7.解羅衣之際,態有餘妍,低幃暱枕,極其歡愛。




「ああ!?」


 僕は不機嫌を隠さず演出助手に唸り声を上げる。

 その声に慄きながらも、演出助手は平素通りのおどおどした態度で言い訳を始めた。


「す、すいません、恥ずかしいっていうのもあるんですけど……。あ、あの、こういうシーンって、一年の子達が、ヒイちゃうんじゃないかなって……。げ、原作もここは何しているのか微妙な感じでしたし……」


 僕は教壇から歩いて助手のそばにしゃがみ込むと、髪を引っ掴んで怒鳴り付ける。


「こういうシーンだあ!?」


「ひっ、ごめんなさい!」


 兎みたいに丸まって怯える彼女にまだ追撃。


「お前、こういうシーンって何だ!? 僕の演出に文句があるなら助手として解説してみろ!」


「え、え、それは、その……」


「ンダゴラア!」


「あ、あ……」


 存在ごと消え入りそうな声を出して、助手は動作を停止した。

 それを見届けた後、僕は立ち上がって教壇に戻り、口上を開始する。


「はい、というわけで、ここに僕の演出への疑義が呈されました。ですが、こういうことはよくあります。七人が台本を読めば、七通りの解釈があるはず。それならば一つの劇を作る際に各員の表現に齟齬が起きるのも自然なこと。その際にお互いの意見を集約し、自分の見解を示して表現を統一するのも演出の役割です。ここでは演出の仕事の一例と、台本の解釈について考えてみましょう」


 というわけで今のは全部仕込みなんだが、一年はハラハラしたままだ。今までの暴露が効いて僕が怖がられている可能性が濃厚。

 助手とは全然仲良いんだけどね、マジでマジで。


「先程、演出助手は『一年の子達がヒイちゃう』、また『原作もここは何しているのか微妙』と言っていました。それでは正確な台本の解釈をする為に、原作のこの先の場面を引用してみましょう」


 板書しながら解説を続ける。



解羅衣之際、態有餘妍。低幃暱枕、極其歡愛。



「薄絹の衣を脱いだ時、小玉の姿には余りある魅力が有った。二人はとばりを低く下ろして枕を近づけ、その“歡愛かんあい”を極めた。助手の言う『微妙』とはこの歡愛の解釈に因るのでしょう」


 僕は教卓から分厚い本を一冊取り出して、背表紙を周囲によく見せた。


「ここに、世界最大・最高の漢和辞典であり、諸橋もろはし轍次てつじ博士率いる日本の碩学せきがく達により数十年の月日を掛けて編纂された『大漢和辞典』があります。その諸橋大漢和によれば『歡愛』という漢語は以下の意味でした。『歡愛 よろこびいつくしむ。相和して馴れあひ親しむ。』、その後に『礼記らいき』としゃ霊運れいうんの詩、『顔氏がんし家訓かくん』から例が引かれていて、どれもその通りの使われ方をしています。さて、ここまでのことを考慮した上で全員の解釈を聞いていこう」


