第2話
そんな決意を固めているわたしに、ラミラ嬢からなんとも言えない視線が向けられる。
不満があるというよりは、珍妙なものを見るような目つきだ。気持ちはわからなくもないけど、ここはわからないふりをしておこう。突っ込まないぞ。
(?どうかなさいましたか、ラミラ様)
「なんでもないわ。……それより、この手紙にはあなたがわたくしに何か話したいことがあると書いてあるのだけど、なんなの?別に催促されなくても返事はするわよ」
(ええ、その点は特に心配はしておりません。わたしが来たのは、ラミラ様にご令嬢としての振る舞いをいくらかお教えするためです)
言えば、うぐ、と唇を噛み締めた。
昨日わたしとライムンド様がはっきりと、ラミラ嬢は貴族としては非常識だと言ったことを思い出したのかもしれない。……正直あの時の会話はライムンド様はともかくとして、わたしにとってはかなりの綱渡りだった。
ぬいぐるみであるわたし自身が不敬罪で罰せられることもないだろうとは思っていたのだけど、私の咎がお嬢様に向かうなど許されることではないから、できるだけお嬢様の印象は悪くせず、わたしにだけ嫌悪感が向くようにしたつもりではある。まぁそれでも人の感情なんて他人が意のままに操れるようなものでもないから、こうして手を打ちに来たわけだ。
今わかっているラミラ嬢の知識と性格を鑑みるに、褒めて煽てて木に登らせるより、「え〜こんなこともできないんですかぁ〜?」みたいな感じでプライドを刺激していくほうが効果的だと思う。つまり、これからも不敬罪一歩手前くらいのギリギリを攻めていく必要があるということで、それをするならお嬢様に目が向かないようにわたしと一対一がいいだろうという、そういう判断だ。
これが吉と出るか凶と出るかは、わからないけれど。
ラミラ嬢から視線を外して、食べかけの朝食を見る。ラミラ嬢の思考がまだ落ち着いていない今のうちに畳み掛けるとしよう。
(お食事中だったのですね、お邪魔してしまい申し訳ございません。ですがちょうど良いですし、食事のマナーについての確認から始めましょうか)
「え……朝食はのんびり適当に食べるものでしょう?マナーだなんて」
(食事の所作は普段から練習しておかないと、いざという時にボロが出ます。適当に食べるもの、なんて発言は、しっかりとマナーが身についていて意識せずとも綺麗な所作で食事ができる人にのみ許されるものですよ)
ラミラ嬢にできますか、と続けて問うその中に、できないだろうと挑発する感情を込める。
ひくりと頰を引き攣らせて、それでも無言で椅子を引いたのはマナー程度言われなくても楽勝だということを態度で示すつもりなのか。正直、椅子を引くその動作が雑すぎてそれにもツッコミを入れたいところなのだけど……まあそれは後で良いか。
恐ろしくまずいものでも食べているのかと聞きたくなるくらい顔をしかめたまま、ゆっくりとした動作でパンとスープ、それからデザートの果物を食べていくラミラ嬢。パンは一口サイズにちぎり、スープ…はちょっとスプーンの扱いが気になるけど、でもまあ音を立てずに静かに飲んでいる。果物も大口を開けて食べたりはしていない。
ライムンド様の評価が悪いとはいえ腐っても伯爵家で生活していたおかげか、汚い食べ方はしていないし、子供だということを考えれば及第点をあげられなくもない………けど、うーん……。
し、姿勢が……。
しっかり教わらなかったのか、教わったけど癖になっていて治らなかったのかはわからないけれど、ちょっとこれは早急に対処しないとまずい。
癖になっていると困るなぁと思いながら観察するわたしの前で、何やらモゾモゾしたかと思えばラミラ嬢の上体が少し斜めに傾いた。この傾き方はもしかして、とテーブルの下を覗き込めば案の定足を組んでいる。
あああああああああ。
骨格が、骨盤が歪んでいる……っ!幼い時からこれってどうなの、ダメじゃない?矯正するにもぬいぐるみの体じゃ無理……ストレッチで対処できる段階だったらなんとかなるだろうか。ああどうしよう、まさかこんな悪癖があったなんて!
「ちょ、ちょっと、何よその反応!」
両手両膝をテーブルについて項垂れていると、食事を終えたラミラ嬢がぎょっとしたように声を上げた。貴女のせいですよ。
(いえ……前途多難だなあ、と思っただけです…)
「はあ?」
ご自分のことだというのに。いや、自分のことだからこそ気づいていないのか、綺麗に食べきったわよと自慢するような顔をしていたラミラ嬢が訝しげに表情を歪めた。やめてー。表情筋も歪ませないでー。
ふう、と自分の気持ちを落ち着けるために一度深呼吸をしてから立ち上がる。そしてお行儀は悪いがテーブルの上を歩いてラミラ嬢に近寄り、ぴしりとその顔に指……腕を突きつけた。
(カトラリーの持ち方や扱いについても改善点はありますが、先ずは姿勢ですね。姿勢について以前に何か言われたことはありますか?)
「姿勢?別に……猫背にはなっていないでしょう?そこだけは気をつけるように言われたもの」
(ええ、背筋は綺麗に伸びていらっしゃいます)
「じゃあ問題な―――」
(代わりに顔が前に出ています)
「………」
何を言われたのかわからないと言いたげな無言で見下ろされた。
もっとしっかり説明するため、少し考えてから自分の頭を両手で支えて言葉をつないだ。
(召し上がっていたのがスープだったからでしょうか、こぼさないようにとの配慮は大変素晴らしいのですが、スプーンを口が迎えにいってしまっていたのです。背筋は伸びていましたから、首から上、頭だけがこう、にょっきりと前に出ている形になっておりまして)
にょっきり、と言いながら自分の頭を前に押し出してみせる。ふわふわしたぬいぐるみの体で実演して見せてもよくわからないかもしれないけれど、何もしないよりは伝わるはず。
(背筋が伸びているから余計にその動きが目についてしまって……勿体無いので、食事の際には頭の位置を意識するようにされてはいかがでしょうか)
「そ、そうね、気をつけるわ」
座っている姿勢は良いのだ。深く座りすぎず、背筋もしっかり伸びていて。だからこそ、スープを飲む時にだけにょっきり前に出る顔が残念極まりない。
食事のマナー程度楽勝だと言いたげな態度をしていた分、マナー以前の姿勢にダメ出しをくらったことに恥ずかしそうに頬を赤く染めながら目をそらすラミラ嬢。あれは絶対心の中であれこれ言い訳しているな。
もう少し追い討ちをかけておこうかどうしようか悩んでいると、少し気を取り直したのか、キッと鋭い目つきを取り戻してこちらを睨むように見下ろしてきた。
「でも、スープをすくって口許まで運ぶ間に垂れることだってあるでしょう?それでも顔を動かしちゃダメなの?」
(顔を動かしてはいけないの、ですね)
「…………顔を動かしてはいけないの?」
ついでに言葉遣いも矯正しよう。
(そうですね、垂らして跳ねさせてしまうよりは……ただ、そもそも垂らさないようにするのが肝要ですから)
うーん、と首を捻る。言葉だけで説明するにはやはり限度があるし、ラミラ嬢は少し挑発しながらのほうがきっとしっかり覚えてくださるだろうし。それなら、とスプーンを置いたままになっているスープ皿に目を落とした。うん、これでいこう。
(スープがまだ残っているようでしたら、少しだけよそっていただけませんか?もしお腹いっぱいだというのであれば、水でも構いません。練習しましょう)
わたしの大切なお嬢様の目に、無様な姿を見せないために。
お嬢様教室を始めます。
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