第23話
ハルは頭は少し悪いけれど、ミル*キスというジェンダーフリーのブランドの服がとてもよく似合う。
あたしみたいに洋服にそんなにお金をかけていたりはしないけれど、お洒落でかわいい格好をいつもしていた。
駅前で、あたしは仕事を定時で抜けてきたハルと待ち合わせた。
仕事着のまま来るかと思っていたけれど、ハルはちゃんとミル*キスの洋服を着ていて、
「仕事終わったら結衣と遊ぶって言ったら、ナオさんが定時で上がれって」
仕事がまだ残っていたらしく、少し不満そうにハルはそう言った。
あたしを待たせるな、ということだろう。
余計な気をまわさなくてもいいのに、とあたしは思った。
あたしはハルに仕事を残してまで定時で帰らせたいとは思ってなかった。
一度ナオにはちゃんと話をする必要があるな、と思った。
「仕事着なんかで会いに行くなって言うから家で着替えてきたんだ。
なんかさ、ナオさん、俺が結衣のこと話すといつも怖い顔するんだけど、何かあったの?」
ハルにそう聞かれて、
「うん、昔付き合ってた」
あたしは嘘をついた。
「ナオさんがお前みたいなガキ、相手にするかよ」
嘘はあっさりと見破られてしまった。
付き合ってたのは嘘だったけれど、ナオはあたしの初恋の人だった。
あたしの初恋は、彼があたしのことをお嬢様とはじめて呼んで敬語で話してきたときに終わった。
ハルはいつまで、あたしのことを結衣と呼んでくれるだろう。
ハルといっしょにいるとき、ナオのときのことがいつも心のどこかで引っかかって心配で不安で、ハルといっしょにいるのはとても楽しいのに、あたしは心から楽しめなかった。
「ね、手、つないでくれる?」
あたしはそう言いながら、
「もう握ってんじゃん」
ハルの手を握った。
あたしとハルが遊ぶのはいつもゲームセンターだった。
ハルが得意なのはストリートファイターという格闘ゲームで、一対一で挌闘家同士が戦い勝ち進んでいくという、あたしにもわかりやすい形のゲームだった。
ヤクザの孫のあたしに言わせるなら、血で血を洗うような本当の抗争を知らない人たちが作ったお遊びの「ゲーム」だった。
ハルが使うケンという金髪で赤い胴着のキャラクターの手から何かが出たときはちょっとだけびっくりしたけど。
あと、ハルがそのケンというキャラクターをレバーをガチャガチャ真剣に動かす手の動きだけは抗争だと思った。
前に一度、ちょっとだけやってもいい? と聞かれて、いいよと答えたまではよかったんだけど、いつもならハルは20分程度で攻略できるはずのそのゲームは、向かい側にある同じゲームの筐体に座った人から挑戦を受けて対戦することができて、あたしはその機能のおかげで、後ろにあったソファで2時間待たされたことがあった。
ゲームセンターではハルはちょっとした有名人で、入り口のすぐそばにある階段を登って2階に上がる階段の途中や、人気のゲームの筐体の前で自分の番を待つ人たちからよく声をかけられる。
インターネットの動画投稿サイトには、ハルが出場した大会の決勝戦の動画が見れたりもするそうだ。
ハルは彼らに「先生」と呼ばれていた。
最近のゲームは、最初にまず500円くらい出してカードを作る。
もちろんカードがなくてもお金を入れればゲームはできるんだけど、そのカードは、自分の名前を登録したり、ゲームの成績などが記録されたりする。
あたしもハルの影響で、カードを何枚か持っていた。
あたしには挌闘ゲームはできないからレースゲームやクイズゲーム、リズムゲームなど、ふたりでできるゲームがたくさんあったから。
あたしは普通に「ゆい」と名前を入れているだけだったけれど、ハルはどうも「イッシュー」という名前で登録しているみたいで、あまりにハルがゲームが上手だから「先生」と呼ばれているようだった。
ハルが得意なのは挌闘ゲームだけらしかった。
別にとってほしいとも思わないけれど、クレーンゲームをする彼をあたしは見たことがなかった。
彼曰くゲームセンターのクレーンゲームにあるようなプライズと呼ばれるものはほとんど秋葉原に行けば中古のフィギュアショップなんかに普通に売っているそうだ。
「秋葉原、よく行くの?」
なんだかハルみたいな男の子には似合わない気がした。
「うん、たまに、ね」
ハルも言いづらそうにそう言った。
「たまに、っていうかよく連れていかれるんだけど……。
