5.           




「うわキツ」


 当事者二名が何も言わないので、照明の呟きが嫌に大きく地歴公民教室に響く。

 同感だ、食べ物ネタはキツいよ。

 客席もドン引き。


「あ!」


 チカのクソデカい声。

 奴が指差す先を見ると、音響の大きな瞳から涙が一粒、頬に伝っていた。

 音響ちゃんは視線に気づくと、顔を拭って頭を下げる。


「あ、あ、ごめんなさい」


 室内のキツさが+5ってところ。

 と、とりあえずフォローせな!


「ぼ、僕はあのチーズケーキ全部食べたぞ。春先とは言え保冷剤無しにタッパ詰めでなんか汁っぽいのはどうかと思ったが、美味しかったよな、ヨーグルトみたいな味がして!」


 音響の目じりに涙がもう一粒。


「ごめんなさい……レアチーズは高くて……お母さんがダメって……でも、みなさんと仲良くなりたくて……」


 え、そこ地雷!?

 部長を見るとこれみよがしに目元を抑えている。

 クソ、出しゃばらずにあいつに任せとくんだった。


 僕は全身から申し訳なさを漂わせながら音響に歩み寄り、背中を擦る。


「すまん。僕、社長の娘だから貧しさを知らな」


「お前はこれまでの人生で人を慰めたこと無いのか!?」


 部長にジャージの首元を引っ張られて強制的に慰めを中止させられた。

 屈辱。だが引き剥がされる寸前、音響から本物の憎悪を感じたので間違っていたのは僕だったかもしれない。


「うう……」


 すすり泣きのBGMがさめざめと室内の全員の耳を打つ……。

 こうなるとみんなの関心は自然と衣装の方に行くわけだ。


「何!? 私が悪いっていうの? 何の根拠も無いのに!?」


 彼女は破れかぶれに叫ぶが、言い分は間違ってない。ここまで犯人の言いっ放しで何も証拠は無いのだ。

 いいぞ、衣装、疑念を晴らせ!


「確かに私は音響のこと嫌いだよ? 暗くてドン臭くて、基礎練の後は何か押し入れの奥みたいな臭いするし。だからってそんなことしたと思われる謂れは無いから!」


 お前ーっ!

 追い詰められたからって正直に内心を吐露するなよ!


 発言を受けてボリュームが増大する泣き声。


「わ、私、悪く、ないし……」


 失点に気付いた衣装は、唇を噛み締めて顔を真っ赤に染める。


「何なのこれ……。私、先生から人が足りないからって頼まれて入っただけなのに。いつも可愛い衣装にしたいって言ってるのに、金や時間が無いってジャージとかショボいのばっかだし! こんな部活、大嫌い!!」


 そのまま顔を覆って、わなわな震えるだけ。

 後に残るのは心臓を掴んで離さないほどの気まずさのみ。


 地獄。

 舞台上に地獄が生まれてしまった。


 また僕の傍に三年二人がやってくる。


「ダメかな?」


 僕の質問に、部長が首を振る。


「二人にはケアが必要だ」


 その通りだ。

 部長は唇をへの字にし、チカでさえ苦笑い。

 まあ、こんなひどい公演さすがに初めてだものな。

 これまでも電気使い過ぎて停電とか、役者の台詞が数ページまるごと飛んで五回同じくだりをループしたりとか色々あったが、その度リカバーして最後まで演じ切ってきたんだが。

 今度こそダメか、中止の判断をせざるを得ないか。


「うーん、まあ仕方が……」


 言い掛けて、ふと客席が目に入る。

 一年生達が帰りたそうに尻をむずむずと動かしていた。



 血圧が一気に上って、僕の視界が真っ赤に染まる。



「いや、やっぱり続ける」


「は?」


「客がつまんなそうにしている。このままじゃ終われない」


 部長が眉根を寄せ、チカがニンマリ笑った。


「私の言ったこと、聞いてたか?」


「ケアだろ? わかってる」


 言いながら僕は頭をフル回転させて、を考える。

 それはほんの二、三秒で終わり、僕は舞台の前方に歩き出した。

 胸を張って、口を開く。


「あー、みなさん。どうしたのかと混乱されていることでしょうが、部活とはこういうものなのです。一つの目的に向かって日々ツラ突き合わせて活動していれば、不和なんて幾らでも起こり得るのです。先程から劇の合間に挟まれている部員に関する情報は全てデマですが、こうした問題に向き合うことも、演劇を作る力を育てることになるのです。演劇なんて大体は問題が起きてそれが解決するかしないかのどっちかですからね!」


 大分苦しい言い訳なのはわかっているが、これで客の気持ちがまた舞台に帰ってきた。


「というわけで、これから我が部のをお見せしましょう。さっき、部長の説明では基礎練では筋トレとか発声がメインだと言っていましたが、演劇の練習は体を鍛えるのみではありません。演技力を鍛える為の練習もあったりするんですよ? 例えば、シチュエーションだけ決めて台本無しで即興の劇をしたり、とかね」


