ライムンド・シルヴァ・ククルーシア 2
と、入れた気合は何処へやら、上機嫌にあちらこちらと店を回るアリシアのおかげでこちらもだいぶ気が緩んでしまった。服飾品店に小物の店、帽子に靴、筆記用具に書籍、軽食にお菓子……。正直に言えば買い物はさほど好きではなく、必要なものだけさっさと決めてしまう性格だからこうして何件も店をはしごするのは苦行だ。だが。
「わあっ!ライムンド様、とってもお似合いですっ!」
「ありがとう。アリシアもその帽子、よく似合ってるよ。こっちの色違いも合わせてみるといい」
「この色も可愛いですね。……どうでしょう、似合いますか?」
「最高に可愛い。造花だけ付け替えられるようになっているみたいだから、それも何種類か買っていこう」
小さな頭につばの広い帽子を載せたアリシアがはにかむ。私の婚約者が可愛さで心臓を止めに来るのだが、どうしたら良いのだろうか。
崩れ落ちそうになるのをこらえて店員にアリシアが試着したものすべて購入する意図を伝えておく。無駄遣いじゃない。断じて無駄遣いじゃないぞ。
「………ユーアのことヤバイぬいぐるみだと思ってたけど、婚約者も大概なのね……」
「?ラミラ様、何か?」
「いいえ、何でもないわ。その帽子、よく似合ってるわよ」
「まぁ、ふふ。ありがとうございます。あ!せっかくですからラミラ様も同じものを買いませんか?お揃いにしましょう!」
一緒に店に入って来たは良いものの、伯爵家と王家の財布を使うことに躊躇しているらしく見るだけで済ませていたラミラ嬢に、すすすと近寄ったアリシアが笑顔で提案している。ちょうど手にしていた帽子を茶色い頭に被せておそろいおそろいと楽しそうにしている姿は実に眼福である。しかしあの二人が友人のように仲良くしている姿というのは、中身が違うとわかっていても違和感がすごいな。
婚約者の可愛い姿をしっかり目に焼き付けながら会計のために店の奥に向かえば、女性の会話に入り込めなかったらしい友人が苦笑しながらついて来た。入り込めなかったというよりも、そのままあの場にいたら自分も女性ものの帽子を被らされるかもしれないという危険を察知したのかもしれない。男性にしては線が細いからだろう、今までの店でもアリシアに女性もののスカーフなどをあてがわれたりしていた。
「女性は本当に、買い物が好きだね……。ライムンドも、よく付き合えるねぇ」
「確かに母の買い物に付き合うのは苦行だが、アリシアとならば何ともないな。可愛い婚約者を自分の手でより一層可愛くできるなんて、最高じゃないか」
「君って本当に、頭おかしいよねぇ」
「どこがだ」
はーやれやれ、と肩をすくめて首を振る友人は、積み上げられた帽子の箱を見上げて苦笑を深くしている。式典はもとより普段着ですら細かな決まりがある王子という立場にあるため、自分用に何かを買うつもりはないようだが、肩越しにアリシアにあれもこれもと頭に被せられている自分の婚約者を見て店員にいくつかの帽子を指差しているから、婚約者に買い与えるつもりはあるらしい。
(買うなら隣で話しながら選べば良いものを)
合流した当初こそしっかり婚約者であるラミラ嬢のそばでエスコートしていたが、何件も移動しているうちに少しずつ距離を取り始めた二人に、内心でどうしたものかと嘆息する。
私だって、いくら婚約者だとは言え、そうすぐに親しくなるとは思っていない。かつての殿下とラミラ嬢は今よりもっと以前から交流していたのに最後まで歩み寄ることがなかったし、私だって最初はアリシアと親しくなかった。そう、婚約者なんていうのはあくまで親が決めたものだから、何もしなくても無条件に親しくなれるわけがないのである。
だから親しくなろうと思ったら双方の努力が必要になるのだが……さて、レグロはラミラ嬢と親しくなるつもりがあるのだろうか?