 僕はまた舞台上に降り、部員達を横一列に並ばせる。


「はい、まず助手。男と女が服脱いで枕近づけてする『よろこびいつくしむ』ことってな~んだ?」


「え、えと、その……デートの予定立てたりとか……」


「はい違う。逃げるな、戦え。次、部長」


 部長は左の肘を擦りながら仏頂面で答える。


「十分前後の外気浴」


「はい違う。唐に『サウナでととのう』概念無いだろ。次」


 チカは首筋を掻きながら目を反らした。


「ヨガ教室。 ……ウチ、こういうの苦手や」


「はい違う。こういう時だけ恥ずかしがるな。次」


 照明は少し赤い頬を引き締めて答える。


「自作PC、組み立て」


「はい違う。静電気は冬場でセーターとかじゃなければ脱がなくていいよ。次」


 音響は両手をもじもじさせながら、口を開いた。


「あの……お互いの体の、ほくろを、探し合う……」


「はい違う。そっちの方がエロくない? 次」


 衣装はめんどくさそうに息を吐いて、つまらなそうに答える。


「セックス」


「はい違う」


「はいはい……えっ?」


「お前ら全然わかってないな」


 目を丸くする衣装を置いて、僕は舞台隅の机の中からを引っ張り出した。


「男と女が服脱いで枕近づけてする『よろこびいつくしむ』ことって言ったら、トントンかみ相撲ずもうに決まってるでしょーが!!」


 そのまま僕がクッキー箱の土俵を床に下ろすと、李益と小玉以外の人間は舞台から走り去って芝居が再開する。


 BGMで寄せ太鼓。

 土俵を挟んで二人は一礼。


 トントントントン……。


「行け行け行け」


「倒せ倒せ倒せ」


 トントントン……パタッ。


「ああっ、ぼくの朝バイオレット龍ぜきがぁっ!」


「シェイコラァッ!」


 新婚の夫婦がトントン紙相撲で大盛り上がり。

 小学校の修学旅行みたいになっているが、まあ親密な雰囲気は出ていた。

 僕は口を開く。


「『おい結局逃げてんじゃん』と思ってる方もいらっしゃいましょうが、これまでの流れから実際にこの場で何が起きているかは大体わかるじゃないですか。このように、別に伝えたいことを全て台詞や動作で表す必要はありません。むしろ洗練された比喩を使いこなせば、表現はかえって脚本や演技の文脈を越えた鋭さを持ち、貴方の心を穿つ武器となり得るのです。この演出の意図はそれを伝える為なのでした」


「行けーっ、私のクアドラプルリーフ山ぜき!」


 トントントントン……。


「ぐあーっ!」


 いや、この光景に心を打たれる人間は一人もいないだろうけど。

 実際の所、濡れ場の稽古とか僕もしたくないし。


 数戦の後、二人はハアハア息を荒くして、どちらからともなく微笑み合う。


「お、お強いですね、小玉さん」


「そんな、たまたまですわ……ううっ」


 しかし突然小玉が顔を伏せ、袖で覆い隠した。


「ど、どうしたんです急に!? 」


「すいません……今この瞬間が楽しければ楽しいほど、つい考えてしまうのです」


 戸惑う男に女は滔々と語る。


「私は本来遊女の出、貴方との身分の違いはよくわかっているのです。今はこの色香で以てこんなに立派な方と目合めあうことができましたが、それも束の間の事。容色が衰え、愛情を失い心変わりされれば、風に舞った女蘿じょらのように寄る辺なく、秋の日の扇のように棄てられてしまうのではないか、と。この喜びの最中につい悲しく考えてしまうのです」



女蘿 蔓草の一種。蔓らしく木にすがりついているので、よく当時の女性の身分の比喩になってたらしい



 口上を聞いた李益は甚く感激し、キョロキョロしてから小玉の肩を抱いた。


「ぼくにとって一生の願いは今日叶いました。この上は粉骨砕身、全身全霊、もうどうなっても貴方を捨てません! そんな悲しいことは言わないで、どうか白い絹を持ってきてください。必ず貴方を捨てないと盟約をしたためましょう」


