あなたのために
ドント in カクヨム
告白
「ごめん……俺、実は……ゲイなんだよね…………」
勇気を出して告白したら、そう言われて驚いた。
もちろん、私はゲイに偏見はない。差別もしていない。差別は憎むべきものだ。けれど私の中のそういう人たちのイメージに、義弘くんはまるで当てはまらなかったので、とても驚いたのだった。
「あ…………そうなんだぁ」
私は言った。それからこう続けた。
「女の子とは、お付き合いしたことないんだ?」
「…………中学の時に一度あるけど……やっぱり無理だった。あの……女の子全体が、ちょっと……ダメっていうか…………」
「えーっ、そうなんだぁ。へぇ~っ」
一度はある、ということは、まだ可能性はあるということだ。十分に。
「でもさぁ、それって、相手の女の子と合わなかった、ってこともありえるよね?」
私は申し訳なさそうに伏せている義弘くんの顔を覗きこみながら尋ねた。
「ねぇ、私ともう一回、試してみない?」
「…………え?」
「女の子との、お付き合いっ!」
そう言いながら、義弘くんを正面からぎゅっと抱きしめてあげた。
身長差からいくと、私の胸は彼のへその上あたりに来る。私の大きなふくらみがわかるように、彼のお腹に押し当てた。
「どう?」
私は顔を上げて、義弘くんの表情を見た。きっと驚いて、ドギマギした可愛い顔をしているに違いない。
彼は確かに驚いた顔をしていた。だがそこに浮かんでいるのは恥じらいではなかった。
大きな戸惑いと、一握りの嫌悪感だった。
「どうしてこの子はこんなことをするんだ?」
義弘くんの顔にはそう書いてあった。
どうして、って?
好きだからに決まってるじゃん。
義弘くんとは一年前、大学のゼミで知り合った。ひと目見た時から素敵な人だと思った。スマートで身綺麗にしていて、肌も綺麗だった。かと言ってオネエな芸能人みたいにナヨッとしているわけでもない。時々街中をチマチマとメイクをしている男が歩いているけど、ああいうタイプでもない。ナチュラルに綺麗なのだ。理想的な男の子だった。
腕の上げ下ろしから歩き方まで立ちふるまいも優雅で、ふと振り返ったり黒板に目をやったりするその動きのひとつひとつに惚れ惚れしてしまうのだった。生まれも育ちもいい、という感じだ。イケメンという軽い言葉より美男子と言った方がしっくりくる。
そんな美男子の義弘くんだったけれど、浮わついた雰囲気はなく、周囲に女性の匂いはなかった。
女子と喋っている姿は見かけたし、私や、私の友達とも普通に会話をした。ただ、単に会話をするだけだ。男友達と話すのと同じトーン、同じ空気で、そこに性差はなかった。勉学や日常的なやりとりに終始した。
彼はゆるい飲み会には出るけれど、いわゆる合コンには参加しなかった。前者の場で抜けがけをして仲良さげに近づいて話しかけるいやらしい女もいたものの、うまくかわして寄せつけない様子だった。そのあたりの身持ちの固さも、私には好ましかった。
知り合って半年目の、飲み会の帰りだった。駅への道で偶然、2人きりになった。
横並びになって、ちらちらと彼の鼻筋を見ながら歩く。街灯が点々と離れて並んでいて、暗がりでも明かりの下でも、義弘くんの顔は変わりなく綺麗だった。
いい機会だ、と思った。チャンスが巡ってきたのだ。
「ねぇ義弘くん」私はわざと彼の顔を見ずに言った。
「なに?」彼は私の顔を見る。白い肌に大きくて茶色がかった瞳が映える。
「義弘くんって……カノジョとかいるの?」
彼は不意を突かれたような表情になった。顔をそらして、改めて前を見た。
「カノジョ……昔はいたけど……今は、ちょっと、いないかな……」
視線をずっと遠くにやっている。向こうに過去の出来事が置いてあるような目つきだった。
たぶん昔、手痛い失恋や別れを経験したのだろうと直感した。それで女性を遠ざけているのだ。