きゃっきゃと楽しそうにしている女性二人から、隣でぼんやりと笑みを浮かべているレグロに視線を移す。
(この顔が、わからないんだよな)
無駄にキラキラしく整った顔面で、いつでも穏やかに微笑んでいるから内心が読み取れない。流石に剣術の鍛錬の時などは真面目な表情をしているが、それ以外はいつ見ても笑みを浮かべている印象しかない。
(これでも、以前よりはわかるようになりはしたが)
通算三十年近い付き合いだ。笑顔の浮かべ方で何となくわかることもあるが、それでも完全に理解し切れているとは思えないし、まぁそもそも理解し切るつもりもない。友人としては嫌いではないが、自分が死んだ元凶であるとか、死後にアリシアと無理やり結婚しただとか聞かされると、どうにも……。
(子供までいたらしいし……)
「なに、どうかした?」
「いや別に」
うっかり胸の奥にしまい込んだはずの感情が顔にまで漏れ出てしまったらしい。
軽く首を振って誤魔化し、支払いは終えたからとアリシア達の元に戻るべくレグロの背中を軽く押す。妙に察しが良いこの友人に、これ以上表情を読み取らせるわけにはいかない。
***
そうして休憩を挟みながらいくつかの店を巡って、とある文具店にやって来たときのことだ。
アリシアは当初の目的である私への贈り物を選ぶため、そしてどうやらラミラ嬢もレグロへの贈り物を探すために、片方はウキウキと、もう片方は緊張に顔を強張らせながら店内に入って行った。私もついて行こうとしたのだが、「ライムンド様にお送りするものを選ぶので、ライムンド様には見ないで欲しいのです」と申し訳なさそうに眉を下げながら言われてしまったらついて行くわけにはいかない。見ないで欲しいと言われたからには外から店内の様子を伺うこともできず、店の前で壁に背を預けて悶々と待ち続けることになった。
(レグロは入って行ってしまったが、アリシアは大丈夫だろうか)
店の外で待たされている私と同様に、ラミラ嬢から外で待っていて欲しいと言われそうになったレグロだったが、そこは自分の意思を押し通すことに慣れている男。有無を言わせない笑顔で、こういう時ばかりラミラ嬢の手を引いて店内に入って行った。
(てっきりアリシアが止めると思ったのだが)
互いの誕生日に手紙のやり取りをしていると聞いていたから、それなりに親しいのだろうという想像を裏切られたのは少し前のことだ。
婚約者に会いに行くという私に無理やり同行したレグロと顔を合わせたアリシアは、はじめこそ丁寧な……貴族令嬢らしい対応をしていたが、次第に表情は笑顔で固定され、口から出る言葉はひどく慇懃なものへと変わっていった。正直、傍で見ていても何が起きたのか良くわからなかった。
気づけばアリシアとレグロはどちらも似たような笑みで嫌味の応酬をしていて、アリシア狂いの使用人ばかりのカレアーノ邸には王太子に向けてはならない感情が充満しているという恐ろしい状況で。慌ててアリシアの意識を自分に向けることで一触即発の空気をどうにか霧散させることができたものの、これ以上二人に会話をさせてはならないと判断せざるを得ない状況でもあったから、当初の目的通りレグロとラミラ嬢とを会わせてお引き取り願った。
その後でぬいぐるみからアリシアに何があったのかどうしたのかと問われたけれど、そんなの私が知りたい。私が理解したのは、とにかくあの二人は気が合わないということだけだ。
ともあれ、そんな二人だから、自分が望まないかつラミラ嬢も望んでいないのならば、いくらレグロが押し通そうとしてもアリシアが妨害すると思っていたのだが、苦笑するばかりで止める気配は皆無だった。私の可愛い婚約者は一体何を考えているのだろう。
壁に凭れたまま暇つぶしがてら周囲を固めている護衛を数えることしばし。誰も彼も店内の三人にばかり注意を向けているなと内心苦笑していると、カランと扉に取り付けられたベルが軽やかな音を立てた。目を向ければ疲れ切った表情の少女の姿がある。これもまた、本来の持ち主が浮かべているところを見たことがない表情だ。
「あら、ライムンド卿。ここにいたのね」
「アリシアに店の外で待っていて欲しいと言われたのですから、ここにいるのは当然でしょう。ラミラ嬢はもう買い物を終えたのですか?」
「終えたと言うか、そもそも始まりもしなかったと言うか……。わたくしには、貴族御用達のお店で買い物をするのはまだ早いようだわ……」
「?そう、ですか?前回はそれなりの頻度で買い物をしていたように記憶しておりますが」