ナオさんが好きなんだよね、メイドカフェとか」
後頭部をぽりぽりと掻きながら、ハルは言った。
「あのナオがメイドカフェ?」
あたしは思わず噴き出してしまって、
「おかしいだろ?」
ハルも笑った。
あたしたちが通うゲームセンターは、横浜開港当初の街並みをイメージして再現されていて、スタッフも時代を感じさせる衣装で迎えてくれる。
ゲームも昭和を感じさせるものも充実していて、ハル曰くなかなかの穴場らしい。
上は映画館がある。
あたしたちはときどき映画を見た。
残念ながらあたしとハルの映画の趣味はまるであわなかった。
あたしは外国の恋愛映画が好きなのだけれど、ハルは字幕映画に慣れていなくて字幕を追いかけているだけで映画が終わってしまうと言った。
吹き替えもあるよ、と言うと、今度は外国人の顔の見分けがつかない、と言った。
ハルは、白人か黒人か、男か女か、太っているかやせているか、くらいでしか外国人の見分けがつかないらしかった。
外国の恋愛映画を観るとき、ハルは映画が始まって30分もすると、あたしの隣で寝息を立て始める。
映画を観終わった後で感想を語り合えないのは残念だったけれど、その寝顔を見るのは好きだった。
ハルが見たがるのはアクション映画や怪獣映画ばかりで、今度はあたしがハルの肩に頭をもたれかけて眠った。
映画館の半券を出すと食事の割引もあったりする。
その半券が使える、ゲームセンターに併設された、アミューズメント施設の一部にあるレストランは、お店の一部分が黒船のデザインになっていた。
メニューは洋食屋さんでお馴染みのオムライスなどがメインで、コーヒーが大きめサイズのマグカップで、おかわり自由だったから、あたしたちはゲームセンターで遊びつかれた後、本を読んだり、ケータイのワンセグでテレビを見たりして食事をしながら時間をつぶした。
──神奈川県の横浜市の市立高校で今年9月から10月にかけて、30代の妊娠中の教諭に対して、1年生の男子生徒11人が「流産させる会」を作り、食塩やミョウバンを給食に混ぜるなどの悪質ないたずらをしていたことが分かった。
そんなニュースをあたしたちはケータイで知った。
──市教委によると、生徒らは9月下旬、教室にある教諭の椅子のねじを緩めたり、車にチョークの粉や歯磨き粉を振りまいたりしたとのことです。10月4日には、理科の結晶観察で使った食塩とミョウバンを持ち出し、教諭の給食に混ぜるなどしたという。
──2学期を迎えるため席替えをしようとして、6月と9月に生徒と2度トラブルがあったほか、部活動でもトラブルが起き、注意したところ反発したということです。10月上旬に学校がいたずらを把握し、生徒と保護者に注意した。学校側は「命の大切さ、事の善悪、他を思いやる心の育成指導を徹底していきたい」とコメントしている。
──尚、ミョウバンは、食品添加物として用いられるもので、教諭にけがはなく、体調にも異常はないとのこと。
「ひどい話だな」
と、ハルは言った。
「そうだね」
と、あたしは言った。
ケータイのワンセグの画面が、あたしが通っていた学校を映していた。
「これ、結衣の、学校だよな?」
ハルがあたしの顔色を伺うようにそう言った。
その事件は、あたしが通う高校の、あたしが在籍していたクラスで起っていたことだった。
報道では男子生徒だけがいたずらをしていたとあったけれど、男子だけでは普通そんなことを思いつかない。
あたしは二学期に入ってからあまり学校に行っていなかったけれど、実際にはクラスの女子グループの何人かが加担して、男子たちに指示をしていたようだった。
その何人かの女子たちは皆まだバージンで、セックスを経験したからといって簡単に大人になれるわけじゃないけれど、彼女たちは同い年のあたしから見てもまだまだこどもだった。
こどもは、とても残酷だ。
だから、流産させる、なんてことを簡単に口にできる。
そんなことをしたらどんなことになるのか、彼女たちはまだ想像することができない。
あたしは彼女たちとは違っていた。
想像することができた。
ハルがいつか、ナオのようにあたしから離れていく、そのときのことを想像することができた。
だから今は、楽しもうと思った。
「ねぇ、今度ナオと三人で秋葉原に行かない?」
