第2話 食堂に客を呼ぼう!
異世界にやってきたばかりのことである。
最初は夢だと思っていた。
トラックで轢かれた記憶もないし、ゲームみたいなステータスウインドウも出なかったから。
ただ転生したかどうかはともかく、夢じゃないと思ったのは空腹を放っておいたら死を感じたからだ。
親にも国にも色々なものに感謝したもんだね、そのときは。本当に腹が減って死にそうになるというのは、本当にツラい。
また、自分の身体が若いのがまたキツかった。今では感謝しているが、当時は神を恨んだものだ。なんせ食べ盛りの肉体なので、腹の減り方も尋常ではない。
それでもまだマシだったんだ、寒さに凍えることもなければ、身の危険も感じなかったのだから。
そう、俺は幸運にも寒くない地方でしかも都市部に現れたのである。
しかも街の所々に井戸があったので、水には困らなかった。
今にして思えば本当に幸運だと思う。
考えてもみれば、極寒の地で誰も味方がいない状態で、オークやゴブリンが跋扈するところにロクな装備もないまま現れる可能性だってあったのだ。
転生に気づいた当時は不幸を呪ったね。美人の女神が最初から味方になっていたり、レベルがMAXだったりするだろうに、俺のことを大好きな妹すら居ない。ふざけんなと思ったものだ。
しかし、今は逆だ。
むしろ現代の日本に生まれたことを幸運だと思うべき。
食べるものに困らない世界で、戦時中でもなく、衛生環境が整っていて、屋根もあって壁もあって。
教育がちゃんと受けられて、文字も読めるし。それだけでも有難いのに、テレビのチャンネルはいっぱいあるし、インターネットもあるし。
魔法も使えないで異世界にいることに比べたら、最高だよね。
季節も悪くなく、そこら辺で寝ても寒くて駄目だということはなさそうだったが、俺は街の軒下で眠るということは出来そうになかった。日本ならまだしも、おっかないからだ。流石に素っ裸で転生するということはなかったので、着なくても問題のなさそうなジャケットを質屋に入れて数日の宿代を稼ぐ事はできた。
どう見ても日本ではないのに、日本語が通じることから異世界だと判断したね。
しかし言葉が通じるだけでは仕事を得ることはやはり難しく、手をこまねいていた。
教会で乞うなりなんなりすれば、死なない程度には食事と寝る場所を与えてくれたらしいのだが、そういう発想がなかったね。現代日本人なら共感いただけることかと思う。
そんなわけであてもなくふらふらと町をうろついていると、裏路地の勝手口の前で木製の椅子に座っている親父が頭を抱えているところを見かけた。どうやら食堂のようだ。開きっぱなしのドアからは少しいい匂いが漂っている。
しかしこの感じ、俺はよく知っている。
潰れそうな飲食店にありがちな光景であり、以前のクライアントと雰囲気がそっくりだった。
「何か、お困りですか?」
たまらず、そう声をかけた。
頭を抱えて俯いていた親父は、ゆっくりとこちらを見て、大きくため息をつく。
「あんたみたいな死にそうな顔してるやつに心配されるとは、いよいよ年貢の納め時だな」
そうなのだろう。
生まれてこの方、本気で腹が減っているのは初めてかも知れない。普通の空腹と、命にかかわる空腹はまるで違うものだということを現在進行系で学習中だ。
「まぁ、そう言わずに。なんというか、私はそう、飲食店コンサルタントなのです」
厳密に言うと全然違うんだが、説明を
「はあ? こんさる? なんだそりゃ」
相手がおっさんだから日本語は通じるけど横文字が通じない、ということではないだろう。コンサルタントっていう概念がこの世にまだ存在していないのだ。
「簡単に言うと、売上を増加するお手伝いをする仕事です」
「胡散臭えな」
そう言われてしまうと、コンサルタントってのは弱い。
コックのくせにヒゲがもじゃもじゃのあんたの方が、見た目は胡散臭いのですがね。
「私は成功報酬しかいただきません。実際に売上が伸びたときに初めてお代をいただくわけだから損はないですよ」
「そんな上手い話があるか」
なかなか人を信じてくれないな。
「実はですね。私は経験豊富なのですが、この町にはやってきたばかりでまだ実績がないんです。だから、本当は事前に多額の費用がかかるところを今だけ無料というわけです。お得でしょう。頼まないと損ですよ」
親父は立ち上がると、腕を組みながら俺を下から頭のてっぺんまで見回した。
「金は一切払わないぞ」
睨むように俺を見ながらそう吐き捨てた。思わず肩をすくめる。
「良いですとも。ただし、食事は食わせてもらいますよ。いくら私だって不味い食い物じゃどうにもなりませんから。ある程度は美味しくないと」
「ああ!? 俺の作る飯が不味いってのか!?」
「ひいっ、食ったこと無いからわかりませんって」
日本人離れした赤毛のデカいマッチョの親父に凄まれてはかなわん。
「わかった、食わせてやる。どうせこのままじゃ売れなくて捨てるんだからな」
