それでは夫婦の誓いとして心臓の交換を・・・

ちびまるフォイ

鈍感主人公

「汝、夫婦となることを誓いますか」


「誓います」


「それでは、誓いの心臓交換を」


神父に促されてと夫は自分の体を開いて、どくんどくんと動いている心臓を交換した。

式場は拍手と感動に包まれた。


結婚すると人は変わる、というのはよく聞くがこの夫婦の場合はそうではなかった。


「今日の晩ごはんは俺が作るよ」


「ありがとう、それじゃ私は洗濯しておくわね」


お互いの心臓を握り合っているので、

下手に相手の機嫌を損ねてしまったらなにされるかわからない。


自分以外の人間に自分の命運を握られていると、人はどうやら従順になるらしい。


心臓交換したことで遠慮がちだった夫婦も、

同じ屋根の下にいるとだんだんと小さないさかいが起き始める。


「ちょっと味付けかえてみたんだけど、どう?」

「ああ」


「私、実はエステ行ってきたの」

「ああ」


「ねえ、さっきから"ああ"ってばっかりじゃない」

「ああ」


「私の話聞いてないの? いつもそうじゃない。

 結婚したてのころはちゃんと話聞いてくれたでしょ」


夫は短く舌打ちした。


「あのさぁ、俺は君のカウンセラーか?

 自分が話聞いてほしいとき、俺は自分の休憩をかなぐり捨てて

 君のために時間をさくのが必須なのか!?」


「お互いを思い合うのが夫婦でしょ!?」


「それじゃ君は俺のためになんかしたのか!?

 俺が疲れていることに配慮して、遠慮することもできないのか!?」


「いつも遠慮してるわよ! いつも我慢してる!

 なのにたまに話しかければその態度じゃない!」


「そんなの気づくかよ!」


「なんでそんなに鈍感なの!?」


「そんなに些細なことに気づいてほしいなら言ってやるよ!

