第9話

 今更なことではあるのだが。

 ラミラ嬢が殿下の婚約者であることは確定しているものの、二人はまだ顔合わせすらしていない。というのも、ラミラ嬢の母親である時の魔女が国王陛下及び王妃殿下と話をつけて二人の婚約を取りまとめた後、予定していた顔合わせの前に倒れてそのまま寝入ってしまったからだ。寝入ってしまったのは逆行の術の影響だとラミラ嬢は言っていたけれど、わたしには詳しいことはわからない。


 で、別に母親不在で顔合わせをしても良いのではないかと思われるかもしれないし、実際わたしはそう思ったのだけれど、王侯貴族は婚約後の顔合わせの際に両親あるいは後見人の同席が必須となっているらしい。これには一応ちゃんとした理由があるそうなのだが、あいにくとわたしはその理由を知らない。だってほら、わたし、平民なので。


 それはともかく。保護者不在かつ後見人も未定だったラミラ嬢は顔合わせができなかった。らしい。


 だけど無事にラミラ嬢の後見人というか養親となる家も決まり、貴族令嬢としての教育も順調に進んでいるから、そろそろ顔合わせをすると言われてもさほど驚きはない。


 だけど。


「ああああああアリシアっ!どうしよう、明日っ!明日、殿下と会うことになっちゃった……っ!」


 そんなに急だとは思っていなかった。



***



 せっかく身につけたお嬢様らしい振る舞いを遥か遠くにかなぐり捨て、事前連絡もノックすらなくお嬢様の部屋に飛び込んできたラミラ嬢は、とりあえず近くにあったのを着て来ましたと言わんばかりのいい加減極まりない服装で髪も適当にまとめただけという、親しみやすさを通り越してズボラすぎる姿だった。


 ……姿はわたしのものだから、そんなみっともない格好をお嬢様にお見せするのは本気でやめて欲しいのだけど。


 一方でお嬢様はと言えば、肘掛け椅子に姿勢よく座ってご友人から勧められた本を読んでいるところだったから、こちらも部屋着姿だ。ただし、普段より装飾が少ないというだけで仕立ての良いワンピースに、髪もふんわりと可愛らしさは残しつつも邪魔にならないようにまとめて背中に流してあり、見苦しさなどかけらもない。このまま絵にしても天女の休息という題をつけて高値……いや、値段もつけられないような作品になること間違い無い。


 そんな天上の美姫なお嬢様は、突然の闖入者にも穏やかな微笑を向けていた。

 まぁ、この余裕の態度も、ほんと直前ではあったけど侍従が伝えにきていたし、廊下を走る足音も聞こえていたからですが。扉を蹴破らんばかりの勢いとかラミラ嬢の格好とか、驚くところは多々あれど、その驚きも淑女の笑みの下に綺麗に隠してしまうあたりお嬢様すてき。


「お母様もいきなり起きるし、起きたら起きたでなんかすぐ準備しなさいとか言って来るし!しかも明日!明日!?なんで明日!?準備期間はどこに行ったのよ!いきなりすぎるっ!」

「まぁラミラ様。今日もお元気ですね」

「うっ……突然押しかけたのは、ごめんなさい。でも聞いて、お願い聞いて!」

「もちろんお聞きします。でもまず座りましょう?あ、お茶の用意をお願いね」


 あわあわと目を回しながら頭に浮かんだことをダダ漏れにしていたラミラ嬢の肩に軽く触れ、見るものを安心させるような慈愛溢れる笑みを浮かべたお嬢様が優しく声をかける。座ったままのお嬢様に取りすがっていたから、今のラミラ嬢は床に膝をついた状態だ。さすがに未来の王妃をずっとこの姿勢でいさせるわけにはいかない。


 お嬢様に促されて定位置である長椅子に腰を下ろしたことで多少は落ち着きを取り戻したのか、顔色は悪いものの忙しなく動いていた口はきっちり閉じられている。そのまましばらく黙っていてください。


 お嬢様に声をかけられた使用人が戻って来てお茶の用意を整えるのももどかしいのだろう、いつもの勝気な表情は鳴りを潜めてひたすらに困惑と動揺ばかりが面に出ているラミラ嬢は、そわそわとお嬢様の様子を伺っている。お嬢様の発言と行動を邪魔しないようにとしっかり叩き込んだ甲斐があった。


「それで、殿下との顔合わせをされるのですか?」


 ゆったりとした口調での問いかけに、お嬢様に合わせてお茶を口にしていたラミラ嬢が小刻みに頷いた。


「そう。そうなの。ほんとついさっきなのだけど、お母様がそんなこと言い始めて……明日っていきなりすぎるわよね。これって普通なの?アリシアはどうだった?」

「私の時はもう少し余裕がありました。顔合わせをするとお父様に言われて、それからお互いの予定をすり合わせて……日時が確定したのは、二週間前くらいだったように思います」

