第9話 妹と和解する話し
「んぐっ」
目ざめの切っ掛けは、寝返りを打ってソファから転がり落ちる事だった。
いつもの感覚でいたので、全身を打ち付けるという強烈な目ざましを喰らう事になる、
「朝、……五時か」
いつもは六時起床なので一時間早い事になる。
だが痛みもあり、もう一度寝る気にもなれない。
「ふぁ」
欠伸一つして、虎は起きる事にした。
外は少し明るく、それが光源一つないリビングを照らしている。
小雪と雛はまだ寝ているのだろう。昨日は寝る準備をした二人を寝室に放り込み、虎もいつもより早いが寝たのを覚えている。
そう昨日の事を思い出しながら、気だるい頭のまま洗面所で顔を洗った。
「朝食、……作るか」
早く起きすぎて暇なので、キッチンに立つ。
夕食は毎日作る虎であるが、朝食はしばらく作っていない。朝は小雪がいないのが大きな原因だろう。
だが朝食は簡単にだ。ちょうど三枚残っていた食パンと、昨日買ってきたトマトときゅうり。あとは目玉焼きだ。
すぐ作れる様にセッティングして、ソファに腰掛ける。
小雪達はまだ起きてこないだろう。特に小雪は朝が弱いのだ。
「おはよぉー」
が予想を裏切る様に、ふらふらとした足取りの小雪がリビングに顔を見せた。
「早いな」
「眠れなかったよ」
「枕が違うと眠れないタイプだったか?」
「どちらかというと虎の匂いがゴニョゴニョ」
「?」
最後の方は囁くほどの音量であったため聞こえなかった。
「……というかその格好はなんだ?」
「あ、虎の服借りてるから」
良く見れば、小雪が来ているのは虎のTシャツ一枚。
丈が長いためギリギリ下着は隠れているが、あまりに危うい。健全な男子高校生の前にこの姿で現れるなど、挑発しているとしか思えない。
綺麗な白い鎖骨も見や妖艶な谷間、健康的なふとももがチラリズムする。眠気を一気に吹き飛ばす格好だ。実際吹き飛んだ。
小雪は目を擦りながら、自分の格好に気にした風もない。自分がどれだけ危険な格好をしているのか理解していないのだろうか。
「無防備すぎだろ」
「? ドレスで寝るわけにもいかないし、家に取りに行ったらここに来る事止められるし。しかたない。ごめんね」
「いや。うん。まあ良いんだが」
そう言うと、フラフラしたまま虎の横に座り込む。そしてコテンと肩に頭を乗せた。
「顔洗ったのに眠いよ。虎、膝枕して」
「……それで寝れんのか?」
「はやく!」
有無を言わせない。
虎は溜息をつくと、姿勢を整えて小雪を膝を導いた。
「うへへ」
「おっさんみたいだな」
目をつぶってスリスリと頬ずりしてくる。まるでセクハラをするおっさんの様だ。だが美少女がやっているので正義である。
「あいつは、どうしたんだ?」
「雛ちゃん? そろそろ来ると思うよ」
ならば朝食を作らねばならないだろう。
だが膝を枕に小雪が寝息を立て始める。どうするかなーと思いながら空を仰いだ。
ピョンと跳ねた小雪の髪を暇つぶしに整えていく。こうやって触れ合えるのはいつまでだろうと、思いながら。
◇
「はー。美味しかった」
「……焼くだけだがな」
雛が来てもまだ寝ていた小雪。さすがに六時半になる頃には強引に起こして朝食にした。
セッティングはしてあったので本当に焼くだけであり、あっという間に朝食は完成。そして完食したところだ。
「えっと。……おいしかったです」
「そうか」
雛も怯えながらそう言ってくる。それに対して虎はやはり一言だけだった。
「……それで、今日はどうするんだ?」
「私は一度家に帰るよ。昨日は虎の家に行かなきゃ死ぬって言って強引に来たからね。生きてるって教えてあげないと」
「その……私は……」
「雛ちゃんは、今日遊ぶんだよ」
「え? 小雪お姉ちゃん?」
「遊びに行くよ」
「でも……勉強しないと」
「いいの! 昨日見た限りじゃ十分勉強してる。今必要なのは息抜きと休息」
優等生である小雪の目から見て、雛はしっかり勉強ができているらしい。虎とは大違いだ。やはり血が半分しか繋がっていないというのは侮れない。
