2.大曆中,隴西李生名益,年二十,以進士擢第。




 照明は最大光量。


「ハイハイハイ、寄ってって、寄ってって! 長安チョーアンいち饅頭まんじゅう、饅頭だよ!」


 最初の台詞は二年の衣装いしょう、大声で客引き。他の役者達も声を出し、それぞれ街の物売りの動作をしていた。


「どうだいどうだい邢州けいしゅう白磁はくじだよ、美しいだろう?」


「こいつは凄いぞ、西域さいいきから仕入れたワインだ!」


 瀬戸物屋が手を叩き、酒屋は赤ら顔でがなり立てる。

 ここはトウの長安、その市場いちばだ。


「よお、饅頭屋。売れてるかい」


 と、話しかけるのは三年の部長。

 丸めた台本を今度は肩にかけて棒手振ぼてふり


「今一だねえ、干物屋。十五年前の内乱からこっち、どこもかしこも財布の紐がキツくてね。何年か前にチベットの奴らにこの街を乗っ取られたのも痛かったね。景気けーきのいい話は無いもんかな」


 まずは町人たちの噂話で状況と設定を提示しようというわけだ。


「そう言えば聞いたかい? あのー」


「え?」


 衣装は二つに折った台本を手ぬぐい、額の汗を拭いつつドモった。

 彼女は去年の秋からの新入り。色々まだまだだが、度胸だけは一人前。


「アイツだよ、アイツ! えーと、えー、あの、ほら、が上手くて、最近進士科シンシカに受かって、隴西ローセイからこの長安に来た……」


「あのさ」


 熱心に語る干物屋に饅頭屋は首を傾けた。


「さっきからシンシカとかローセイとかって何?」


「……」


 二人は無言で顔を僕の方に向ける。

 僕は一つ頷くと、黒板に解説を書き始めた。


 本当はパンフレットに載せたり、雰囲気で流してもいい。でも今回はわかりやすさ重視でこういうこともやる。



進士科 しんしか 官僚かんりょうになる為の試験『科挙かきょ』でも最難関の科目


隴西 ろうせい とう(当時の中国)の北西の街


長安 ちょうあん 唐の首都。今回の舞台のメイン



 書き終えると、役者達の首がニュッと元に戻った。


「で、何の話だっけ」


「だからアイツだよアイツ! えーと、何だっけ着物屋!?」


 干物屋が声を向けたのはブース席。


えき! 李益!」


 二年の照明がハスキーな声でガナり、僕はその名を黒板の真ん中に書く。

 操作があるから数は少ないが、今回はスタッフも出演者だ。


 照明はシャイなのでかなり嫌がったけど。


「そうそう、李益だ! あの若造、前から気に食わなかったけど」


「けど?」


「家は名門、将来は安泰、詩の名人ってんで調子乗ってたけど」


「けど?」


「次の試験まで暇を飽かして、オンナ探してんだってよ!」


 饅頭屋はひっくり返った。


「はー! 確かに景気がいいや! ボンボンはいいねえ。でもどうせ理想が高くて見つかりっこないよ」


「それが、そうでもないらしいぜ」


「へえ」


 と言ったところで照明キュー、場転。

 あからさまな説明は短く切るに限る。


 灯りは舞台の客席から向かって右側だけ。

 商人達は一人を残してストップ・モーション停止


 独り照らされる酒屋=二年の演出助手はすっと直立し、傍の椅子に座る。

 台本を机に広げ、なにやら書きつけ始めた。

 夢中で書きつけていると、ブースから二年の音響がのっそりやって来る。

 背後に寄るが気付かない。


 やがて助手は、満面の笑みで台本を掲げ、書き終えた漢詩を朗読し始める。

 僕は徐に教卓からフリップを取り出す、詩と和訳の二枚組だ。


繡戶朝しゅうこのあさ眠起ねむりよりおき開簾すだれをひらけば滿地花ちにはなみつ

 春風しゅんぷう解人意じんいをかいし欲落妾西家ほっすらくはわらわをせいかにおとさん



訳: 朝お部屋で目が覚めて、カーテン開けたらお外がお花でいっぱいですわ~! 春風さん、この思いを理解して、愛するあの方の家にわたくしのようなこのお花を運んでくださいまし~!



