4.               




 三度視線のシャワーを浴びるが、僕は自然とチョークを手に取っている。



※後日ちゃんと補填しましたけど?



 それから、パン、と手を打ち鳴らした。

 これは当初の予定通り。


「はい、そこまで。一端劇を止めます」


「お、自首するん?」


 チカは無視し、僕は客席にゆったりと語り出す。


「ここまで『霍小玉伝』を見てきてどうですか? 『昔の中国の話って、取っ付きにくいなあ』、そう思われていることでしょう。しかし、それはこの劇の台本を書き始めた時の僕や、台本を受け取った時の部員達も同じ。別に今回に限らず僕達は台本の設定次第で毎回舞台上に、未来の中南米や、冷戦期の宇宙ステーションを作らなければいけないわけです。が、そんな知識、普通の高校生にあるはずないでしょう? その為、芝居作りの初めに僕達はその台本の色々な設定や、その台本が書かれた背景について勉強します。それは例え現代日本の女子高生の話、それも登場人物は自分達を基にしているとしても変わりません。自分以外の誰かによって語られた時点でそれは自分には知り得ぬ文脈を持ち、知識を得て理解を深めることでようやく、その人やその状況を演じることができるのです」


 自分でも信じがたいことだが、僕が教壇で偉ぶって語ると、室内の混乱は急速に収まっていった。

 僕が狂言回しを演じれば、観客や部員達も聞き手を演じなければいけないと想像する。僕達が人生のどこかで身に付けた『劇の間は演技に集中しなければならない』という知識がそうさせているのだ。これは演劇の持つ不思議な力の一つ。

 僕もそれに魅せられてこの部に入った。


「勉強の仕方は色々あります。ネットや本、時には詳しい人に直接聞きに行ったりします。今回だと、古典の小池先生とか。 ……先生、『霍小玉伝』って、どんな話なんですか?」


 僕が問い掛けたのは演出助手。本物の三十代独身男性は誘ったが来なかった。

 急に振られてやつはパタパタ慌ててから、こう呻く。


「うのっ……」


 そうすると客席の一年達から笑い声が起こった。

 何故かというと、今のは小池が話し出すときの口癖で、小池は現在一年の六つのクラスの内四つの授業を受け持っている。

 つまりは内輪ネタだ。悲しいかな、我が部にはギャグセンスがある人間がいない。だからこんな低い笑いでも取らなくちゃいけんのだ……。


 まあ別に必ず笑いを取らなくちゃいけないわけでもないが。演劇って公演中は笑いと泣きぐらいでしか客の反応がわからないから、役者の精神安定の為にこういう工夫をするのも演出の仕事なので。


「うのっ、え、『霍小玉伝』? いや、漠然と聞かれても。な、何が知りたいのかな?」


「そうですね、ここでは霍小玉伝を始めとした唐代伝奇小説というものと、本作の特徴についてお願いします」


 僕は小池に教壇に上がるよう手で示す。

 おずおずとやって来た彼は、円らな垂れ目をパチクリしながら、チョークを取った。

 聞き慣れない用語を板書しながら、彼の講釈が始まる。


「うのっ、じゃあ。唐代伝奇小説というのはね、読んで字の如く、なんだよ? というのは、唐という中国の王朝であった奇妙なことについて伝える小説、というジャンルだからね。一年の子達は、中学でどれくらい唐について学んだかな? うのっ、ぼくも専門じゃないから間違ってたらごめんだけど、唐はね、律令りつりょうという法律の下、皇帝を始めとした皇族や貴族、それから科挙という試験に合格して登用される官僚達で政治が行われていたんだ。伝奇小説の主な担い手はその官僚達で、元は彼らが仕事の合間なんかに語り合っていたものと考えられている。まあ、他愛無いことも話していたろうけど、どうしてか自分の見聞きした不思議な話をするというルールがあったらしくてね、今残っているのはそういう話だけ。だから、『霍小玉伝』もある程度事実が基になっているんだ」


「へえ、どんなところですか?」


 僕の相槌に頷くと、小池は黒板の中央を指差した。


「李益は実在の人物だ。名族の出で、科挙に受かって、詩が上手いのも本当。七言絶句が得意で、特に辺塞へんさい、戦争に関する詩が有名でね。情感たっぷりでいいものだよ。役人としても最終的には礼部れいぶ尚書しょうしょ、官庁の一部門のトップにまで登り詰めた。ただ……」


 そこで言いにくそう僕を見るので、『どうぞ』と促すと彼は改めて語り出す。


「うのっ……異様に嫉妬深かったことでも有名でね。唐が滅びて、後の王朝が唐についてまとめた歴史書にまで何故かそのことが載っているんだ。『少しくくる忌克きこくにして、妻妾さいしょう苛嚴かげん防閑ぼうかんし、世にうは「ねたみは李益のやまいり」と』。多情で嫉妬や恨み深く、妻や妾を厳しく監禁していたので、世間では人を妬むことを李益病と呼んでいた……とね。実は『霍小玉伝』は彼がなぜそうなったかという物語でもあるんだよ」