「まあ頑張れ」
「虎も遊ぶよ!」
「いや……俺は片づけて休む。なんか、気だるさが取れないんだ」
「え!?」
虎がそう言うと同時に、小雪がズイっと近づいてくる。
そして鼻が触れ合うほど近くで見つめ合い、コツンとおでこをくっつけた。
「うーん」
「お、おい」
おでことおでこがくっつく。あまりに近くに小雪がいて、ほんのちょっとずれれば唇にふれそう。
「ちょっと熱いかも? 体温計ないの?」
「うちにはない」
「もー。すぐ取ってくる」
そう言うが早いが、小雪は立ち上がると部屋を出て行った。
そして虎と雛だけが取り残される。
「あの、大丈夫ですか?」
「心配するほどじゃない。ちょっと、寝てる。気にしなくていい」
「はい……」
食器だけ下げて、ふらふらと自室に行く。
体調が悪いと自覚する事によって、抑え込んでいたものが一気に出た感じだ。
物が少ないシンプルな部屋。寝巻のままであったので、しきっぱの布団に横になる。
「……小雪の、いやよそう」
ベッドから自分ではない香りが漂う。なれしたしんだ小雪の香りだ。ちょっと違うのは雛のだろうか。
いつも以上にするどくなった感覚。小雪に包まれる様な感覚で、布団を被った。
「とらああああああ!!」
「うごっ」
さあ寝ようとしたところで、バンっと扉を開けて小雪が入ってくる。
「さあ、体温計取ってきたよ。あと氷嚢と、ポカリ。びょ、病院行った方が良いかな?」
「大丈夫。ちょっとリズムが崩れてビックリしたんだろ。病院に行く必要はない」
余計な経費はかけたくない。寝れば治る程度だろうと病院は拒否する。
「取りあえず、熱はかろ。はい、腋だして」
「自分でできる」
何から何まで世話しようとしてきた小雪に、自分で出来ると体温計をぶんどる。
そして熱を計りながら、あわあわする小雪を落ちつかせた。いったいどちらが患者だと思っていれば、ピピピと音が鳴る。
「38度4分だね」
「まあ、寝てれば治る。ちょっと寝かせろ」
「う、うん。……そ、添い寝とかした方が良いかな?」
「いらん。ウイルス性ならうつすかもしれん」
「分かった……リビングにいるから何かあったら呼んでね」
そう言って、名残惜しそうに小雪は出ていく。
その後ろ姿を見ながらため息をついた。
「心配しすぎ、なんだよな。……でも、ありがと」
小雪がいなくなってから、呟く。照れくさくて言えない事だ。
だが実際にとても感謝している。
病気で寝込んだ時はとても心細いものだ。虎は振り返っても心配してくれる者なんていなかった。親であろうと。
小雪が初めてだった。過去に一度、こういう事があった。その時、初めて心配してくれて。甲斐甲斐しく世話をしてくれて。とてもうれしかったのを覚えている。
だから感謝しているのだ。
一人じゃない。そう思うだけで、ちょっと心は軽くなる。
そしてすぐに眠りに落ちた。
――これは夢だ。
それはすぐに分かった。
古い景色を、神の様な視点で見ている。夢だと認識できる夢。明晰夢と言う奴だろう。
どこかふわふわした世界を漂う。すると、一軒の家。虎の家が見えてきた。
多分十年前。それぐらいだろう。家の前にいるのは幼い虎と、一人の女性。
『ねえ、どこ行くの』
虎は不安げに訪ねた。
『新しいお父さんの所』
女性はそれに答える。だが感情の見えない声だ。
『そうなんだ。でも僕まだ準備してないや。すぐしてくる』
『良いの』
『え?』
『良いの』
女性はただそう言うだけだ。すでに虎の分の準備ができているという事だろうか。だがそんな感じでもない。
戸締りをする事もなく、まさに今から出かけよう。そんな感じだ。
『はい、これ。通帳とキャッシュカード』
『なんで?』
『ここにお金が振り込まれるから。それで生活して』
ここまで言われれば、薄々気づいてくる。
だが答えを出す事はしなかった。それをすれば終わってしまう気がしたんだ。
『なんで、行くの?』
