第8話

「殿下は外出をされることはあるのでしょうか」


 数日おきに開催されるライムンド様とのお茶の時間。市に最近やって来た見世物小屋の話で盛り上がっていたところに、ふっと笑顔を引っ込めたお嬢様が首を傾げた。そのまま直ぐ隣に座るライムンド様を上目遣いに見上げる。


 その角度、ライムンド様にはクリティカルですよお嬢様!さすがです!


 縮まらない身長差のおかげで出会った頃から変わらない上目遣いを向けられて、いい加減慣れても良い頃なのに全く慣れる気配を見せないライムンド様は一瞬ぐっと唇を引き締めた。直ぐに綻ばせて柔らかな笑みに変えたけれど、耳と首の後ろが赤いからあまりごまかせていない。


「あまり聞かないかな。立場もあるし、そう気軽に外出するわけにもいかないんだろうね」

「やっぱり、そうですよね」


 予想できた答えに、しかしお嬢様は少し残念そうに肩を落とした。

 お嬢様が外出されるときですら、護衛の人選や訪問先の下見に街中に潜ませておく人員の確保、必要に応じて街の顔役への手回しなどなど、ありとあらゆる場面を想定しての準備を行なっているのだ。それが一国の王子ともなれば、ちょっと外出するだけでもわたしたちが想像する以上の根回しが必要になるのだろう。おそらく。知らないけど。


 でも、わかっているはずなのにお嬢様が残念に思うなんて。殿下に外出してほしいと思っていらっしゃるのだろうか。


 せっせとペンを動かして問いかけたわたしに、お嬢様は「ううん」と小さく唸った。


「無理に外出していただきたいと思っているわけではないのよ。ただね、私、先日ラミラ様とお買い物に行って、こうしてお茶している時とは違ったお顔を見ることができて。それまでよりずっと仲良くなれたように思えたの」


 だから、とここで再びライムンド様を見つめる。


「直ぐでなくて良いので……殿下も、ラミラ様と一緒に外出することができたら、お二人も仲良くできるのではないかしらと、そう思ったのです。……ライムンド様は、どう思われますか?」

(閣下、わかっていますよね。返答を間違えないでくださいね!)


 潤んだはちみつ色に見つめられて硬直していたライムンド様が、わたしの叱咤を受けてハッと我に返った。いま、絶対ライムンド様の脳内はお嬢様可愛いでいっぱいだったに違いない。気持ちはわかる。


 しかしここで返答を間違えさせるわけにはいかないのだ。


 殿下を話のタネにしているけれど、ほんのりと桃色に染まった頬に、期待に満ちた眼差し。ついでにここ最近はラミラ嬢にかまけてばかりで、お二人はこうしてお茶を飲むくらいの交流しかしていなかったという情報も加味すれば、ここでの最適解は導き出せるはず。


「え、えっと」


 ほらほら頑張ってその優秀な頭脳を働かせて!

 お嬢様のキラキラした瞳とわたしの威圧を込めた眼差しに押されてか、ライムンド様の頰に一筋の汗が伝った。


「いい考えだと、思うよ。だけどそれを殿下に勧める前に、自分でも効果のほどを知っておきたいかな……だから、近いうちに一緒に出かけようか、アリシア」

「はい、楽しみにしていますね!」


 少々挙動不審気味ではあったけれど、お嬢様が求める答えを返せたから及第点としておこう。

 上から目線でそんなことを考えながら、ふわふわと周囲に幸せオーラを撒き散らしている二人を見守る。


 さっきはライムンド様にお嬢様の意を汲むように促したけれど、正直なところ、こうしてお嬢様が誘いの言葉を引き出すような言動をするのは珍しく、わたしも少々困惑している。お嬢様は愛らしくて誰もがその願いを叶えたくなるような魅力をお持ちで、だからこそご自分の願いはあまり口に出すこともほのめかすこともしてこなかった。


 もちろんお嬢様だって人間だから、やりたいことも欲しいものもある。そういう時は周囲を誘導するのではなく、ご自分が動いて手に入れるというのが常だ。……その前に周囲が勝手に貢ぐこともままあるけれど、まぁそれは置いておいて。


 とにかく、お嬢様の深謀遠慮はわたしなんぞに理解できるようなものではないにしても、今みたいにわかりやすく相手にねだるようなことはほとんどしてこなかったのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。

 無言で観察するように見つめてしまっていたわたしと目があったお嬢様が「なあに?」というように小首を傾げた。うっ、かわいい。


 もうあれかな、特に深い意味はなくてたんにちょっと甘えたい気分だっただけかな。うん、それで良いんじゃないかな。だってお嬢様可愛いんだもん。何か腹黒いことを考えているなんて思いたくない。


 今まで考えていたことを全否定して思考を消し去り、わたしの言葉を待ってくださっているお嬢様に向けてペンを走らせた。


『お二人でお出かけされるのは久しぶりですね』

『せっかくですから、先ほどお話しされていた見世物小屋がいる間にお出かけができると楽しいのではと考えておりました』


 長い文章は疲れる。

 それでもお嬢様の目に汚い字を見せるわけにはいかないから丁寧に文字を綴れば、少し首を伸ばして読み取ったお嬢様がふわりと微笑んだ。それからライムンド様に視線を戻す前に、ほんの一瞬だけどわたしと合わせた目を細める。