 微妙な味付けを変えたところでたいした変化はないし、

 エステなんか行っても顔は変わらない

 前髪を切ったところで興味もなければ変化もないんだよ!!」


「信じられない……あなたは人の気持ちにすら鈍感なの!?」


きっかけはささいなことだったがケンカはヒートアップ。

妻は怒って家を去ってしまった。


ムカムカしていた頭が時間とともに冷静さを取り戻すと、

夫は妻が自分の心臓を握っていることを思い出した。


「ど、どうしよう……怒りのあまり殺されるんじゃないか……」


その気になればいくら女性のか細い腕でも心臓なんて握りつぶせる。

高いビルの窓からポイ捨てするだけで夫の命はカジュアルに断ててしまう。


「やっぱり謝って戻ってもらおうか……いやしかし……」


夫の中では自分の心臓を自分の目の届くところにおいて安心したい気持ちと、

自分が負けを認めることで以降の妻優位が前提の夫婦関係になるのではと

しょうもないプライドがせめぎ合っていた。


悩んだ夫は同僚にそのことを相談することにした。


「ふーーん。つまり、いつ死ぬか怖くて夜も眠れないと」


「ああ。今は心臓止まっていないからいいけど

 いつ機嫌が悪くなって俺の心臓を壊すかわからないんだよ」


「でもさ、それって相手も同じ状況じゃね?」

「……あ」


「家を出ていった奥さんに腹をたてて、

 お前が相手の心臓をにぎりつぶすってこともあるだろう。

 てか、実際にその手のニュースよく見るし」


「な、なるほど……」


「心臓っても自分の一部ではあるから握りつぶそうとしたら

 やっぱり体にもそれは伝わってくるだろう。

 それだけに牽制しあって何も出来てないんじゃないか」


「なんで夫婦がお互いに心臓つぶしたくてたまらない前提なんだよ」


同僚に話したことで夫は同じことに妻も悩んでいる可能性に気づけた。


もしも妻が持っている夫の心臓に爪でもたてようものなら、

即座に夫が報復で妻の心臓を締め上げるかもしれない。

妻としては手が出せないのだろう。


「ははは。なぁんだ、よく考えてみれば大丈夫なのか。

 命運にぎられているとビクビクしていたよ」


「まあそれも、お前が心臓を持っているからだろうけどな」


「……どういうことだ?」


「もし、自分がお前の嫁だったとしたら

 自分の心臓を大嫌いな夫にいつまでも持たせておかないって話だよ」


「そ、そうかも……」


妻としてはさっさと夫の持っている心臓を取り戻したいだろう。

けれど、妻の心臓を渡してしまったらますます二人をつなげていた糸が途切れる。


心臓交換していたからこそ、お互いに尊重しあっていたこともなくなり一方的に夫だけが命を握られている不平等条約になってしまう。


「この心臓……奪われてたまるか」


夫は心臓を家の金庫に入れて固く鍵をかけた。


夫は妻の失踪先を知らないが、妻は夫がどこに帰るかを把握している。

不在時を狙い撃ちして心臓を取り戻しに来るかもしれないと夫は考えた。


けれど新調した金庫に心臓を入れておけば持ち去ることは出来ない。


「これで安心だな。よかったよかった」


夫はいつか妻が機嫌を直して戻ってくると信じていた。

妻より先に家へたどり着いたのは死亡通知書だった。


真偽を確かめるために通知書の送り先へ突撃した。


「うそですよね!? 妻が死んでいるなんて、なにかの間違いだ!」


「……いえ、事故死のようです」


「あなたはそれを見たんですか!?

 妻はどうやって、どこで死んだんですか!!」


「そこまでは知りません。うちはあくまで遺族に死亡届を出す部署ですから」


「そんな……」


夫は自分の行いをひどく恥じた。


一度は愛を誓い合ったはずの相手がそんな状況だったのに、

相手に殺されるんじゃないかと自分のことばかり。


金庫なんかに心臓を入れていたから心停止したことも気づかなかった。


いつものように手元に心臓があったなら、たちどころに気づいただろう。

弱々しくなる心臓に感づいて妻を助けられたかもしれない。


「俺は……俺はなんて身勝手で、どうしようもな人間なんだ……!」


夫は深い自己嫌悪の谷へ落ちた。

妻の遺体を拝むことは出来ないがせめて心臓だけは埋葬しようと金庫の扉を開けた。


どくんどくん、と脈動している心臓がそこにあった。


「……あ、あれ……生きている?」


死んでいるはずの心臓はすこぶる健康に動き続けていた。

さっきまでの自己嫌悪はどこへやら、夫の悲しみは怒りへとすり替わった。


「あいつ……! 下手な嘘で死亡届なんか出しやがって!!」


死亡届で浮足立って留守にしているところを狙って心臓を取り戻す気だったのか。

夫に妻のたくらみを知ることはなかったが、騙そうとしたのは間違いない。


「生きてるなら絶対に見つけてやる! 目にもの見せてやる!」


夫はいくつもの探偵を雇って本気で妻を捜索した。

今までは必死に妻を探している自分が気恥ずかしくてできなかったが、

もはやそのようなプライドは怒りに塗り替えられている。


「見つけましたよ。ターゲットはこの町のホストクラブに出入りしているようです」


「やっぱり生きていやがったのか! それに新しい男を作るなんて……!!」


「どうしますか?」

「あとは俺だけにしてください」


夫は妻が夢中になっているホストクラブへ潜入した。

盗聴器やカメラをいくつも仕掛けて様子がわかるようにする。


「よくも俺を騙してくれたな……覚悟しろよ」


夫はホストクラブのトイレの個室で妻の心臓を手にとった。

耳からは盗聴器が拾う妻の声が聞こえてくる。


『もう少しでまとまったお金が入る予定なの。

 だからお金が入ったら星夜にボトル入れるわ♪』


『本当に? また1位にさせてよ』


『1位にしてくれたら結婚してくれる?』

『もちろん』


夫はぎりぎりと奥歯を噛み締めた。


「なぁにがまとまった金、だ。

 きっと俺の預金を勝手に使う気だな!」


夫はもはやなんのためらいもなくなっていた。

手元にある心臓に思い切り力を込め、両手で押しつぶした。






「たいへんだ! 人がトイレで倒れているぞ!!」


いつまでも開かないトイレの個室を調べた清掃員が見つけたのは、ぐったりした夫の姿だった。

店内にいた妻は倒れた夫を見て薄く笑った。


「自分の心臓にすら気づかないなんて、やっぱり鈍感ね」


その後、夫の生命保険はボトル代へ消えた。

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