「予定のすり合わせ……そうよね、普通そういう過程があるわよね」

「王宮やオルティス伯爵からは何もご連絡いただいていないのですか?」

「ないわ」


 即答したラミラ嬢に、数回目を瞬いたお嬢様がことりと首を傾げた。わたしも思わず同じ動きをしていた。


 だって。顔合わせというとこの国では男性側が女性側の家を訪問するのが一般的で、お嬢様とライムンド様の時もそうだった。だからラミラ嬢の場合、殿下がラミラ嬢の家を訪問する形になる。


 しかし今回に限って言えば、すでに養親の屋敷に移り住んだ後ならばともかく、まだラミラ嬢は実家……つまり一般家庭にいるため、そんなところに王家の馬車でやって来るなんてことはできない。そもそも婚約者の家を直接訪問するのだって、他の貴族に対するアピールの一環である。せっかく養親になって王家とのつながりを誇示できるチャンスなのに、養親がそれをふいにするなんて考えられない。だから普通に考えれば、最低でも顔合わせをするからいついつに迎えを送るとオルティス伯爵から連絡があるなり、あるいはすごく珍しいことではあるけれど、ラミラ嬢が王宮に出向くようにとの通達があるなりするはず。


 まさか王族が慣例を無視するなんてことはあり得ないと思うのだけど。


 うーんと首をひねるわたしの前で、お嬢様から貴族の一般的な顔合わせについて教わっていたラミラ嬢はなんとも形容しがたい顔をした。あえて言うなら、気まずさと恥ずかしさを混ぜたような表情、だろうか。いたたまれないという思いが透けて見える。


「きっと、お母様の暴走だわ……」


 ラミラ嬢が殿下と婚約を結ぶことになった原因を思い出した。


「ど、どうしたらいいの。わたくしにはお母様は止められないわ。お母様はそれこそ庶民として生きてきたから、わたくし以上に王族の前での振る舞い方なんて知らないし、きっと明日は特に事前連絡もなく突撃訪問するつもりよ。そんなのあまりにも失礼すぎるわよね!?」

「そうですね……父からは、陛下は寛容な方だと伺っていますし、殿下もお優しい方だったように記憶していますけれど、さすがに何の連絡もなく突然顔合わせを望むのは、心証が悪くなる可能性を否めませんね…」


 ひっそりと眉を寄せて呟き、対応策を考えているのだろうか目線を下げて沈黙したお嬢様は、今までにないほど深刻そうだ。そんなお嬢様の態度にラミラ嬢の危機感が煽りに煽られているようで、顔や指先どころか全身から血の気が失せている。

 けど残念ながらお嬢様の言う通りだ。いくら個人としては寛容でお優しい方だとしても、彼らには身分がある。責任と義務があるその立場を蔑ろにすることはできないし、許されない。


 ほんとに貴族って大変だなぁと現実逃避気味に頭の片隅で考え、ふと思い至ったことに小さく声を上げてしまった。パッとこちらを向いたラミラ嬢になんでもないと首を振っておく。


(そのままお嬢様の方を向いていてください。声を出して返事はしないようにお願いします。……もしかして、前回も突然王宮に押しかけましたか?)


 小さく首が上下した。

 やっぱりかぁ。なるほど、第一印象が悪かったわけだ。


 いくらお嬢様に横恋慕していたとはいえ、殿下は王族だからその責任を無視することはないはずと思っていたし、お優しいと評判の人が例え親が決めた婚約者であっても歩み寄る努力をしないとは考えにくかった。でも、第一印象が悪かったのならそもそもマイナススタートだし、交流していく中で良いところを見つけ出そうにも、前回のラミラ嬢は誤った貴族的振る舞いを身につけていたせいで良いところが無かっ……見つからなかったと思われる。


 だとすると、今ってものすごく重要なのでは?


 どきりと緊張に脈打つ感覚を覚えながら、そっと二人の様子を伺う。

 最善はきちんと慣例に則った顔合わせをすること。どうにかして時の魔女の暴走を止める。

 だけどお嬢様にはラミラ嬢の母親の情報は伏せているから下手なことを言えないし、さすがのお嬢様も知らない相手の暴走を思い留まらせるなんて難しいと思う。


 だから次善の策にはなるけど、顔合わせは回避できないとしても、その場でラミラ嬢の印象を下げないように振る舞うというのが良いのではないだろうか。


(印象を下げない……まずはその場で謝罪、でもそれだけじゃ足りない……虎の威を借りる?……ダメ、下手に他の人の名前を出すのは被害が広がる……)


 ぶつぶつと口の中で呟くようにして考えをまとめていく。わずかながら声が出ているのによく聞こえないせいで気になるのか、ラミラ嬢がそわそわしている。お嬢様に怪しまれるから落ち着いてください。