 ……今のは。


「見世物小屋、良いですね。……あ、でもライムンド様はもうご覧になりましたか?」

「いいや、私も人伝に聞いただけで見に行ったわけではないんだ。でもまだしばらくはいるはずだから、その間に出かける予定を立てようか」

「はいっ!ありがとうございます」

「でもどうしようかな、見世物小屋のあるあたりに行くとなると、あまり馬車も寄せられないし、いつも通りの服装だと浮いてしまうんだよね。アリシアは大丈夫?」

「多少歩くくらいなら大丈夫です。服装については侍女たちに相談しないといけませんけれど、どういった服装が良いのでしょうか?」

「うーん、そうだね。平民が着るようなシンプルな仕立てのものが良いのだけど……アリシアの場合、それを着たら逆に違和感がありすぎて目立ちそうだ」


 ですよね。

 お嬢様は可愛いから何を着ても似合うと言いたいところだけれど、肌も髪も細部に至るまでピカピカに磨き上げられているため、質素な服を着ると容姿とのバランスが取れなくなるのだ。最高級の生地を使って一流の職人が仕立てた服を酒場の娘が着ても、服に着られている状態になってしまうという現象の逆だ。服がお嬢様に見合わない。


 そのことはライムンド様も、そしてお嬢様ご自身も自覚があるようで、揃って思案気に視線を彷徨わせた。ちなみにライムンド様は自分のことを棚に上げているけれど、ライムンド様だって高位貴族のご子息として全身を磨き上げられているから、お嬢様と同じで安すぎる服は似合わない人だ。

 だからまぁ、お忍びの外出を装うというのなら。


(裕福な商家の子供か、あるいは下級貴族を装ってはいかがでしょうか。それなら平民よりも多少良い服を着ていても違和感はないと思われます)


 お嬢様の生活しか目にしていないはずのぬいぐるみが商家の服装を知っているのはおかしいから、ライムンド様にだけ告げる。


 ちょっとお嬢様に疑われている気がするんですよね……さすがに時間を遡ったとか、元々は侍女だったとかまで気づかれるとは思わないけど。思わないけど、お嬢様だからなぁ……。


 疑われる行動は控えるべくライムンド様に視線も向けずに告げたことをどう思ったのか、ライムンド様はゆっくりと一度瞬きをしてから何事もなかったかのように表情を変えず口を開いた。


「私もああいった場所には詳しくないから、どういった服装がいいかもよくわからないのだけど……アリシアが着ても問題ない服で、見世物小屋に出入りしても違和感のない身分となると、豪商か、あるいは男爵家や騎士の家系、だろうか」

「豪商、ですか」

「もちろん、そのまま豪商ですという服装だと目立つから、そういった家の子供がお忍びで出てきたという風に装うんだ。だから服の形は平民風で、生地や仕立てはほどほどに良いものを着るのが良いと思うのだけど、どうかな」

「なるほど、楽しそうですね。あっ、せっかくそうして普段しない服装でお出かけするのなら、いつもとは違うお店にも入ってみたいのですが、よろしいでしょうか?」

「もちろん。市の出店を覗いてみる?露店もたくさんあるみたいだよ」

「露店!見てみたいです」

「じゃあ少し長めに時間を取ろうか」


 べったりくっついて仲睦まじく予定を話し合うお二人は、それぞれの容姿がとても良いこともあってまるで天上の恋人たちを描いた絵画の……別世界の住人のようだ。麗しい。すてき。はぁお嬢様可愛い。


 そうやってぬいぐるみらしく大人しくお二人を見守るわたしだったが、どうにも先ほどのお嬢様の目が気になって仕方がない。いや、もちろんいつ何時も完璧な造形美を持つお嬢様の目はそれだけで芸術品だけど、それに見惚れていたわけではなくて。


 ……無言で、一瞬だけ。笑うでもなく少しだけ目を細める。


 言葉ではっきりと指示を出すのではなく、『良いように取り計らって』という意図を持つ表情だ。お嬢様からはっきりとした指示が出るわけではないけれど、各々がお嬢様の利益になるように動くことが求められる場面でよく向けられていた。


 だけどそれは、今回はまだ一度も見たことがない表情だった。


 幸せいっぱいの表情でライムンド様と語り合っているお嬢様を見上げる。

 今までの姿を見る限り、将来のことなど何も憂いていなさそうだし、ライムンド様のことだって、初対面の時は何も覚えていなさそうだった。だから、遡る前のことなんて覚えていないと、そう思っていた。


 だってお嬢様には声が聞こえていないはず。だけど、遡った記憶があることと、わたしの声が聞こえることに関連性などなかったとしたら?


(……そんなわけ、ない、……はず)


 ライムンド様にも聞こえないよう、小さく小さく自分に言い聞かせる。

 お嬢様に前回の記憶はないはず。だってライムンド様のことは覚えていなかったし、殿下のことだって前回と何も対応を変えた様子は見られない。勉強や習い事の様子を見ていても、全てが初めて経験することだとわかる習熟度だ。


 だからお嬢様が前回のことを記憶しているわけがない。のに。


「ユーア?」


 ユーア。


 心配そうに柳眉を曇らせて私を見つめるお嬢様に手を振ってなんでもない素振りをしてみせる。


 どうして、わたしの名前はユーアなのだろう。


 流れていないはずの血が制御を失って、目が回る。そんな気がした。

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