忘却の罪 Ⅱ
漠とした空虚感に打ちひしがれているロンフォール。その姿を黙って見つめていた名代の男__リュングが、静かな流れつ様な動きで、僅かな距離を詰めた。
「リュング殿__!」
リュングが、すっ、と無言で人差し指と中指の二指で何の断りもなく、ロンフォールの額に触れる。
途端、大きな犬が毛を逆立てて噛み付く勢いで吠え立て始め、危険を察したシキョウが押さえ込む。その彼にも牙を剥こうとするので、ロンフォールは咄嗟に叫んだ。
「落ち着け……! シ、シーザー!」
言い放った途端、牙はむき出したまま、鼻息も荒い状態ではあるが、動きを止めた大犬。
どうやら、自分の命令には従うらしい。
__なら、俺はやっぱり龍帝従騎士で、これは狗尾……で間違いない……のか。
「大丈夫……なんだよな?」
目の前でなにやら始めようとしているリュングに、引きつった表情で尋ねた。
「記憶を探っている。害はない。暫し、黙ってくれ」
彼は意識を集中しているのか、すっと目を細め、指が触れているところというよりは、その向こう__どこか遠くを見据えているようである。
きっと声を掛けても、彼の耳はまったく受け付けないのだろう__そういった気配が感じられ、ロンフォールは固唾を呑んで身を任せるしかなかった。
その指先の温かなこと。何をしているのか分からないので、体は最初緊張していたが、次第に解きほぐされてきた。
やがてその指を離したリュングは、次いで大きな犬の額にも触れようとする。
途端、犬が再び警戒を強めたので、今度はロンフォールもその体を押さえ込む側に回った。
ロンフォールよりやや長く触れてからリュングは指を離し、無言で石に腰掛て腕を組み視線を落とした。
「シーザーには記憶がある。だが、騎士殿には記憶がない。欠片さえ残ってはいないのだ」
「それはつまり……」
「何者かに呪われた可能性が高いな。そうした形跡がある」
リュングは紅玉の瞳を仲間に向けた。
シキョウは先を促す意味で、槍を手に取り、肩に預けるようにして持ち替えると岩に腰を下ろす。
「シーザーの記憶を頼りに探ろうと思ったが……やはり私程度では、詳細を探るのは難しい。だが、間違いなく、騎士殿には記憶をいじられた形跡がある」
言ってリュングは顎をさすって、目を細めた。
「これほどの術を用いられる者は限られているが……」
「一体……どうしてこんな」
「一応、貴方は龍帝従騎士団では名うての騎士。我々ノヴァ・ケルビム派も貴方の武勲は聞き及んでいる」
シキョウの言葉に、ひっかかる言葉があってロンフォールは首をかしげる。
「ノヴァ・ケルビム派?」
尋ねられた2人は絶句し、顔を見合わせる。
「この国__世界には、大きく分けて10の種族がいる。……これは?」
ロンフォールは首を振った。
「……なるほど、これほど酷いのならば、頷ける。導師は保護するつもりで、連れてこいと仰られたのだな」
「龍帝従騎士である以前に、同胞。それもこれほどの咎人なればな」
「とがびと?」
ああ、とリュングは頷き、徐に頬骨の上あたりに触れるように促した。
誘われるように自分の頬をどんどん滑らせて上がっていく。そして、目尻付近で指先になにか小さい硬い物が触れた。それも2つ。
眉をひそめると、目の前のリュングは肯定するように頷き、彼もまた自身の目尻にある白い石に触れた。
「これは我らがケルビムたる証のひとつ__角と呼んでいる。ケルビムにとって、忘却は最大の罪__お忘れだろうが、貴方もケルビムだ」
宣告されたが、他人事にしか聞こえない。咎人と言われても、しっくりこない。
「……あ、ああ……」
そう答えるのが精一杯で、直面していることへの認識の隔たりを彼らも察したらしく、困り果てた様子であった。
「__俺、どうしたらいい?」
彼ら2人、腕を組んで考えること暫し。
最初に口を開いたのはリュングである。
「……導師が連れてこい、と申されている限りはそれに従うよりほかない。しかし、龍帝従騎士団__エーデルドラクセニア帝国において、我々は危険因子とみなされているからな……」
「エーデル…?」
「エーデルドラクセニア帝国は、タウゼント大陸全土を領地とする国です。あなたはその帝国の長である龍帝の抱える少数精鋭部隊、龍帝従騎士団のお一人」
「だから、あの怪物は龍帝の狗と……」
シキョウは軽く頷く。
「犬という括りのなかに、シーザーのような犬種があるのと同じで、この世には大きく分けて10の種族が存在します。先ほどの魔物は例外で、また別に魔物という括りがあると考えてください」
「神族、龍族、
「ノヴァ・ケルビム……片翼族だっけ? それは、ヒト?」
「ええ。ただ、我々の場合、ヒトの片翼族という種族ではありますが、さらに新しい派閥です」
「あれ? でも、シキョウ……さんには、コレがないけど……」
ロンフォールは言って自分の頬骨のあたりにある白い石__角に触れる。
「どうぞ、シキョウ、と。__私はケルビムではありませんから。人間族です。それも、タウゼント大陸よりもさらに東、蓬莱国の出身です。名前の響きが独特でしょう」
言って彼は足元の小石や枯葉を払って地面を晒し、そこに『子響』と複雑な模様を描く。
「し、きょう……とこう書きます。この字は漢字ですね。蓬莱国の文字」
「文字……」
一度見ただけでは、真似て書けそうにはない。まじまじと見入っていると、リュングが言葉を発した。