よほど悪い女だったんだろうな、と思った。あるいは病気や事故で死んだのかもしれない。それはそれで悪い女だ。こんな素敵な彼を置いて、先に逝ってしまうだなんて。
私は歩く義弘くんの前に立つように回りこんで後ろ向きに歩いた。必然、彼の歩みは遅くなる。
「ふうん、じゃあ今はフリーなんだね」
「そう……だね。今は恋人はいないね」
「じゃあさ……もし、よかったらでいいんだけど…………」
「なに?」
私は立ち止まった。そしてできるだけソフトな声で、怯えさせないトーンで、小首をかしげながら言った。
「私と、付き合ってくれない?」
その時の彼の顔は忘れられない。
顔面の筋肉が硬直した。
口が真一文字に結ばれた。
瞳がすまなそうな、それでいて悲しそうな色彩を帯びて少しだけうるんだ。
彼は私の顔を真っ直ぐに見ながら、私の顔を見ていなかった。
私の背後に広がる暗闇の奥にいるものを見つめているのだった。探るように。押し止めるように。
彼は私から視線を切った。
「……ごめん、俺、ダメなんだ」
絞り出すようにそれだけ言った。
「ええ~っ? なんでムリなの?」
私は明るい声で聞いた。彼が過去にどんなつらい経験をしていようと、私がうまくやってあげられる。そういう自信があった。
「本当にゴメン。でも、ちょっと、難しいんだよね……」
「どうして?」
「どうして、っていうか……色々と事情があって……」
「おうちの方針? ご両親が厳しいの?」
「いや、そうじゃないんだけど」
「じゃあ、どうして?」
「それは…………ちょっと…………」
彼はとうとう口ごもって、何も言わなくなった。
駅の脇の歩道、街灯の真下で、私たちは完全に立ち止まっていた。
彼は私の顔を見ないようにしている。私は彼の顔を目で捕まえて離さないようにしている。
私は通せんぼするように義弘くんの前に立って、黙って顔を覗きこんでいた。
過去の心の傷を話してくれればそれでいいのだ。いや、あるいは後々語ってくれたってかまわない。どんな傷でも、きっと私が治してあげられる。二人でゆっくり治していけばいい。
「付き合ってください」の問いに「イエス」と答えてくれるまで、私はここを動かないつもりでいた。
私たちはしばらく、そのまま動かないでいた。時折私が
「どうして?」
と尋ねる以外は。
義弘くんが視線をそらすのをやめて、私の顔を真っ直ぐに見た……いや、そうではなかった。私の顔を透かした向こうにある、広くて暗い空間をまた見ていた。
彼は怯えていた。明らかに怯えていた。
暗がりにいるのかいないのかわからないそれに対して、限りない恐れを抱いているのがわかった。
そこに何が横たわっているのか、私には皆目見当もつかなかった。
「…………他の、他の、誰にも言わない、って、約束してくれる?」
彼は今度こそ、私の瞳の中を見た。私は力強く頷いた。
彼は唾を飲んで、鼻でゆっくり、ひと呼吸してから、こう言ったのだった。
「ごめん……俺、実は……ゲイなんだよね…………」
私は異性愛者だけれど、同性愛に差別も偏見も持っていない。それどころか異性愛も同性愛も、等しく同じ「愛」だと、平等に考えている。
そこには壁はなく、ハードルもなく、区別もない。平らかに等しい「愛」があるだけだ。
だから彼が仮にゲイであったとしても、愛が共通しているのなら、同性も異性もないだろう。
私の愛の強さ、愛の大きさ、愛の本気さを感じてほしかった。だから私は抱きしめたのだ。
突然の行動ではあった。でも私の中には他の女たちみたいな下心はなく、人類愛のようなピュアな愛だけがあった。
ところがだ。
私はまた驚いてしまった。
「やめて!」
義弘くんは顔を上げた私と目が合った瞬間そう叫んだ。そして私の両腕をつかんで、身体から無理に引き剥がした。