 僕は無言で衣装と音響に手招きする。

 二人は初め無視していたが、しつこく手を振り続けると、顔をゴシゴシしてやってきた。


「この即興劇をうちでは『エチュード』と呼んでいます。エチュードでは表現力とか咄嗟の判断力が問われるけど、別に面白いことをしなくてもいいんですよ? 大事なのは与えられた状況を理解し、自分と他人の関係性を想像すること。台本が無いからこそ、『演じる』とは何かが問われるわけです。というわけで、衣装ちゃんは衣装ちゃん、音響ちゃんは音響ちゃんになって、二人で仲直りのエチュードをしてみましょう!」


「ッ! だから、私は!」


 再び激昂する衣装だが、僕は正面から向き合って語り掛ける。


「だから演技で良いんだ。クラスの子達に悪口を言っていた、チーズケーキ捨てちゃった衣装ちゃんって設定でね。エチュードはそういうモンなんだから、ね?」


 優し気に語り掛けるていだが、これでもう『エチュードで形式的に和解を済ませるしかない』空気を作ったので、彼女に断ることはできまい。


 部長は呆れ顔で非難がましい視線をこちらに送る。

 別にいいだろ、こんなもんで。


 僕は両手を掲げる。


「はい、じゃ、行きます。よーい、はい!」



 パン!




 手は勢いよく鳴ったが、二年坊二人は中々動き出さなかった。

 しかし全員からの注目が二人に『何かしないといけない』気持ちを生じさせる。


「……あのさ」


「な、なに?」


 先に切り出したのは衣装、応じる音響のぎこちない微笑み。


「私、他人の作ったお菓子、イヤなんだよね。別にあんたじゃなくても、なんか不潔そうで。ごめんね」


「う、うん、いいよ、別に……」


 お、即終了か?

 と、思ったが、音響の言葉は続く。


「でも、け、潔癖症なんだね……言ってくれればよかったのに」


?」


 衣装は鼻をヒクつかせて、茶髪の頭を掻いた。


「そういうとこ嫌い。スゲエ傷付きやすいのに、稽古のダメ出しの時も『言いにくいこと言っても大丈夫です』みたいなこと言って、ホントは何かあるとすぐ泣いて。結局『適切な距離感はそちらで探してください』ってことでしょ? サイアク」


 おいおい、真剣十代しゃべり場かよ。マジになり過ぎだって。

 レフェリーに入ろうとすると、部長からの強い視線を感じて立ち止まる。


 見れば、音響は意外と泣いてなかった。むしろ、言われた言葉を口の中でよく反芻して、それから答える。


「うん……わかってる……だから他の人からも本当は嫌われてるんだろうね。でも、中学ではそうしないでいたら、もっと傷付いてきたから……」


 そんで音響ちゃんも闇深いな!

 衣装はその告白にも動じず、ギラギラした目で音響を睨みつけながら口を開く。


「変える気ないんだ。じゃあ私も変えずにクラスで悪口言い続けるから」


「うん、慣れてる」


 二人は毅然と見つめ合い、しかし、じきに衣装が相好を崩した。


「いいよ。アンタ、捻じ曲がってる。嫌いだけど、別に演出の先輩ほど嫌いってわけじゃないしね。ごめんね、私、性格が悪くて」


 音響は衣装が伸ばした手を右手の甲で跳ねのけ、笑顔で答える。


「ううん、いいよ。ボクも悪いから。『演劇部って人間を演じる部活なのに、人間の下手な奴しか来ない』って、演出先輩もボヤいてたし……」


「えー、嘘でしょ? あの人が一番人間性終わってるのに?」


「ねー」




 パン!



「はい、そこまで! よくできました」


 ふー、と僕は息を吐く。

 良かった、丸く収まって。


「本当イヤな奴だよね、あの先輩。本番中にいきなりエチュードやらせるし」


「び、BGMもV系の歌付きのばっか流させようとするんだよ。センス無いよね」


 キュー出しをしても二人は僕の悪口で花を咲かせている。

 いいぜ、仲良くなるのは共通の敵を作るのが一番だからな!


 それにこれでわかったこともある。

 暴露も劇に取り入れてしまえば良いんだ。これで芝居を続けられる。

 部長とチカを窺うと、二人とも仕方なさそうに肩をすくめてみせた。


「よしよし、雨降って地固まる、仲良きことは美しきかな。というわけで、次のシーンですが」


「ちょっと待ってください!」


 意気揚々と語る僕に物申したのは衣装。


「どうしたのかね」


 顔を顰めて聞くと、彼女も意地悪そうに顔を歪めて口を開く。


「先輩は、エチュードしなくていいんですかぁ?」



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