「ノヴァ・ケルビム派とは、導師セフィラーの元に集った勇士の集まりだ」
リュングは2人の視線を受けると、ロンフォールの目をまっすぐ見つめて続ける。
「ケルビム族は片翼族と言うのだが、種族の特徴として、この目の白い角の他に、必ず同性の双子で生まれる。双子の上は右翼、下は左翼を有する」
「有するって……」
ロンフォールの言葉に頷いて、リュングは自身の左肩あたりを握った。
「普段は腕となっているが、私の左腕は翼になる。兄姉であれば右、弟妹であれば左。だが、飛ぶことはできない。片翼なのでな。故に片翼族、という」
「片翼族は、双子が揃っていて初めて天命を全うできるのです」
「天命?」
「双子が揃って生きていられるのは、きっかり50年。もし、片割れが死んでしまった場合は、25年。25歳以降に死別すれば、片割れが死んでからきっかり1年しか余命がありません。もし、49過ぎに死別した場合はきっかり50歳になるまでになってしまい、余命が1年未満になりますが」
「どうやっても、50までしか生きられぬのだ、我々ケルビムは。__ノヴァ・ケルビム派とは片割れと死別した片翼の集まり」
静かに吐き出された言葉に、ロンフォールはリュングを見る。
彼もそれに含まれているはずなのに、彼の表情には変化がない。どこか諦めにも似た表情にロンフォールには見えていた。
その表情のまま、彼は淡々と続ける。
「さらに言えば、バンシーも失ってしまった者の集団だ。ヴァイナミョイネンに襲われようとしていたのであれば、バンシーが出ていて不思議ではないのだが……貴方も失ってしまっているようだ」
「ヴァイナミョイネンは、さっきのだよな?」
ええ、と子響は頷いた。
「__ヴァイナミョイネンというのは、魔物の種類。あの魔物にも名前が別にあり、ンジョモと。彼はヴァイナミョイネンと呼ばれることを、毛嫌っているんです」
だから、苛立たしい雰囲気に一瞬でもなったのか、とロンフォールは納得した。
「でも、なんで?」
「他のヴァイナミョイネンより、格上という自負があるようで」
子響は苦笑を浮かべて答えた。
「へぇ。__じゃあ、バンシーって言うのは……」
この問いに、リュングが若干表情を曇らせた。
「……見せられればよいのだが、私も失ってしまっている。我々、ケルビムにとって、もう1人の母のような存在だな」
「全身羽毛に覆われた、女性の姿をした精霊です。足には鋭い蹴爪があります。両手は翼になってしまっていて手としての機能を捨ててしまい、器用ではなく、ヒトの言葉は理解しますが喋れません。彼女たちの使命は、片翼の命を守り抜き、愛しむこと。無償の愛情を注ぐ存在ともいえます。生まれたときから、ひとりひとりに憑き、普段は影に潜んでいます」
子響はロンフォールの影を指で示した。
「影に棲んでいる?」
「まあ、あながち間違いではありませんね。通り道にしている、というのが妥当でしょうが」
「俺のバンシーは__」
「試しに呼びかけてみるといい」
言いかけた言葉を遮るように、リュングが声を発した。
「なんて?」
「影に向かって名前で大抵呼ぶが、今はわからないだろう。なら、出てこい、とでも」
ロンフォールは唾を飲んで、自分の影に視線を移した。
「……出てこい」
だが、いくら待てど、返事があるでも、変化があるわけでもない。
「やはり、もう、失われているのでしょう。__導師セフィラーは、ノヴァ・ケルビム派では唯一、有しておいでですが」
「失うっていうのは、死んでいるってことか?」
残念ながら、と子響は難しい顔で頷いた。
「でも、セフィラーという人はまだ持っている?」
「ああ。それに、導師セフィラーの一族は、もっとも古い一族で、代々ケルビム全体の長をなさっている。だが、導師セフィラーだけは別格であらっしゃる」
「違うってことか?」
「帝国が危険視するのも、無理もないほどに。あの方はケルビム族で初めて双翼となられている」
「それって……」
「両の翼を得ているのです。双翼は許された者として、半永久的な命を与えられている……謂わば、ある種の神に近い存在です」
「歴史上振り返ってみれば、我々ケルビムは迫害されてきた。それに加え双翼となってしまったが故に、危険視をされてしまうというのは当然と言えば当然。__いずれその力で、祖先の仇を討つのだろう、とな」
「ノヴァ・ケルビム派はそれが目的……?」
とんでもない、と子響は首を振った。
「__その力を振るい、帝国や多種族へ危害を与えることは、断じて許されてはおられない。私のような人間族の者にも救いの手を差し伸べるほど、他種族との共存共栄を強く望んでいる」
「ノヴァ・ケルビム派とは、これまで以上にそれを望む集団なのだ、レーヴェンベルガー卿。敵視されている帝国の、龍帝従騎士殿を受け入れようとするほどに」
詳しい彼らの歴史は知らない__覚えていないが、純粋にロンフォールは彼らが哀れに思えた。だが同時に歯痒かった。
他人事ではないはずなのに、他人事に感じてしまうのだ。
それに自身もケルビムであるのであれば、どうして帝国においてもっと内部からケルビムへの偏見を糺していなかったのだろう。否、そもそも、糺(ただ)していたのだろうか__。
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