第4話 宿屋の魅力を確認しよう
アナログの地図はつらい。
スマホでGPS付きのマップがないと目的地につけない系男子なんだ、俺は。
東京タワーみたいなランドマークもないし、文字が読めないし、どうすりゃいいんだ。ちなみに道路標識は存在しない。あってもわからないだろうけど。
「道に迷ってるのかい?」
「え? ええ」
「この地図かい。ああ、近いね。着いておいで」
おお……おばあちゃんに道を教わるとは。
スマホがないことで人の優しさを知ったぜ。
「ここだよ」
「ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
おばあちゃんはしっかりとした足取りで去っていった。お元気だなあ。
え? これ?
ゲームの宿屋とかで「INN」っていう看板が出てるだけってこと多いけどさ。
家じゃん。
隠れ家レストランみたいだな。
木製の重厚なドアも開けるのに勇気がいる。オーセンティックバーでもあるまいし、寒くないんだから開けときゃいいのに。
中に入ると薄暗く、受付にも人が居ない。これじゃ客が来たって帰るだろう。俺はテーブルに置いてあったベルを鳴らした。
「うわ~! は、はいー! 今すぐ行きますっー!」
奥の方からドタバタという音と声が聞こえる。相当慌てているな。
「はい、はい、お客様」
「ぶっ―――!?」
な、な、な、なんという格好をしているんだ。その娘はびしょびしょに濡れていた。栗色の髪からは雫が垂れ、羽織っただけの白い服はところどころが透けている。背が低いので一瞬子供かもと思ったが、形がくっきり見える発育した胸が十分に女性だと主張していた。見ちゃいけないと思いつつ、目が離せない。
「ごめんなさい、どうせ誰も来ないと思ってお風呂に入ってて……」
「こちらこそすみません。俺は客じゃないんで。だから、ゆっくり身支度をしてからで構いません」
「お客様じゃない?」
こくこくと頷くと、ほっと胸を撫で下ろしてから、入ってきたドアから戻っていった。ふー。こっちのほうがよっぽど焦ったよ。
カップ麺を作るくらいの時間、立ったまま待っていると彼女はさっきと同じ服装で現れた。七分丈の白いワイシャツのようなものに、革のベストを羽織っていた。水はしっかりと拭き取られており、透けてみえることもないし、ボタンもきちんと留められている。栗色の髪も濡れてはいるが、水がしたたるようなことはない。
「お待たせしました。何の御用でしょうか」
「この宿屋が全く儲かっていないと聞いて、なんとかしてくれと頼まれた」
「ほえー。そりゃまったく儲かってないみたいですけど。なんとかなるものなんですか」
「うーん、なることもある」
そうとしか言えん。販促ってのは販売を促進することはできるが、どうやってもどうにもならないことはある。
しかし随分と他人事だな。店主の娘じゃないのか。
「しかし困りましたね」
「なにがです」
「私はこの宿屋がさっぱり儲かっていないから、店番をする代わりにタダで住まわせて貰ってるんです」
がくっ。
そういうことでしたか。
「ちょっと立ち話もなんですし、お茶でもしながら座ってお話しましょう。お客様には振る舞っていいことになってるんです」
俺は客じゃないんだが、有難い申し出だ。受付の横、テーブルと椅子が置かれているエリアに案内されたので座って待つ。彼女がティーセットを運んでくると、注ぐ前からいい香りが漂った。西洋風の町並みだが、お茶の匂いはオリエンタルだ。以前、台湾で飲んだものに近かった。
「あぁ、旨いですね」
「そうですか、私もお気に入りなんです」
「ところで、本当の宿屋の経営者や従業員は?」
「? ちょっと言葉が難しくてよくわかりません」
首をかしげられてしまった。まだ企業の概念がないのかもしれない。家族経営の時代っぽいもんな。単に若いから知らないだけかな。中学生くらいにも見える。
「む、すまん。あんたの雇い主は?」
「プァンピーです」
「あぁ、名前じゃなくて。雇い主はどこに行ったのかという」
「いえ。あんたじゃなくてプァンピーです。私の名前がプァンピーです」
そう言ってお茶をゆっくりと口に含んだ。自己紹介が先だろうと叱られてしまったな。そりゃそうだ、普通は名刺交換してから話をするものだ。俺も舌を湿らせる。落ち着く香りだ、ものすごくリラックスできる。では、改めて。
「これは申し訳なかった。プァンピーさん、俺は近藤……いや、カオスだ。カオスと呼んでください」
「カオス、よろしくおねがいします。私のこともプァンピーと呼んでください」
「よろしくおねがいします、プァンピー」
店主でも何でも無い、居候の彼女との挨拶に過ぎなかったがなんとなく長い付き合いになるような気がした。プァンピーは両手でカップを持って、大きな瞳を閉じながらゆっくりと一口飲んだ。俺もお茶の香りを愉しみながら、さっきの質問の答えを待つ。
「ボスは宿屋じゃ収入が無いので、出稼ぎに行きました。女将さんもです」
「そうか」
そこまで客が来ないのか。なかなか大変だ。しかしボスって。ボスと女将さんは対になる言葉か?