レグロへの正気を疑う贈り物の数々が脳裏を過ぎる。趣味はさておき、それらを取り扱っている店はいま入っていた店と同程度のランクの店だったはずだ。いつも自分で買って来たアピールをしていたから、そういう店での買い物は慣れたものだろうと思っていたのだが、違うのだろうか。
純粋に疑問で首をかしげると、鼻白んだように首をすくめて目を逸らした。
「以前は、オルテガ伯爵令嬢たちと一緒に買い物に行っていたのよ。殿下への贈り物にも助言をいただいていたわ。………やめて、そんな目で見ないで、わかっているのよ、あれはかなり趣味が悪かったって今はわかっているわよ!」
「それは良かった」
今はということは以前はアレが趣味の良い品だと思っていたということか、と驚愕する気持ちを胸の奥に沈めてゆっくりと頷く。レグロには本当に、私に感謝して欲しい。
過去のあれこれを思い出しているのか、一人で赤面したり青くなったりと忙しいラミラ嬢は放っておいて、店内に残っている二人の気配を伺うことにした。まだ覗くわけにはいかないけれど、ちゃんとそこにいるのか気配を伺うくらいなら許されるはずだ。
(目的が何であれ、一緒に居られるのは少し……気になるからな)
アリシアのあの様子では、アリシアがレグロに恋愛感情を抱く可能性は低いけれど、レグロはわからない。なんせ、前回はアリシアの気持ちは無視して結婚したくらいだ。今の二人を見て結婚するようには到底思えないが、困ったことにあの二人は何を考えているのか良くわからないから、何が起きてもおかしくない……という心構えでいようと思う。
と、店内に意識を向けていた耳に、「あら?」とたっぷりと驚きを含んだ声が入ってきた。無視したいところだが、同時にガラガラと車輪の音が聞こえてきたため眉を寄せながら顔を向ける。貴族の持ち物とは思えない、小さくて所々汚れが目立つ馬車。御者もあまり綺麗とは言い難い服で、馬の扱いもさほど長けていない様子。総じて、貴族とまではいかなくてもそこそこの富裕層ばかりが集まるこの界隈には少し違和感のある存在だ。
ラミラ嬢もその違和感に声をあげたのかと思いきや、その視線の先は御者がこれ見よがしに―――しかし他の角度からは見えないように巧妙にポケットから覗かせているハンカチだった。良く見れば、どこか見覚えのある紋章が刺繍されている。
(あれはどこの家だったか)
見覚えはあるのにすぐに思い当たらないということは、さほど関わりの深くない家なのだろうと推測ができる。しかし関わりが浅い家など掃いて捨てるほどあるため何の手がかりにもならない。
そうして表情には出さないまでも場違いな馬車を目で追いながら記憶をさらっていると、正直に驚きを顔に出しているラミラ嬢の前で馬車が停まった。店には迷惑なことに出入り口の目の前で話をしていたから、馬車が停まったのも店の前。この店に用があるのかと思いたくなるところだが、残念ながらそこまで平和ボケしているつもりはない。
「ラミラ嬢、こちらに」
「え?でもこの馬車は―――」
いいからさっさとこっちに来いと口にするより早く、馬車の扉が開いてどこかの貴族の使用人らしいお仕着せを着た男が胡散臭い笑顔でラミラ嬢の前に立った。そして手にした手紙を差し出して、小声で何かを耳打ちしている。
小綺麗なお仕着せを着ていても、良く見れば髪はべたついているし肌も全体的に薄汚れている。何より手……特に爪が汚い。浮浪者とまでは言わないが、下級層の住民が水浴びをして服だけ綺麗なものを着たようで、あからさますぎるくらい怪しい。おい誰だよ、こんな奴雇ったのは。
出来の悪い芝居を見るような呆れた気分だが、とにかくラミラ嬢がついていかないように注意しなければと思った矢先のことだ。受け取った手紙に目を見開いたラミラ嬢が自ら怪しさ満点の馬車に乗り込んでしまったではないか。
(何をしているんだあの女……っ)
馬鹿なのか。
教師は一体あの女に何を教えているんだ。
思わず本人だけでなく教師まで罵倒してしまったが、目の前で阿保なことをしているアレはあれでもこの国の王太子の婚約者。自分からついて行っているからと見送るわけにはいかない。
慌ててラミラ嬢を引き止めるべく足を踏み出せば、待っていましたとばかりに馬車の中から伸ばされた手に腕を掴まれて引き摺り込まれる。その瞬間に罠だったことに気づいたが後の祭りだ。
視界の端で従僕が追跡用の色玉を馬車に投げつけるのを確認しつつ、ため息を押し殺して引き摺られるままに馬車に乗り込むのだった。
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