その反応の強さに私は2、3歩、後ろによろめいた。ヒールの音がカツカツと、誰もいない深夜の夜道に乾いて響いた。
彼自身も自分の行動に驚いたらしく、黙って首を曲げて足元を見ていた。影に隠れた唇が震えているのがかろうじて見てとれた。
私のおなかの下の方に、熱いものがのたうっていた。
今まで男の子からこんな風に扱われたことがなかったからだ。女の子からだって、親からだって、知らない人からだってこんな邪険に扱われたことはない。
私は真心から優しくしようとしたのに、あんな態度行動で応じられてしまった。
拒絶どころではなかった。あれは嫌悪か、憎悪に近い動きだった。
「ひどいよ」
私は言った。一言そう言うと、あとは言葉がとめどなくあふれてきた。
「私、前から素敵だなって。義弘くんのこと好きだなって思ってたのに。それで勇気出して告白したのにさ。そういう風に、力づくで拒否るんだ? それさ、ひどくない? ひどくない? なんでこんな、私のこと突き飛ばしたりするの? 危ないじゃん! 転んでケガしたらどうするの? なんで突き飛ばしたりしたの? ひどくない?」
「……突き飛ばしたつもりは……」
「押したじゃん! 無理矢理身体から離して押したでしょ? なんでウソつくの?」
「……ゴメン……」
「義弘くんが好きだから頑張ってコクったのに、何それ? あんまりひどくない? もう私、心ズタズタだよ!?」
「押したのは、本当に悪いと思ってる……でもあんまり急に抱きつかれて、びっくりして」
「びっくりしたのはこっちだよ! 男の力でさ! 無理矢理! 強引に引き剥がされて!」
「……でも君も、いきなり男の子に抱きつかれたら」
「今は! 義弘くんが! 私にしたことの話をしてるの!! もしもの話とかしてない!!」
「………………」
「謝って」
「……ごめん」
「ちゃんと。ちゃんと謝って」
「……本当にごめん」
「もっとちゃんと謝って!」
「…………ごめんなさい」
義弘くんは深々と頭を下げた。それが思いの外、真摯な態度だったので、私の胸を打った。
目から涙がこぼれた。
私は近づいて、頭を下げている彼の両肩に優しく手を当てた。
「……ごめんね、大きい声出して。すごい怒ったりして」
鼻がグズグズいってちゃんと話せなかったが、どうにかそれだけは伝えた。
「もういいよ……ありがと。気持ち、伝わった」
肩をつかんで押し上げたが、義弘くんの顔はまだ凍りついたままだった。女子を泣かせたことがないのかもしれない。目がどこも見ていなかった。言葉を探しているようだった。
「ねぇ、ちゃんと聞くね?」
肩に置いた私の手に、ゆるく柔らかな力が入った。今度はきちんと確認をした。
「抱きしめて、いい?」
義弘くんは私と目を合わさないまま数回まばたきをした後、黙ってゆっくりと頷いた。
「はぁ~っ、よかったァ…………」
私は頭を下げている彼の肩から上を優しく抱きしめた。
「わかってくれたんだね…………ありがとう…………ありがとう義弘くん…………」
彼は私の腕の中で震えていた。私の気持ちの強さにうち震えているのだろうか、それとも例の得体の知れない暗がりの恐怖に震えているのだろうか、それはわからない。
けどこれだけは心に決めていた。
私は、義弘くんと、結ばれたい。
ゲイもレズもストレートも、そんなものは関係ない。そういう小さな差異を越えた大きな愛を、私は持っている。
あとは義弘くんにそれを受け取ってもらうだけだ。
……どうすれば、彼にこの気持ちをわかってもらえるだろう? この愛を受け取ってもらえるのだろう?
街頭が舞台演劇のスポットライトのように2人を照らす中で、私は次になすべきことを考えていた。
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