「そんなにこの宿屋は駄目なのか?」
本来は経営サイドの意見を聞きたかったが、アルバイト兼エンドユーザーだというならそれはそれで貴重な意見だ。
「私はいい宿屋だと思いますけど」
「どのあたりが?」
メモを取ろうとスマホを探してから持っていないことに気づき、近くのテーブルから紙とペンを掴んだ。率直な意見を集めることはとても重要だ。マーケティングの基本の基だ。
「他所の宿屋と比較したわけじゃないですけど……ベッドは普通だと思います。部屋も広くないし、風景がいいということはない。でも、お風呂があるんですよ」
風呂がある。普通だな。風呂がない方がどうかしている。日本人からすると温泉でもついてて当然くらいだ。
「私、お風呂なんてここで生まれて初めて入りました」
――え?
ここで生まれて初めて風呂に入った?
こんなに可愛らしい女の子が?
訝しげに見ていた俺の視線を感じたことは不快だったのか、プァンピーは異議あり! とでも言わんばかりに俺に指を突きつけた。
「なんです、貴族様なのかボンボンなのか知りませんが、そんな目で見ないでくださいっ。うちはシャワーがあったんですよっ? 水ですけど……」
そうか。そりゃそうか。時代的にも文化的にも、各家庭に風呂なんて普及してないか。となると、風呂があるというのはストロングポイントになるということだ。ストロングポイントってのいうのはいわゆるウリのことだ。弱点を意味するウィークポイントの逆の言葉だな。
「すまんすまん、ちょっとこの街に来てから日が浅くて。俺は金持ちじゃないんだが、出身地は家に風呂があるのは普通だったんだ」
「そんな国ありますかねえ……?」
職務質問をする警官のように、くりくりした目を尖らせて俺を見た。完全に疑われている。
「で、君は――」
話を誤魔化そうとしたが、手で遮られてしまった。ありのままあったことを話すぜ、とは行かないんだが、困ったな。
「プァンピー」
「はい?」
「だから、君じゃなくてプァンピーです、カオスさん」
「ああ、そうだったそうだった。申し訳ない、このとおり」
ぺこりと頭を下げるが、呼び名についてのことでホッとする。
「プァンピー、この宿屋を繁盛させたらそれは、プァンピーの助言のおかげだ。だから店主には俺から口添えをする。だから、もっと詳しく教えてくれないか」
彼女は胡散臭そうに俺を見ながらも、ぽつぽつと話してくれた。
もともと冒険者たち向けの宿屋のため、それなりに特化した設備があるのだという。その一つが風呂。
冒険者ってのはとにかく汚れている。冒険中は当然風呂に入れるわけがなく、モンスターを倒せば返り血を浴びるし、体液のようなものをかけられることだってある。だから部屋やベッドを汚されてはかなわないという意味もあって、まずは風呂に入ってから、というわけだ。風呂は贅沢なものなので先に入れと言われても文句を言うことはないらしい。
石鹸も強力なものが無料で使用できるそうだ。
次に、料金設定だ。普通は1泊いくらになるらしい。ゲームでも大体そうだ。ところが冒険者っていうのは必ずしも朝出かけるわけじゃない。夜にしか発生しないイベントもあるし、夜しか出てこないモンスターもいる。町で数日かけて買い物をして準備したい冒険者もいるし、一晩寝たらすぐに出発したい冒険者もいる。ということで、半日料金やら朝まで料金やら3日間料金やら細かく用意されているのだとか。
あと、これは個人的になんですが……と前置きされたのが、蔵書。もともと地図や武器や防具の図鑑、モンスターについての資料などを用意していたが、そのうち吟遊詩人向けに物語を置くようになり、リクエストに応じて本が増えていったから、宿屋には立派な本棚に様々な本が置いてあり、自由に自分の部屋に持って帰って読めるらしい。
うーん、これははっきりいってホテルとか旅館とかっていう扱いじゃないな。
この施設のいいところは、食事や観光スポットではなく、ましてや温泉でもない。風呂に入れることと、料金設定の細かさと、書籍の豊富さ? まるで漫画喫茶だ。だが。だが、それでいい。
「プァンピー、君の言う三つのポイントは間違いなく正しい。それこそ消費者が求めているニーズなんだよ」
「ふぇっ? ニーズ?」
「そのストロングポイントを訴求したい。ところでこの世界の識字率ってどのくらい?」
「ううっ? ひょっとしてカオスさんって頭いいんですか?」
いや、頭が良くないからこうなるんだろうな。相手がわからないような言葉を使って困惑させるなんていうのはまさに愚の骨頂ってやつだろう。ミーティング中に難しい用語で煙に巻くようなやつは俺も嫌いだ。
「ごめんごめん、文字が読み書きできるのは普通?」
「あー、田舎だと出来ない人が多いですけど、この街の人はほとんど出来ますね」
それはありがたい。文字が読めない人が大半だったらかなり苦戦することになる。
「普通の人がお風呂に入れる場所はある?」
「うーん、滅多にないと思います。軍隊の施設とか貴族のお屋敷にはあるでしょうけど。普通は水を入れた桶にお湯を混ぜて体を洗うだけですよ」
「じゃあ、宿泊しないでお風呂だけ入れるとしたら?」
「えっ!? 宿屋なのに!? でも、そっか。確かに嬉しいかも」
うんうんと頷いている。やはりな。そもそもこの街には銭湯がないのだ。でも風呂に入りたいやつはいる。
「つまりだ、風呂に入ったり、風呂から出た後に少し休憩するだけでもいいようにする。しかも本が読み放題。これなら宿泊しないで利用したいお客さんがいるだろ」
「いるかも。いや、多分います。でもどうやってそれを知ってもらうんでしょう。ここは宿屋ですよ?」
そう、そもそも宿泊したい客以外が寄り付かないわけだ。宣伝しようにもWEBサイトに掲示することも出来ないし、SNSで伝えることも出来ない。それどころか無料配布の冊子すら無いし、雑誌もない。もちろんテレビもラジオもない。媒体が無いから広告のやりようがないということだな。
しかし、そんな大げさなものはそもそも必要ない。
「店の前にのぼりを立てよう」
「のぼり……?」
のぼりは道行く人に向けた広告である。日本においてもそこらじゅうで見かけるものだろう。パチンコ屋の新台入荷だったり、ラーメン屋の煮玉子無料キャンペーンだったり、携帯ショップの乗り換え割引だったりを告知している。道路沿いなどに設置することで車や歩行者の目を引く事ができ、店舗への誘引を図ることができるわけだ。
これをプァンピーにどう説明したものか。
「のぼりっていうのはこういうかんじ」
とりあえず俺はメモに使っていた紙にすらすらと絵を描いた。ウォーターウェイトと呼ばれる地面に水を入れる重りがあってそこにポールを立て、印刷されたターポリンがはためくといういわゆるよくあるやつだ。
「えっ?」
訝しむプァンピー。伝わらないか。そりゃそうか。販促施策としては伝統的で原始的、とてもシンプルなものだが、それにしたって随所にテクノロジーが使われていることを実感する。そもそもフルカラー印刷なんて不可能だろうし、ウォーターウェイトも作れまい。この世界でやるなら石と布と棒だ。
俺は絵を書き直した。
「これならいいか」
「ん~?」
「こんな風に棒を立てて、布がこうヒラヒラするわけよ」
「は~?」
「布には絵と文字を書いておくんだ。こうやってお風呂の絵を描いて……お風呂あります、みたいな」
「これがお風呂……? しかも、なんですかこの文字」
書き直してもボロクソに言われまくる俺。どうやら理解に至らないのは画力の問題なのか? まぁデザイナーじゃないしね……。ってかそうだ、文字が違うわ。駄目じゃん。それに温泉マークは外国人に伝わらないと聞いたことを思い出した。参ったな。
「うーん、俺じゃデザイン出来ないな」
「ちょっと貸してください」
ペンを奪われた。
ささーっと手を動かすプァンピー。手首に青いリボンが巻かれている。この世界のおしゃれなのかな。
「つまり、こういうことですか?」
「おお、そうそう」
「んで、こう?」
「いいじゃん! 可愛いし!」
正直文字は意味わからんが、デザインとしては悪くない。風呂もリアリティとデフォルメの具合が丁度よく、ほとんどの人は風呂だと思って貰えそうだ。
「可愛い……確かに……」
自ら描いた紙を両手で持ってじっくりと見ながら、自画自賛していた。少し頬が紅潮し、鼻が膨らんでいる。
「他は!?」
「え?」
「他にも作るんでしょ、のぼり!」
「あぁ、そうだな。本を数冊描いた絵に、書籍各種読み放題とか書いたやつとか」
「ふんふん。こんな感じかな?」
腕まくりをしてから口の端から少し舌を出して、シャッシャと線を描いていく。なんかノリノリだな。
「どうかな」
「上手いな」
文字はよくわからんが、見た目は良い。バランスもいいし。
「へへ~」
またも紙を掲げながら満足気に笑った。どうやら楽しいようですね。お絵かきしている幼児みたい。ほっこり。
しかしデザインはこれでいいとしても、のぼりをどうやって作るか……。今までは印刷会社にネット注文するだけだったが、この世界じゃそうもいかない。考えてはみるもののなんにも思いつかない。
「なぁ、プァンピー。どうしたらいい?」
知らないことは知っている人に聞くしか無い。そして俺はこの世界じゃなんにも知らない男だ。ペンを握りしめた園児のような顔で絵を書く女の子に、臆面もなく教えを乞うた。
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