「なるほど。つまり、霍小玉との破局の後、李益は嫉妬に狂ってしまった、というわけですね。まあまあなネタバレですが、この物語はそもそも当時の読者にとってもオチが予想された状態で語られたものなのでした。これでみなさんも『霍小玉伝』というテクストの厚みが深まったことでしょう。それでは、次は更に本作のタイトルロール、ヒロインの霍小玉について、少し教えてください」


 しかし小池の解説は続かず、演出助手は濡れた子犬みたいな目で僕を見ていた。左手でそっと自分の台本を僕に見せてくる。

 また暴露かよ。


 僕は両腕を広げて、それから左の拳で自分の左胸をトンと叩く。

 ノーガードだ、何でも受け止めてやる。

 もういいよ、どうせこの後みんなから死ぬほど怒られるんだし。


 その様子を見た演出助手は、恐る恐る唇を開いた。



「うのっ……それはね、『二年の衣装はクラスの友達に音響の悪口アホ程言ってる』だよ……」


「ちょっと!!」


 耐え切れず衣装の大声が木霊する。


 そこ行くか~。

 衣装は演出助手の元に詰め寄る。


「何でそんなこと言うの!? 信じらんない!」


「だ、だって、台本に書いてあったし、せ、先輩が言えって」


「私のことなら、先輩じゃなくて私に確認すべきでしょ!?」


 とか何とか、口論でもう劇どころじゃない。


 いいチョイスだよ、暴露犯。

 我が部で一番やる気ないし、ストレス耐性低いから暴発必至だし。

 何より暴露内容も……やってそうだし。

 あの二人、いつも会話が無いのが気になってたんだ。


 もう一人の当事者、音響はブース席で困ったようにはにかんでいる。

 ただでさえ幸薄そうな子で、見ていて辛い。

 普段なら仲裁に出ているはずの存在に目を遣ると、また僕の側に来ていた。チカもいる。


「どうする?」


 部長は簡潔に聞いてきた。

 三年が全員集合しているのは部としての意志を決定する為。

 二人は僕に判断を仰いでいるのだ。

 それは当然、仲裁するかどうかではなく、公演を止めるかどうかの。


 実際僕も悩んでいる。

 もう満足な形での公演は不可能だ。続ければこの先、暴露が続くことも想像に難くない。

 だが、このままテロに屈していいものか。

 何より観客が困っている。こんな顔で帰していいはずがない。

 んー。


「とりあえず、犯人は血祭りに上げないと」


 時間稼ぎに冗談を口走ると部長は顔を顰めたが、チカが真顔で頷いた。


「ほな、ウチが見つけたるわ」


 ゲッ。

 と思った時にはもう遅くて、チカがブース席に走り出した。


「せ、先輩!?」


 バカは音響のMacBookを奪い取り、スピーカーから何か変なEDM(エレクトロ・ダンス・ミュージック)を爆音で流し始めた。


「コナン君とかガリレオと同じで推理の時はBGMが要るねんな!」


 そのまま舞台の真ん中に踊り出し、身体をくねらせながらヘタクソなラップを始める。



「ウチが回すターンテーブル、ウチが被る探偵タンテイボウ。スゲエ頭脳ズノウワラらせレゲエFLOWフロウコタわせ。YOYO、コイツは大した謎じゃない、ポリスに任せるこたあない。えーと、混沌コントンキワめる舞台に今度コンドはひらめく裏切者ウラギリモノの、グワーッ!」



「せめて推理しろよ!」


「これからするところやんか!」


 僕がチカを羽交い絞めにし、部長がBGMを止め、沈黙が訪れた。

 衣装も助手も面食らって黙っている。

 チカの暴走のお陰で気まずい空気がリセットされたわけだ。

 ……この機に乗じて続けられるかも。


「あー、衣装ちゃん」


 生意気な後輩は小さな鼻をフンと鳴らして答える。


「……なんですか?」


「さっきのクラスではどうとかって奴だけど……本当じゃないよな?」


「もちろん嘘に決まってます!!」


 丸い肩をいからせしゃちこばる彼女に鷹揚おうように頷いてみせた。


「と、このようにこれまでのデマと同じく先程の発言も捏造されたものです。みなさんも信じてはいけませんよ。いいですね?」


 その場にいる全員に問い掛けると、みんなも不精ながらも頷く。

 儀式的な行為だったが、これで固かった空気が段々緩んできた。


「君、さっき部費の横領に後で補填したって言い訳してへんかった?」


 黒板消しで該当部分を消してから、僕は口を開く。


「あー、というわけで劇を続けましょう。はい、演出助手君、小池に戻りたまえ」


「は、はい!」


 小池は台本をチラリと見てから、教壇に戻り、黒板の三文字を指差した。


「か、霍小玉については実在は確認されてないんだ。ただまあ、この時代、李益のように科挙の為都にやってきたモラトリアムな若者がガールフレンドを作ろうとすることはままあったらしいね。例えば……」


 止まる予定のないところで小池が黙りこくる。台本を書いて全部暗記している僕じゃない他の連中でも、何が起きたか気付いた顔をしていた。

 助手は渋いもの食った顔で衣装を窺い、衣装も渋いもの食った顔で応じる。


「……言えば? どうせ嘘なんだし」


 助手は溜め息を吐いて、台詞を続けた。


「『衣装は前に音響が作ってみんなに配ったチーズケーキ隠れてトイレのゴミ箱に捨ててた』」



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