「よし、いい出来だ!」


 パチパチパチ…。


 誇らしげな演出助手の後ろから拍手の音。

 驚いた助手が振り向くと、音響が澄まし顔で立っている。おかっぱ頭が艶やかで日本人形みたいなので、いきなり背後にいると実際怖い。


「李益さん、お見事! 実に可愛らしい五言絶句ですね」


 音響はしなを作って畏まった女らしくし、助手こと李益を誉めそやす。音響が一番の新顔なんだが、正直去年の春からいる助手より落ち着きがあって役者向きだ。

 どちらも本人の希望で今のポジションにいる。


「ほ、ほうさん。急に来るから驚いたよ」


 クリクリした目をキョドらせて李益が答えた。臆病なせいかキョドる演技だけは上手い。だからこの後も散々キョドらせている。


「ふ、ふ、ふ。いいじゃないですか、私と貴方の仲でしょう」


 鮑と呼ばれた女はふてぶてしく笑い、李益も遠慮がちに笑い返す。鮑はその顔を見て更にふてぶてしく胸を反らしてから口を開く。


「李さあん、今日は良い夢を見たんじゃあないですか?」


「え、え、それって……!」


 李益の声ににわかに喜色が宿った。


「ええ、ええ、もちろん。何しろ李さんからは依頼料をたくさんいただきましたからね。婚活エージェントとして、責任を持って貴方にお似合いの女性を調べました。そうしたらですよ、今、この下界に天女てんにょが流れてきてるのを知ったんです。彼女の方もね、お金は要らないし、ただ風流な人であればいい、と」


 ゴクリ、生唾を呑む音。


「ど、どんな天女なんだい?」


 鮑はさっと顔を背け、気をもたせるような流し目。


「……お姫さまですよ。とびっきり美人で、教養もあって、おまけに貴方のことが大好きな!」


「やったー!」


 李益は大きくガッツポーズ。

 立ち上がると、鮑の手を掴んでペコペコ感謝した。


「ありがとう、もう一生あなたの奴隷になって死んでも構わないぐらいだよ!」


 アニメキャラっぽく飛び跳ねて欣喜きんき雀躍じゃくやくを伝える李益は、やがて生暖かい目で見られているのに気付くと赤面して、椅子に座り直した。


「で、どこのどんな人?」


 鮑は一つ頷くと語り出す。


「元々はかくおう様の娘さんでしてね、小玉しょうぎょくさんと言います。王様には親子ともども大変愛されていたんですが、母親の浄持じょうじ様ははしためでして」


 僕は黒板の李益の横に霍小玉と記す。


「その身分のせいで、王様が亡くなられた後は他のご兄弟から一族とは認めていただけませんでした。それで財産を分与して外に住まわせて、姓もていえさせました。だから誰も彼女が王女だなんて知りませんが、その見目の麗しさはこれまで見たこともないほど。気品に溢れて、音楽でも古典でも知り尽くしています。昨日彼女から自分に似合う、良い男性を紹介して欲しいと頼まれまして、李益さんのことをお話しました。そうしたら彼女も貴方の事をご存じで、ガッツポーズしてましたよ?」


