第42話

「……小泉くん、大丈夫?」


 沈黙を破ったのは葵で、ボクは葵に向きなおった。その顔はもう、すっかり笑顔だった。作り物そっくりの。


「葵は大丈夫じゃないだろ」


 驚愕の表情を浮かべる葵が、みるみるうちに涙を浮かべた。そして大きな瞳から一筋涙がこぼれると、すぐに俯いてしまった。


 閑散とした駅に人はまばらで、ぽたぽたと地面に涙をしみ込ませていく葵。ボクはぐちゃぐちゃの感情のまま、熱だけが残る手を握り続けるしかできなかった。


 大丈夫なんて全くないのに、強がって笑顔で乗り切ろうとして。きっとフィクションなら抱きしめたりなんてするのだろうが、そんな勇気は今のところない。この世界はノンフィクションなのだから。


 葵が唐突にボクの手を離した。涙を拭い、痛ましい笑顔をこちらに向けた。そして葵がスマホを取り出し、その画面をちらりと盗み見るともう二十二時になると知らせていた。すぐに鞄の中にスマホを仕舞うと、手で押さえるように目元を拭い、そして顔を上げた。

 いつでも完璧だった葵の化粧は涙で少しばかり崩れているようにも見える。それでも葵はまた笑って見せたのだ。


「もう大丈夫になったっ! ちゃんとほっぺ、冷やしてね? 帰ったらまた連絡するよぉ」


「……ボクは」


「さっきの小泉くんカッコよかったよ。ありがとね」


 ボクの横を歩いていく葵。振り返るともう改札の向こう側にいて、葵がこちらを振り向くことはなかった。駅に続く階段を上がっていき、姿が完全に見えなくなって、ボクは呆然と立ち尽くしていた。


 握っていた手だけが葵の温もりを伝えていて、震えていた葵の感覚がまだすぐにでも思い出せるほどに、鋭くボクを責め立てる。


 なんて無力だったのだろう。


 殴られたあの日につけられた傷は、目に見えるものだけではないはずなのに。

 その傷をまたえぐって、咄嗟に助けることもできなくて。

 葵はボクに笑いかけていた。あの笑顔はボクの好きな笑顔なんかじゃない。


 ぐっと手に力が入る。いろいろな感情がボクを駆け巡り、そしてどうにもならないことを悟り、ボクはようやく改札に背を向けた。

 今更になってじんじんと痛む頬が無性に腹立たしい。ポケットの中で携帯が小さく震える。aoiからのメッセージと表示されたロック画面を開き、そこには明日の集合時間を知らせる文面が踊っていた。


 明日、開場一時間前にライブハウスの最寄りの駅前。ライブハウスは地元から十駅ほど離れている街中にある。用事なんてあるはずもなく、あまりにも降りたことのない駅だった。

 返信をしようと歩きながら文面を考えているのも束の間、連続してメッセージが届いた。


『ごめんね』


 短い文面に、ボクは文面を考える思考から、唐突に葵に会いたいと思考が支配される。

 傷ついているのだろうか。泣いているのだろうか。


 今すぐにでも、会いたい。

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