つきます」


 うをおおおおおおおおおおおおお!!!


 転げ回って、のたうち回って、地団駄踏んで、頭を何度も壁に打ち付けてしまいそうな衝動を押さえつける。

 恥ずかしくて顔が見れないが、その声とこのセリフはもう駄目だ!

 さっきまで元気印の娘っ子だったのに、なんだよその乙女な感じ。

 ごくり。

 バクバクする胸を抑えながら、目を開けようとしたらなにやら放送みたいな音が。ピンポンパンポーンではないが、似たような趣きの音色だ。魔法によるものだろうか。


「男性の皆様おまたせしました、今から入浴可能です」


 おお、そうか風呂が。入浴場は一つだから、時間帯で男女を分けているのだろう。風呂なんていつ入ったかって感じだ。あやうく「先にシャワー浴びてこいよ、俺が。臭えから」ってなるところだったよ。


「よし、風呂に入ってきます」

「えー」


 不満そうな態度を華麗にスルー。

 俺はこの世界にやってきてから初めてとなる入浴を行った。

 もちろんこれから行われるであろうことを想像し、念入りに身体を洗った。


 心を決めろ、俺。

 男だろ、俺。

 きっと条例は大丈夫だ、俺。


 満を持して部屋に戻ると、ベッドにはすやすやと気持ちよさそうに寝ている少女が居た。


 いや、うん。コレで良かったんだよ、きっと。

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