 李益は机の下で密かに拳を握りしめた。


「お住まいは勝業坊の古寺曲。初めに見える大きな門のあるお屋敷です」



勝業坊 しょうぎょうぼう 四角い長安を四角く百十個に切り分けた区画のうちの一つ


古寺曲 こじきょく ↑にある小道



「もうアポも取ってあって、明日」


「明日!?」


うまこく


うま!?」



午の刻 うまのこく 十一時から十三時頃



「小道のつきあたりに先方の召使めしつかいの桂子けいしがいらっしゃいますので、すぐわかりますよ。では!」


 と、鮑は小走りで立ち去っていき、照明の外に出ると座り込む。


「え、ええ……」


 独り残されて李益は、キョロキョロと所在無げに見回してから立ち上がった。


「おいっ、誰か! 誰か!」


「は、ここに」


 呼ばれて役者が一人、灯りの下にひっそりやってくる。

 彼は李益の家の下男。


「いいか。明日の為、従兄いとこ尚公しょうこうさんのとこから、とっておきの青毛あおげの馬と黄金のくつわを借りてこい」


「は、こちらに!」


 下男は即座に李益の傍の椅子を掲げて渡す。李益も頷くと、背もたれを抱えるように座り込む。

 李益がキメ顔をすると、ヒヒーンと馬のいななくSE。


「それから着物を洗って、沐浴の準備をしておけ」


「は、こちらに!」


 下男は李益から渡されたジャージの上を恭しく受け取る。

 李益はすっくと立ちあがり、水を浴びるようなパントマイムをして、再び下男に向き直り、ジャージを着直した。


「よし、準備は完璧だ! じゃ、もう寝るから布団の用意をしろ!」


「は、こちらに!」


 下男はノータイムで床に寝そべる李益の腹に椅子と机をひっくり返して載せる。『うぐっ』と呻き声がして、客席から少し笑いが起きた。


 下男が去ると、灯りがゆーっくり暗くなっていき、李益がポツリと呟く。


「うお~……」


 そして、暗転間際に叫ぶ。


「興奮して寝れねえ~」


 暗転。







 すぐに明転。

 舞台全体がぼんやり明るい。

 役者達はさっきと同じ配置のまま、つまり演出助手も机と椅子に埋もれたまま。


「暗転というものは、時間は短く、回数は少ないに限る。客の集中力と想像力が切れる時間だからだ。長い暗転を作らない方法は幾らでもあるが、例えば今はこうやって誰かに喋らせてその間に次の場面の準備をしている」


 と、客席に語り掛けるのは僕ではない。


「申し遅れた、私は三年の部長だ。演出が劇のまとめ役なら、私は部員のまとめ役ということになる。この場転の間、私から日々の活動について少し話そう」


 緑の黒髪をなびかせながら彼女は舞台中央前面に立ち、背筋を伸ばし堂々と喋る。

 週七で活動していることとか、基礎練習では何をしているかとか、簡潔に。


 安定した、淀みない発声だ。普段は不愛想な細面ほそおもても舞台上では溌剌はつらつとし、長い手足は指先まで抑制が効いている。もちろん全員素人の僕達の中で、部長だけがまるで“役者”みたいに演技できた。

 場転の用意を終えた部員達もチラチラ尊敬の目で窺っている。まさにこの部の精神的支柱だ。僕は彼女のバッグの中にリプトンのミルクティーを一パックぶちまけたことがある。


 全部ビショビショにしてやったぜ。

 犯行は完璧で、誰も僕がやったと気付かなかった。



「――さて、こんなところだろうか。じゃあ、主役こと二年の演出助手君、補足はあるか?」


「は、はい!」


 部長から放たれたパスを危うげに受け取る助手。机から解放されてもなお重圧を背負った表情は、頼りなく青白い。次の公演からは彼女が劇作りを引っ張って行くのかと思うと先が思いやられる。部長には誰を据えればいいのか、三年生の悩みの種だった。

 とは言え、今日はまあまあいい演技している方。入部したての頃を思えば成長したもんだ。


 ここまで劇の進行も滑らかだし、他の連中ものびのびと演技を続けている。今日まで面倒見てきてやった甲斐があったよ。


「ん……!? あれ? あれ!?」


 と、台詞を言う寸前、不安げに台本に目を遣った助手が何やら呻き出す。予定にない行動だ。その内、そろそろと僕の顔を見てきたので、なるべく怖い目で見つめ返す。

 台詞が飛んだとしても目の前に台本があるだろ、早く喋れよ。


 やや重い沈黙の後、観念した様子で演出助手は台本の台詞を読み上げ始めた。


「え、えーと、補足としては『演出が部長のバッグの中にリプトンのミルクティーを一パックぶちまけた』ことですかね!」


 ?


 ???


 んん~~~~~~~~~~~っ!?



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