 小玉は袖で涙を拭いて顔を上げる。


「……信じていいんですね?」


 彼が静かに頷くのを見て、彼女は召使を呼び、筆や硯、それから白絹を持ってくるように言いつけた。照明が静かにやってきて、存在しないそれらの用具を厳かに渡す。

 受け取った李益は、手慣れた様子で床に台本を広げ、盟約を書きつけ始めた。

 小玉は男に肩を寄せ、絹布に美辞麗句が並べられるのを静かに見守る。


「ウチはここはちゃんと小道具用意した方がええと思っとったんやけどなあ」


 いつの間にか教壇に座り込んでいたチカがぼやいた。

 ムードぶち壊しだが、これも台本通り。


「想像力だよ、想像力。逆にこの場に見合う筆や硯に絹なんて幾らかかると思ってんだ」


 すげなく却下してもチカは平然と言い返す。


「言うてみんなの家から集めて、後はアマゾンで二千円ぐらいやろ。直に墨を擦る音、あと匂いで引き締まった空気の元、誓いの帛書ができあがるんや。最高やん」


「ますますダメだな。演出助手は習字ヘタクソだから」


 そこで李益が手を止め、台本を持ち上げる。

 それから夫婦で盟約の言葉をなぞり、微笑み合った。






 僕はポンと手を叩き、照明が明るくなる。


「はい、そこまで。今、茶々が入りましたが、実際この手の議論は芝居作りの間によく起きます。台本にある小道具を始めとした舞台上に出すモノをどこまで揃えるか、というのは大きな問題なのです。今の場面で言うと、原作では硯や筆は王家由来の大層な品々、刺繍の入った袋から取り出された絹布はえつ産で黒い罫線けいせん入りで、三尺さんしゃく。小池先生、三尺って何センチ?」


 急に呼ばれて助手は驚愕しつつも首を傾げた。


「うのっ?」


 これで一ウケ。チョロい商売だ。


「い、一尺が約三十,三センチだから九十,九センチ……」


「ですが」


「うのっ?」


「尺を始めとした尺貫法の単位は中国の前近代王朝ではそれぞれ長さが違います。このうち、物語の舞台となる唐尺とうしゃくでは三尺は何センチになるでしょう?」


「うのっ……唐は大尺が約二十九,六センチだから……えー」


「というわけで、大体九十センチ前後です。ちなみに現代の演劇でもセットや舞台の間口には尺貫法が使われているので、一尺=約三十,三センチ、一間=約百八十二センチというのは覚えておいて損はありません。と、少々脱線しましたが、このように原作を、それも時代と場所の違う原作を厳密に再現しようとすると大変な労力を掛けないといけないことは想像に難くありませんし、中途半端な出来ではみなさんも興冷めしてしまいます。そこで、能や狂言のように敢えてシンプルな画面で想像力に訴えかける手法を採る戦略もあり得るわけです」


「でも、ウチはゴテゴテしてるのがええわ。だって舞台が綺麗ならそれだけでみんな満足してくれるんやで? 台本がゴミでも演技がクソボロでも」


 チカの言うことは一理ある。


「確かに僕らも見栄えするセットをみんなで頑張って作ることもあります。しかし、最初にお話したように今回は我が部の素の姿を見て欲しいので、敢!え!て!やっているのです!」


「今日は素が出過ぎてもう素っ裸やけどね」


 『台本に無いこと言うな』とめつけると、チカは本当に台本に目をやってから顔を上げた。

 ……来たな。


「それで『去年の地区大会では仕込みが時間オーバーして他校の先生から死ぬほど怒られたし、結果も最下位だった』件はどうなんや?」


 なーんだ、そんなことか。


「ああ、一年の子達にも説明しておくと、高校演劇ってねえ、大会があるんですよ! 各校六十分以内で劇を上演して、その出来で上の大会に行く学校決めるんだけど、舞台を仕込む時間も二十分以内と決まってるんですね~。だから全員で急いでセット組んでたら、指示役の僕がパニクって舞台袖のサイドスポットライト蹴っ飛ばしてレンズ割っちゃってさ~」


 あれ、軽いエピソードトークのつもりなのに一年の子達がまたヒイてるぞ。

 まあいいや。


「あん時は泣くかと思ったけど、照明ちゃんがブースから駆け込んで代わりの灯り持ってきてくれて助かったというわけですね。頼れる先輩になるよ君はホント」


 と、照明にウィンクを飛ばして見せるが、彼女は頭を下げて、色の薄いポニーテールを揺らすだけ。

 まったく、クールな奴だ。


「ホンマあれはウチもダメかと思ったわ。まあ、本筋に戻るとつまりは……」


 俯いていたチカはうんうん頷いてから、また台本から顔を上げる。


「『照明は日常的に犯罪に手を染めている』ってことやね!」



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