『……あなたの妹が出来たの。それに先日入籍したから』
『僕は……?』
『これで、生活して』
そうして通帳を押しつけてくる。無理矢理通帳を渡された虎は、どんな表情をしていたのだろう。だが見えない。靄が掛かった様に見えなかった。
女性は……母は、背後につけていたタクシーへ歩を進める。
虎は放心したまま、その背を見ていた。
『ねえ! 待ってッ』
『こないで! ……もう私の幸せを壊さないで!』
『…………』
明確に拒絶され、虎はそれ以上歩けなかった。
走り去るタクシーをただ見ていた。その時の瞬間だけは脳裏にこびりつく様に覚えている。あのタクシーのナンバープレートも記憶していた。
虎は、良く分からなかった。良く分からない事にした。
数日、一人で生活する。それでも母は帰ってこない。
だが流石に一カ月生活すれば理解するしかない。振り込まれた僅かな金を見て、悟るしかなかった。
――捨てられたんだ。
そう。
虎は幼いながらじっくり考えた。なんで捨てられたのだろうと。
でも分からない。だからほんのちょっと分かったのは、妹ができたという事だけ。
そして結論づける。妹が、母を盗った。
あるいは別の原因があったのだろう。だが幼い虎にはそれぐらいしか考えられなかった。
だから虎は妹が嫌いだ。
幼くて、馬鹿な虎が出した結論だとしても。やはり妹は嫌いだ。
大嫌いだった。
◇
「あ――……」
悪夢から覚める様な目覚めだった。
開けられた窓からそよそよと風が吹いている。だが暑い。
「あつっ」
夏の暑さをなめてはいけない。
窓をあけようが、氷嚢を乗せていようが暑い。ただ一つの扇風機はリビングであろう。つまり暑いのだ。
ぐっと体を起こす。時計を見れば11時50分。なのに氷嚢は冷たい。何度か小雪が換えに来たのだろう。
「……昼、作らねえと」
だが起きる気がしない。
お世話になった礼に、昼ごはんぐらいは作るべきだろう。だが起きれない。なれた自分の布団で寝る事で、少しはすっきりしたがやる気がわかない。そんな感じだ。
だからボーっと天井を見た。
「懐かしい夢だ」
天井の染みを見て、ふと呟く。
さきほど懐かしい夢を見た。
子どもの頃、母に捨てられた時の夢だ。新しい家庭に虎は邪魔だったらしい。
今じゃどうでも良い事だが、あの頃の苦しみをリアルに思い出す。
そんな苦しみは、ただの夢、過去の事だと消し去る。
「あー。昼食作るかー」
苦しみを忘れる様に叫んでみるが、起き上がる気力がわかない。
どうするかなーと思案していると、急に扉が開く音がした。
「……あの、大丈夫ですか?」
「お前は……雛。何しにきた」
扉を開けて入ってきたのは、妹である雛。
心配そうに見てくるが、解せない。冷たい態度を取っている自覚はあるし、嫌われているだろう。なのにやってくるとは復讐でもしにきたのだろうか。
「ご飯、です」
「は……?」
予想を覆す様に、枕元に座った雛は持っていた椀を見せてくる。
「小雪が作った……わけないよな」
「私が、作りました」
「そうか……」
やはり解せない。ご飯を作ってもらうほどの仲ではなく、罵倒されるぐらいの仲であるという自覚がある。
鼻くそでも入っていて嫌がらせでもしているのだろうか。
「おかゆです。……あの、あーん」
「おい……」
「あーん、です」
有無を言わせない。自分で食べられるぐらいには回復しているが、雛は虎に匙を突きだす。
小雪の影響でも受けたのだろうか。
「もぐっ……結構、美味しい」
「そうですか、……はい」
咀嚼したのを確認して、どんどんお粥を食べさせてくる。
疑問を呈する暇もなく、次々とだ。回復しているから付いていけるが、病人には早いスピードだろう。
ペースが早く、元々量も少ないのがあってあっという間に完食した。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさま、です。……」
そう言って、しばらく沈黙が流れる。
