新入生歓迎公演『霍小玉伝』
しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる
1.
「本日は
普段とは大違いの様子に笑いを噛み殺す。
その姿を見届けた
黒板側の舞台に戻りながら、
今回の観客は十三人、その内一年生は八人。
大入りだ。
客入れのBGMが煽られ、舞台上の灯りがフェードアウトしていく。
暗がりに覆われゆく一年生らの横顔。
その表情の陰影から読み取れる不安や戸惑いに満足する。
これから喜怒哀楽に染めてやるのだ。
抱き締めて頬ずりしてやりたいぐらい
僕は舞台のバミリの位置に付く。
完全に暗くなる前に今度は舞台を見回す。
部員達も観客と似たような表情だ、きっと僕も。
BGMが急速にアウト。
静寂。
◆
カッカッ!
照明が
合わせて2000
「どうもこんにちは。今日は新歓公演。一年生向けなので、劇をしながらウチの部活の紹介も兼ねて行こうと思っています。だから、こんな感じにしてみました」
こんな感じ、と自分のジャージの裾を掴んで見せた。
黒地に白いライン、アディダスのロゴ、背中には『
他の六人の部員も同じく上下部ジャーだ。
そして全員傍らに台本を携えている。
「まあ稽古中の姿そのまま。舞台もただの教室に、大道具は机と椅子が二つずつあるだけです」
しかも、その椅子や机には部員が四人、座ったりもたれたりとダラけていた。
「こんなんでいいのか、そう思われるかもしれません。いいんです。演劇というと
僕がポンと手を合わせると、それが部員達への
机に座っていた一人が机の上に上り、他の三人は距離を取って見守る。
上った一人――部長――は額に右手の甲を当て、天井を見上げる。
「ここはどこだろう。彼女は我々より高いところにいる。しかし、実際には地下。深い竪穴の底かもしれない」
フッ、と部長の脳天の電球だけを残し照明がアウト。
電球は教室の端から端に渡したワイヤーに吊ってある。針金と黒の
「核戦争で世界は荒廃し、生き残った者は地下に潜んだ」
白熱球の黄色い狭い灯りの下、最後の人類は唇を
「今、地上を見つめる彼女は何を思っているのだろう。もう戻れない汚染された大地だろうか。それともかつての美しかった故郷だろうか」
その台詞から一秒でキュー、他の照明が点いた。
「もしくは、ここは机より更に高いところ、雑居ビルの屋上かもしれない」
部員の一人が床に置かれた照明――『ころがし』と呼ばれる――のレンズの前に、めちゃくちゃに色を組み合わせたゼラ――照明の色を変える透き通ったフィルターのこと――を付けた枠を
教室が緑やピンク、赤、ネオンのように猥雑に
「夜の繁華街、塾の後。彼女は裏口から一人忍び込み、階段を上った。扉には鍵が掛かけられていない。風がコウコウと吹いている」
客席に対し横向きの部長は、左手の台本を丸めて握り、その腕を後ろ側に回す。
台本は彼女の腰元辺りで水平に。僅かな揺れも無くピタリと固定された。
「
背中まで伸びた黒髪は、実際には微動だにしていない。
だが、彼女の所作は屋上で儚げに揺れる人間そのもの。
肩は振り子のように落ち着かず、爪先はわなわな震え、しかも、手すりに見立てた台本はカッチリ動かない。
観客達の目は
そういうことができる奴なのだ、あいつは。
「あたしは――」
色の薄い唇からか細く、しかしよく聞こえる低い声が響く。
病んだ、しかし喜びに満ちた声。
グラ、と体が傾く。
「こんなところにいなくてもいいの――」
そして彼女はビルから解き放たれた。
暗転。
落下の
音の後、三秒かけて
役者たちはまた机と椅子でボケッとしている。
「ま、こんな感じ。劇は我々舞台側の努力と、貴方達観客側の想像力とで作るもの。今日は観る側にも色々知って考えてもらいたいし、できればその次はこちら側に回って欲しいと思います。その為に……」
僕は
「特別に舞台側に照明・音響ブースを作ってみました。どうか役者だけじゃなくスタッフの活躍も見てください。そんなわけで舞台上にいるこの七人でうちは全員。みんな女子だが別に男子も
一呼吸、演技っぽく手を胸に当てた。
「ということで、僕は三年の演出です。劇を作る時のまとめ役だと思ってください。面白くしたい、感動させたいと、今日までみんなで頭を捻って作ってきました。その日々を全て見てきた人間です。だからきっとこの劇を見れば、貴方にも高校演劇が何なのかわかると確信しています」
これで
僕が長く息を吐いている間に役者達が次の場面を準備し始めた。
と言っても、机と椅子を動かすぐらいで、その後はもそもそと台本に目を落としている。
「さ、そろそろ劇を始めましょう。今日のお話は『
黒板にタイトルを書く。
「知らない人も多いでしょうが、千年前の中国で書かれた恋愛小説です。若い男女が出会って、恋に落ちる。
客席から少し笑い声。
いいぞ、笑いの
「それに名作とは飽きたって面白いもの。原作が良いんだから、
アドリブで
……大丈夫か、こいつら?
不安に思いつつも、僕は両手を高らかに掲げる。
「稽古する時、役者やスタッフに出だしがわかるような合図が必要になります。声を出して、手を叩いて。これを我々は『キュー出し』と呼びます。キューってのはアルファベットのQじゃなくて三文字、
役者達に急に真剣さが出て、すっと役に入り込んだ。
これで場転が終わり、僕は両手を振りかぶる。
「じゃ、行きます。よーい、はい!」
パン!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます