第23話

「いい、のか? ボクはただの読書が好きな、世間一般的に言う陰キャだ。ぼっちだ。ボクなんかが関わっていいのか? ……皆が大切にしているピエロを壊すことに、ならないか?」


「まーだそんなこと言ってんの? 大丈夫だよ。小泉が作り出したあの詞が、皆の反応が全ての答えなんじゃないの?」


 涼の落ち着いた声、葵のすごいねの声、春彦のまっすぐな声。全ての声がボクの背中を押して、ボクはぐっと目を瞑った。今までの苦しい記憶が数瞬で巡り、そしてあまりにも眩しい光がそれらを遠くへと追いやっていった。


「……わかった。ボクで、良ければ」


「ほんとか⁉ よかった、断られたらどうしようかと思ったぜ。んじゃあもしなんかあったらいつでも言ってくれ。親の説得は任せとけ!」


「いや、多分大丈夫だと思う。放任主義だから」


 あの破天荒な親だ。きっと天地がひっくり返るほどびっくりしながらご馳走でも作るだろう。今日あたりにでも、話してみようか。


「じゃあ話もまとまったところで、俺ら帰るわ」


 北口方面を指さした春彦と涼は、ひらひらとボクに手を振る。そして後ろを向いて歩きだした二人の背中に、ボクは初めての言葉を口にした。


「あぁ、また……明日」


 友達と約束した後に別れる、そんな言葉を言う日が来るとは。明日を約束する日が来るとは。


 密度の濃い一日が、暮れていく。


 もうすぐ今日が終わり、また明日へと繋がっていく。いつもと違う夏休みはあとひと月近くも残っている。それなのにボクは人生で初めてこの夏休みが終わってくれるなと思うほど、人との繋がりに、友人という関係性に酔うには十分な一日だった。


 家に戻ると既に会社から帰宅していた母さんがご飯を準備していた。今日はカレーらしい。家のカレーはボクがまだ小さい頃の味付けのままで、少々甘めだ。

 ボクが帰ってきたときには既に出来上がっていたらしく、すぐに準備を始めて久しぶりに感じる二人の食事が始まった。


「最近よく出かけてるじゃん。友達いっぱいできたの?」


「まあ、うん」


「へえ、母さんも会ってみたいな」


「そのうち」


「へいへい、いつまでも待ってますよ~」


 カレーを口に運び、たまにサラダを突き、そして皿が空になった時、ボクは小さく呟いた。


「そういえば」


「え、なに?」


 抜けた声色がキッチンから聞こえる。洗い物をする母さんは、ボクを見て疑問の表情を浮かべたまま手を止めていた。


「えっと、ボクが好きなキルハイってバンドと仲の良いバンドが学校の同級生だったんだ。そのメンバーから、作詞を定期的に頼みたいって。その分料金を払う、って。バイトみたいになるだろうから、一応伝えておこうと思って」


 ジャーーーー……。


 蛇口から出続けている水の音、漫才番組の笑い声。ただそれだけの音。母さんから返答はなく、その顔には先ほどの疑問ではなく、久しぶりに見た母としての優しい微笑みだった。


「……そう。アンタ、子供の頃の夢を叶えたんだね」


 キッチンからこちらに戻ってきた母さんは、ボクの頭を優しく撫でた。十七にもなってこういうことをされると、少しばかり照れる。ただその手を払いのけるのも違う気がして、気恥ずかしさを紛らわせるようにふいっと顔を背けた。


「アンタは昔から何かを作ることが大好きだったもんね。アンタませてたから幼稚園の頃の短冊に、クリエイターになりたいって書いてたの覚えてる? 知ってて書いたんだかわからなくて、よく笑ったっけ」


「覚えてないよ」


「そっか。でもやっと誰かと関わりたいと思ってくれてよかった。ずっと目のこと気にしてただろうからさ、取り換えられるなら取り換えてあげたかったの。そんなの無理なのにね。そっかぁ、そんなことへっちゃらになるくらいの年になったんだねえ。私も年取るわけだ」


 少しばかり涙ぐんでいる母さんは、いつの間にかずっと老けているように見えた。いつもスーツやら濃い化粧やらでわからなかったけれど、ボクをずっと心配していたことは間違いないだろう。

 そうでなければ母さんを捨てて消えた父親の影が見え隠れするボクなんかを、ここまで育ててくれる訳がない。

 だからこそ申し訳なさを覚えずにはいられなかった。ずっとボクが父親のことを責め、恨み続けている間にも、母さんはボクを心配し、そして自分自身を責めていたはずなのだから。


「でもまあ、そういうことだから」


「わかった。じゃあしっかりやんな。母さん、アンタのやることなら全部応援するから」


「……あぁ」


 いたたまれない気持ちを抑えながら、ボクは部屋へと戻った。

 あの場に留まっていたら、多分ボクも泣いてしまいそうな気がしたのだ。スマホを開き、ボクは意を決して電話をかけた。もし出なければ多分夜中辺りに折り返しの電話がかかってくるだろう。


「もしもし?」


 二十時を回っているときはいつも仕事だと言っていたが、意外にも三コールほどで出た倫太郎は、いつもよりもかなり落ち着いた声色だった。仕事中であろう倫太郎だったが、バックでは複数人の声と大音量で音楽が流れていてかなり騒がしい。


「もしもし、倫太郎? あのさ……」

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