 三者三様に沈黙したために静まり返った空気を溶かすように、優しい声が落とされた。


「ラミラ様、明日のお召し物は決まっていますか?」

「え、ええ。お母様が決めていたわ。手持ちの中で一番豪華なものよ」

「豪華、というと、それは例えば舞踏会に出られるくらいに?」

「ええっと……そうね、舞踏会用かもしれないわ。すごく装飾も多いし、生地も上等なものよ」

「そうですか。その他の装飾品はお決まりですか?」

「ドレスと合わせて誂えたネックレスとイヤリングって聞いているわ。まだ見てはいないけれど」

「ドレスを豪華にしたのであれば装飾品は控えめにする方が多いですけれど、きっと大粒で存在感のあるものでしょうね……ちなみに、ドレスや装飾品をラミラ様のご意志で変更することは可能でしょうか」

「……難しいと思うわ。お母様、一度決めたら絶対に曲げないから…」

「なるほど」


 一つ頷いて、何かを飲み込むように一瞬唇を引き締めたお嬢様は、気分の落ち込みに合わせて俯いていたラミラ嬢が顔を上げる前に笑みの形に綻ばせた。いつもどおりの可愛らしい微笑みだ。


「お母様の意見を覆すことが難しいのであれば、せめてラミラ様は殿下とお二人でお話をするときに非礼をお詫びした方が良いと思います。お母様もいらっしゃるときですと角が立つかもしれませんから、お二人の時が良いです」

「お詫び……そうよね、大事よね、お詫び。……許してもらえるかしら」


 不安そうに顔を曇らせるラミラ嬢。

 てっきり前回は殿下に優しく接してもらっていたとおっしゃっていたから、謝れば大丈夫でしょなどと楽観視するのではと思っていたのだけど、予想外の反応だ。よくよく考えれば、突撃訪問をすることに不安を覚えているという時点できっと前回と違う。……成長されましたねぇ、ラミラ嬢。


「だってアリシアの言うとおりにしたら殿下には謝罪できても、陛下や王妃殿下には謝罪できないでしょ?絶対お母様は謝罪なんてしないもの、わたくしが代わりにすぐお詫びした方が良いと思うのだけど」


 別にお母様はわたくしが謝罪をしたところで何も気にしない、と続けるけれど、違う、そうじゃない。


「その場で謝りたいというお気持ちは素敵なのですけれど、きっとお母様はラミラ様のことを思って明日の顔合わせを考えられたのだと思いますから、そちらの気持ちも汲んだ行動をされた方がよろしいかと。それにラミラ様からの謝罪の意図は殿下を通じて両陛下に伝わりますから、問題ないと思います」

「そういうもの?……まぁ、アリシアがそう言うなら」


 ラミラ嬢が気づいているかはわからないけれど、時の魔女の前で謝罪をしないことには、時の魔女が余計なことを言わないようにするという意図もある。一つの失言が他の言動行動とどう繋がって変化するかわからないから、事態を把握しきれていないなら余計なことはしないのが良い。


 下手なことを言ってオルティス伯爵家にまで被害が出たら、ラミラ嬢とオルティス伯爵を繋いだククルーシア家、つまりライムンド様に悪影響が出かねないですからね……。どんな状況でも自分と婚約者のことを考えるなんて、お嬢様ってば貴族令嬢の鑑!


「それから、殿下にお詫びをするときにはできるだけ正直に全てお話ししましょう」

「全て、っていうと、お母様が暴走したとか?」

「はい。ただ暴走などと言ってしまうと陰口と取られかねませんから、角が立たないようにお気をつけください」

「難しいわね」

「ふふ、ラミラ様は教師の方々のお話をしっかり聞いて、どんどん知識や貴族らしい振る舞いを身につけていらっしゃいますもの。普段通りにされたら何の問題もありません」

「そ、そうかしら……?」


 お嬢様に太鼓判を押してもらえたことで自信が湧いてきたのか、来た時よりもずっと顔色が良くなっている。自信過剰になりすぎてもダメな気がするのだけど、まぁ大丈夫でしょう、……たぶん。お嬢様が注意していないのだから、たぶん、大丈夫。……不安が残るなぁ。


 念のため、わたしができる助言をしておこうとお嬢様の神対応・謝罪編を脳内再生する。いくらお嬢様が誰よりも素晴らしく可憐な人格者であったとしても、謝罪する機会が皆無ということはない。お嬢様ご自身の過失でなくても謝罪しなければならない時はままあるものだし。まぁ、わたしの目の前で謝罪をされることは多くなかったから実際に何回くらい謝罪する機会があったのかは知らないけど。


「婚約者なのですもの、ラミラ様は素直で可愛らしい素敵な方だって殿下にも知っていただかないと」


 にっこりと、どこか迫力のある笑みを浮かべるお嬢様を見て思った。


 自分の笑顔の使い方をよくわかっていらっしゃるお嬢様とラミラ嬢じゃ、全く同じやり方ってわけにはいかないな。

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