雛も終わったから引き上げるつもりはない様で、じっと座っていた。
「あー。……小雪は、どうした?」
「心配疲れて寝てます」
「そうか……」
ちょっと体調を崩したぐらいでここまで心配されるとは。逆にこっちが心配だ。
そうしてここでまた沈黙が訪れる。雛はどういうつもりだろうと顔を見るが表情から読み取るのは難しい。
ストレートに聞くべきなのだろうか。
少し考える。躊躇するものもあるが、ラチがあかないと虎は決断する。
「なあ……」
「はい……」
「なんで、こんな事してくれるんだ?」
「こんな事、ですか?」
「嫌いだろ、……俺の事」
嫌な兄であろう。何も悪くないのに、冷たく接する兄。
血がちょっと繋がっているから兄であるが、顔もみたくないはずだ。実際母は顔も見たくないだろう。
過去数度あった時も、冷たくしたのを覚えている。ならばこう世話を焼く事もないはずだ。
「ちょっと、苦手です」
「そうだろう」
「でも、嫌いじゃありません」
「……何か違うのか?」
「もちろん、です」
苦手と嫌い。まあ違うだろう。
だが結局苦手なのだろう。ここまでしてくれるほど仲が良い訳じゃない。
「お礼です」
「お礼?」
「昨日のオムライス美味しかったから」
「……それだけ?」
「過去の分も、まとめて、です」
「過去?」
思い返す。だが過去に雛に優しくした事なんてない。
飯を作ってやった事もないし、遊んだ事もない。冷たい態度であった記憶しかない。
だが雛はほほ笑んだ。
「昔、お母さんがたまに持ってきたご飯。一年に二回ぐらいしか食べられなかったご飯。それが今でも思い出すぐらい、好きなんです」
「はあ……」
「心が温かくなる様な、そんな思いのこもったご飯。いつか作った人に会いたいって思って。お母さんに聞いても誰が作ったか教えてくれないんです」
雛は確信を持って、虎を見た。
「でも昨日食べてわかりました。あの時のご飯は兄さんが作ったものですね」
「……そうなの、か」
目をつぶって思いだす。
過去、虎は捨てられた。だが完全に捨てられたわけではなく、年に二回ぐらいは母が様子を見に来た。その時多分ご飯を振舞ったはずだ。
そして残ったやつを持って帰っていた。という事ならば合点が良く。
「ずっとお礼がしたかったんです」
理由を理解する。それと同時に嬉しくなった。
自分の料理をずっと覚えていてくれて、ずっとお礼がしたいと思ってくれていた。それにどうしようもなく嬉しくなる。
もう何年も母は来ていないから、料理も食べていないだろう。そんな何年のブランクがあっても覚えていてくれた。
「……ありがと。俺の料理が好きだって言ってくれたのは雛で二人目だ」
「そんなに少ないんですか! あんなに美味しいのに」
「……小雪以外には振舞わないからな」
「もったいない」
ぷりぷりと憤怒してくれる。その様子すら嬉しい。
気づけば、雛への嫌悪感は四散していた。元々逆恨みだ。ほんのちょっとの切っ掛けで覆る様な嫌悪感だった。
「あー……雛」
「なんですか?」
「俺は雛が嫌いだった」
「……知ってます」
「でも、今はそんな嫌いじゃない」
「! そうなんですか?」
「ファンは嫌いになれねぇよ。……ありがと」
いつの間にか体にあった気だるさも、何もかもが吹き飛んでいた。
さっきまで熱があったとは思えない快調。なんとも単純な話だ。原因がなくなったから、良くなった。多分そういう事だ。
「で、夕食は何を食べたい?」
「リ、リクエスト良いんですか?」
「ああ」
「……ハンバーグが食べたいです」
「了解」
材料を買いに行かないといけないと脳内で予定を組む。牛肉を使う事になるのは手痛い出費だが、どうにかなる範囲だ。
「うし。起きるか」
この時、初めて兄妹になれた気がする。
先ほどまであった気まずい雰囲気はなく、まるで仲良しの兄妹。そんな雰囲気だった。
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