ゲームセンターでナオの話を聞いてから、ふたりだけで楽しいところに行ってずるいとあたしは思っていた。
あたしだって一度くらいメイドカフェに行ってみたかった。
三日後の朝、あたしは田所と轟に黒塗りのいかにもヤクザと言わんばかりの車に乗せられて城戸女学園に向かっていた。
運転は田所で、車が苗字に三つも入っているくせに車の運転ができない轟は助手席で田所をナビした。
あたしは後部座席に座って、車窓から見える景色を楽しんだ。
あたしは車にまったくと言って興味がなくて、今乗っている車の名前さえ知らなかったけれど、車窓から見る景色は好きだった。
轟がナビをしたと言ったけど、車にはカーナビがちゃんとついているので、彼はカーナビの女の人の声をただ復唱するだけで、迷惑極まりなかった。
怒った田所が轟のこめかみに拳銃をつきつけたりして、もう少しで車内で身内の幹部同士の抗争が起きるところだった。
お願いだから前を見て運転してほしかった。ハンドルから手をはなさないでほしいと思った。
「それにしても、もっといいCDないわけ?」
ちょっとした車内抗争が下火になった頃あたしは言った。
車内にはあたしにはまだその魅力がわからない演歌が流れていた。
確か、何とか流奈っていう田所たちより少し年上の演歌歌手だった。
「お嬢、それは流奈姐さんに対して失礼ですぜ」
轟があたしを振り返ってそう言った。
カタギの演歌歌手を姐さんと呼ばないでよとあたしは思った。
「もっといいCDと言いますと?」
田所も振り返ってあたしにそう聞いた。
本当にお願いですから前を向いて運転してください、あたしはなぜか敬語でそう思った。
「ラブスカイウォーカーズとかあるでしょ」
「ら、ラブっスか?」
女子高生に人気のガールズバンドをふたりが知るはずもなく、あたしはため息をついた。
「そういえば、そのラブなんたらウォーカーズっていうバンドの」
なぜそこまで言えてスカイが言えないのか、あたしは轟を問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。
「"reY"と"momo"、でしたっけ? 城戸女学園の生徒だっていう話ですよ。うちの娘が言ってました」
あたしは、ふうんと返事をした。
確か轟には中学生の娘がいた。
「お嬢を城戸女学園まで送り迎えするって昨日娘に話しましてね、サインもらってきてくれって頼まれちまいましたよ」
それは大変ね、と思ったあたしに、轟は色紙とペンを差し出した。
「お嬢、一生のお願いです。そのなんたらスカイウォーカーズのサイン、もらってきてくだせぇ!」
最初のラブがさっき言えていたのにもう言えなくなっていた。
絶対わざとだ、とあたしは思った。
それにしても安い一生のお願いがあるものだ。
「うちの娘、今年14になるんですが、いわゆる思春期ってやつですかねぇ、最近私のことをクサイだの先にお風呂は入るなだの洗濯物を一緒に洗濯するなだの、まぁ私を嫌うんですわ」
それは本当に大変だし、かわいそうだとは思ったけれど、
「ここらでひとつ父親としての威厳を見せてやりたいんでさぁ」
あたしは丁重にお断りした。
父親の威厳はラブスカイウォーカーズのサイン一枚で守れるほど安くないってことくらい、父親のいないあたしでもわかった。
ふたりはこれから毎日あたしを送り迎えすると言ったので、あたしはまた丁重にお断りした。
車のボンネットには大きな鬼頭の家紋があって本当に趣味が悪かった。
こんな車で送り迎えされていたら、夏目メイにあたしが鬼頭の孫娘だと自己紹介しているようなものだ。
「今日はもう迎えもいらないから。この学校、バスもあるし、駅から電車に乗って帰るから」
学園の校門のそばで車から降りてそう言うと、
「電車はだめです」
田所がそう言った。
「もしお嬢が痴漢に遇われたら、私、頭になんとお詫びすれば良いか……」
「あたしにヤクザ相手にウリをさせるくらいだからあのじいさんは何とも思わないんじゃない?」
「あれは組のためです。ですが痴漢は違います。自らの欲望のなすがままに、己の手をお嬢の体に触れさせ、あわよくば揉みしだき、下着の中にまで手を、あっ、アーーーッ」
あたしはドアを思いっ切り閉めて、ローファーの踵で思いっ切り蹴りを入れた。
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