親父は勝手口から入ると親指でついてこいというジェスチャーをした。
中に入るとすぐに複数のスパイスが織りなすいい匂いが鼻孔をくすぐる。
馴染みのない香辛料ではあるものの、カレー屋に入ったような気持ちだ。
蒸かしたデカいじゃがいもが2つに、肉が入ったスパイスたっぷりのシチューのようなもの。ピクルスと思われるいくつかの野菜の小鉢。それに炭酸水が付いている。
「いただきます」
万感の思いを込めて言った。
俺は今、食事ができる喜びを本気で感謝している。
木の匙でシチューを掬って口に入れると、複雑な味が口に広がる。
腹に温かいものが入るだけで、生き返ったような気分だ。
じゃがいもは手で握り、シチューと交互に口に運んだ。
塩は少なめ、ほんの少しだけ辛味の効いたシチューはシンプルに蒸かしたじゃがいもと相性抜群。
空腹のせいなのか、本当に旨いのか、どうにもたまらん。
ピクルスは酸味が利いて、寿司屋のガリのように口をリセットしてくれる。
肉を口に含むと、数日ぶりに摂取したタンパク質の有り難さで神に祈りそうになる。
「うう、うめえ……」
「いや~、俺っちもお前ほど旨そうに食うやつは久しぶりに見たぜ」
食ってるところをこんなに見られているのもなかなかないが、こちとらそんなことにかまっている場合ではない。腹が減って死にそうなんだ。
炭酸水は少しだけ白ぶどうのような香りがして、ちょっぴりアルコールが入ってるみたいだった。氷をたっぷり入れて薄まった缶チューハイみたいだが、これがまた旨い。
バランスよく食べていくと、あれだけ空腹だったのに食いきれないくらい腹がいっぱいになった。最後の芋の一欠片を、炭酸水で流し込む。
「もういいのか、あんちゃん。芋ならいくらでもあるぜ」
芋は腹にたまる。もう無理だ。
空腹も度を越すと胃が縮むとでもいうのか思っていたよりも食えないものだ。
「いえいえ、本当に美味しかったです。これで客が来ないなんて、信じられないですね」
「あんがとよ。客が来ないのは当然っちゃ当然なんだ。この店は元々近くの修練場の兵士向けの食堂だったんだ」
ああ、そういうことか。
確かにここは人通りは少ないと思ったんだ。飲食店はなんせ立地条件が重要だ。大学の近くにボリューム満点の定食屋が出来るのと同じで、腹を空かせた訓練終わりの兵士向けに営業してたわけだ。
「修練場ってのは引っ越しちゃったんですか?」
「ああ? 何言ってんだ、戦争が終わったから閉鎖されただろう」
戦争が終わった。そうですか。少なくとも俺は戦争の道具として召喚されたわけじゃないってことだね。
しかし工場向けの社員食堂みたいなもんだったとすると厳しいだろう。工場が閉鎖されたらやっていけない。
これも戦争が終わったことによる影響だな。
「だからまあ、ここに客を呼び込もうってのは難しい話だ」
「そんなに難しいってことはないですよ」
俺は腹を撫でながら、すっかり諦めた顔に向かって言う。
本当にここには修練場しかないってんなら無理だが、ここは町の中だ。裏通りではあるが周囲の人口を考えれば十分にやりようはある。
「とびっきりの宣伝したって駄目だったんだぞ」
「宣伝?」
「ああ、うちの娘がな。広場まで行って、この店は安くて美味しいってずっと叫んでくれてな」
いや、それは無理だろう。
安くて美味しいですよって言われて食ってみようと思うんなら誰も苦労などしない。滅茶苦茶面白いから読んでねって作者がいくら叫んでも小説が読まれないくらい当然の結果だ。
「宣伝よりももっと効果的な方法がありますよ」
「それがあんちゃんのコンサルってことかい」
「そうです。少し離れた場所からお店に呼び込もうっていう話ですから、それに見合うメリットがないと」
「メリットだ? ここはメシ屋だぞ? 安くて美味い以上に何があるってんだ」
「安くて美味しいってことは来てくれた人だけが分かる話ですよ。今は新規顧客を増やさなければならない」
「出来るのか、あんちゃんなら」
「それが仕事ですからね」
自信たっぷりに笑ってみせる。
腹がいっぱいになったので、余裕が出てきたね。
「ほう、そこまで言うなら任せるよ」
「はい。ああ、できればその娘さんにお手伝いを頼んでもいいでしょうか」
「いいぜ、あんちゃんに任せる。ただし、惚れるなよ」
俺は肩をすくめた。
こんなヒゲダルマの娘だ。期待はできないね。自分の娘はそりゃ可愛いのだろうけど。
「今日だけ! 今日だけの特別割引! この紙をもって行くだけでなんと300スクエア! 300スクエアもお得になりまーす!」
そう叫ぶのは、赤毛の長い髪を編み込んで花柄のエプロンドレスを着た、高校生くらいの……美少女だった。
まさかあの親父さんにこんなに可愛い子がいるとは信じられない。さぞ母親が美しいのだろうね。
店から5分ほど離れた広場には人が集まっていた。ここで宣伝すればと考えたところまでは悪くなかったがな。
俺が行っているのは、宣伝ではない。
