まさに、雨上がりの虹のような物語です。
ひと夏の幻のように去ってしまったソーニャ。
私は、少年の通過儀礼の話のように思えました。
父親が連れて来たソーニャが消え、彼が大人への道を踏み出し、そして父親の座が空白になるというのは象徴的だと思います。
素晴らしい物語をありがとうございました。
作者からの返信
少年のアイデンティティの不安定や不確定の象徴としてソーニャが現れ、自我の確立とともにソーニャがいなくなる。私が書いていた時には気づきませんでしたが、確かに通過儀礼のように解釈できるかもしれません。
喪失の受容、というような主題で書いたように思います。それはソーニャに対しても、父に対しても言えます。
失うことや捨てること、自分からなにかが落ちていく、削いでいくことこそが、自分を自分として受容することととても近いところにあるのだなと思いました。
いつも鋭い指摘と深い示唆を与えてくださりありがとうございます!
文字を追っていくごとにソーニャという存在が凄く不可思議に思えました。知的生命体では何しろ,考えを巡らせますね。
文章自体も非常に読みやすく,違和感のない比喩と清涼感漂う文章に惹かれました。
素敵な時間をありがとうございました。
(p.sいつも掌小説集を読んでいただきありがとうございます!)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
執筆当時、カフカに傾倒し、漱石作品を写経していたため、両者の影響が少なからず出ているものかと思います。
優れた先達の足元にも及びませんが、拙作をお読みいただき、とても嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました!
編集済
黒い瞳。銀色の毛並み。猫とも犬とも、羊とも山羊とも言えないその妙な生物は、虹色に光る鱗で覆われた、硬い尻尾を持っている──本作に登場するソーニャは幻想生物の類なのですが、物語の流れは彼女を幻想へと遠ざけるのではなく、むしろ現実へと近づけているように思えます。そのあたりは、第3話で“彼”が亀について調べ出したところから顕著に感じました。
幻想生物でありながら、世界を隈なく探せば居るやもしれないリアリティをもってそこにいる。生々しくも、どこか妖艶ですらあるソーニャが、しかしインターネットの普及している(当然のようにWikipediaもある)、ドストエフスキーの『罪と罰』が世に出回っている現実の傍で、“彼”とその家族に世話をされている──。
幻想とも現実ともつかない、融解したような世界観が魅力的な作品でした。面白かったです。
作者からの返信
お読みいただき、コメントまでいただき、
ありがとうございます!
これを書いているとき、
『罪と罰』の精読と、カフカの短編読んでいたのと、
夏目漱石の『硝子戸の中』を写していたのとで、
ぐちゃぐちゃに複数の世界が混ざり合っています。
幻想と現実の混淆はその影響が出ているのかもしれません。
構成は別として、
文章や内容は気に入っているので、
そう言ってもらえるととても励みになります!
ありがとうございました!
【短編限定】より良い作品を書くための意見交流会3 から失礼します。
独特の読後感があり、意見と申しますか感想を書くための言葉を探して少し時間が経ってしまいました。
正直に申せば、私が何か意見するべき箇所は見当たらないと思います。
この作品は、この時点で一つの完成を見ていると思います。
不可思議な動物と少年の交流と書けば、なるほど現代ファンタジーないしは怪奇譚かと思いますが、今作は少年の心の動きを丁寧に書いておられます。
そういう意味で純文的でありますし、大変面白かったです。
ただ、引っ掛かりがあるとすれば、四話から五話のいきなりの変遷でしょうか。
私は少し戸惑いました。
ただ、これも最後まで読めばこれはこれで良いのだと言う結論に達したので、指摘と言えるか微妙な所です。
ソーニャとの出会いを少し大人になった彼が父親の言葉共に思い出し、最後に再び前を見れたような、希望が見出せるラストの文章が私は好きです。
大変興味深いお話を読ませていただきありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
確かに読み返してみると、
四話から五話の飛躍には違和感がありますね。
とても終わらせにいってる感じがします。
自分で書いたり読んでいる過程では
なかなか気がつけない部分でした。
すぐにでも修正したいのですが……
ちょっと我慢します。
一度距離を置いた方が、
より多くの修正点が見つけられると思うので。
貴重なご意見ありがとうございました。
(さらにはレビューまで。ありがとうございます!)
第5話 高校生になった彼は永訣の朝を読んで昔いた奇妙な生物を思い出したへの応援コメント
こんにちは。
小学生の息子に『罪と罰』を薦めるとは、信頼されていたのか、いずれわかればいいと思っていたのか。。姿かたちはまったく異なりますが、ソーニャに対する彼の観察は、どことなくオドラデクを想い起こしながら読んでいました。
時がひゅんと飛んで、高校生になったところで締める構成が、いいですね。
作者からの返信
こんにちは。
コメントありがとうございます。
ちょうどカフカを読んでいた時期に書いた短編なので、もちろんオドラデクも反映されているものかと思います。
どちらかといえば、(記憶は不確かですが)羊と猫の雑種のような話があり、カフカ的な実存に対する不安、二重のアイデンティティ、のような象徴を借りてきたのだろうかと。
カフカの場合は(城に辿り着けないように)その不安を乗り越えられないわけですが、一方で少年は、記憶を手がかりにして自分が今いる場所をしかと見つめることができたのかもしれない。(シンプルに、不毛かつ不安定な実存を描き続けるカフカのような忍耐力が自分には不足していて、拙速に結論に辿り着こうとした結果というような気がしていますが……)。
と、自作に解釈を与えるのは無粋ですね。失礼しました。
お読みいただきありがとうございました。