販売促進の中でもメジャーな方法の一つ。クーポンだ。
クーポンは宣伝とはまるで理屈が違う。
美味しいとかボリューム満点とか健康に良いとか、その料理そのものの魅力とは関係がない。
500円引きのクーポンを手に入れた場合、人はそれを利用したら500円得すると考える。もっと言ってしまえば、使わないと500円損した気分にさえなる。いつもより多少遠い場所に歩いて行ったとしても、それで500円貰えると考えるなら喜んで移動するだろう。これはとても強い来店動機になるのだ。
今回はこのままじゃどうせ捨てるだけというメニューに限って、1000スクエアで提供しているものを3割引にするクーポンを配布している。
これは値下げとはまるで違う。
最初から安いものってのは、みんなそれが本来の価値だと思ってしまう。
定価が700スクエアのメニュー、じゃ駄目で、あくまで1000スクエアのメニューがクーポンで700スクエアになる、でなければならない。それがお得感というものだ。
700円のラーメンと、1000円のラーメンをクーポンで300円引きにしたものでは期待値が違うことはわかってもらえると思う。
300スクエアってのがどのくらいの価値かは俺にはさっぱりわかっていないが、昼飯代が浮くのはみんな嬉しいだろう。
食ったこともない食堂にわざわざ5分歩いて食ってみようと思える人は、それなりにいるはずだ。
「何? この紙が300スクエアの代わりになるってのか」
「そうで~す! 1000スクエアの美味しい定食がたったの700スクエアで食べられちゃいま~す!」
「そりゃすげえ、くれくれ」
「お、俺にもくれ」
「私にもちょうだい」
クーポンには対象となるメニューの簡単な情報と地図も載せてある。
これで集客は成功するだろう。
数日後。
何度かクーポンを配布しているうちに、常連客がつき始めた。もう店が潰れることはそうそうないかな。
そう思いながら食堂でタダ飯を食っていると……
「この店を救ってもらっちまったな。飯を食わせるだけじゃ割が合わねえ。仕方ねえ、あんちゃん。報酬に……俺の娘を……やろう」
「いやいや! そんな約束してませんよ」
「なんだと? 気に入らないってのか」
「そうじゃないですけど」
参ったね。ビジネスの対価に娘を差し出すって時代劇じゃないんだから。ま、文明レベルではそのくらいかもしれんが……。
大体彼女が嫌だろう、と目を横にすると小悪魔っぽく微笑む顔があった。
「カオスさん、私のこと、好きじゃないんですか~?」
まるで私は好きですけど、という意味合いが含まれたような言い方!
くっ、好きになりそう。
正直な所、クーポンを一緒に作ってる時点でまぁまぁ意識はしてた。
だって俺この世界の文字も数字も書けないからね。彼女に書いてもらってたですよ。
テーブルの横に座ってるだけでもドキドキものだったっつーの。
そんでまた俺が意識しちゃってるのもバレバレなんだろうよ。このトレスって女の子は相当モテるに違いない。自分が女性として魅力的である自覚もあって、男性の好意に気づいてて、しょっちゅう声をかけられるという、ま~俺の人生で今まで関わったことがないタイプのイケてる女子だ。はっきり言って気後れしています。
チート能力とかは備わってないが、女性に奥手なところは異世界転生主人公っぽいだろ。わー、全然嬉しくない。
「トレスさんはちょっと、報酬としては貰いすぎです」
「あ、それって私のこと褒めてくれてます?」
にっこりと笑う彼女を正視できず顔を背ける。
「いつでも無料で飯が食える、それだけで十分ですよ。それでも貰いすぎなくらいです」
「な~に言ってんだ、あんちゃん。あんたがいなきゃこの店は潰れてたかもしれねえんだ」
そう言ってもらえるのは嬉しいが、俺はほとんど何もしていない。クーポンなんていうベタでありきたりな方法をやってみたらどうっすかねって言っただけだ。クーポン作ったのも配ったのもトレスだし。
「そうですよ、カオスさん、なんで話をそらしてるんですか」
やめて! 頬を両手で挟んで目を覗き込むなんてやめて! 心臓がバクバクしちゃう!
「ふふ、シャイなんですねぇ。大人っぽいのに」
本当は見た目以上におっさんなんですけどね。大人っぽいと思ってる男の頬をつまんでムニムニしちゃうような女の子は苦手だよ。ああ、恥ずかしい。
「まぁ、いいです。どうせ他所でご飯食べられないんだから」
そのとおりだ。彼女からは逃げられない。だからせめて今は開放してくれませんかね。そらせない目を瞑ったら、頭をポンと撫でられた。完全に子供扱いだな。
その後、しばらくはこの店でしか食事を摂ることは出来なかったが、今は営業先で食べることも増えた。しかし、彼女の俺に対する態度も、俺がトレスに対する態度もほとんど変わっていない。
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