649話 ミティの出産

 ミティが産気づいてから1時間以上が経過した。

 すでに日は落ちてしまっている。

 俺はというと、分娩室の前に持ってきたソファに座りながら、ひたすらミティと赤ちゃんの無事を祈り続けている。


「頼む。頼むぞ……」


「大丈夫。きっと元気な子どもが生まれる」


 俺の隣に座っているアイリスが、ぎゅっと俺の手を握ってくる。

 その手は微かに震えていた。

 彼女だって、もちろん怖いはずだ。

 同時期に妊娠したミティの出産を迎え、自分の事のように感じているのだろう。


「そうだな。みんな不安なんだ。俺がしっかりしないと……」


「うん。一緒に祈ろう」


 俺とアイリスは2人で手を繋ぎ、無事を祈り続けた。

 マリアやリーゼロッテも神妙な顔で待機してくれている。

 モニカやニムたちも、ハイブリッジ家の一大事ということでリビングや廊下を行ったり来たりしている。

 みんな落ち着かない様子だ。


「おぎゃあ! おぎゃあ!」


 突然、分娩室の扉の向こう側から、赤ん坊の大きな泣き声が聞こえてきた。


「う、生まれたのか!?」


「やりましたよっ! お館様!!」


「ミティ様も赤ちゃんも、ご無事ですぅ!」


 レインとリンが分娩室から顔を出してそう言う。

 どうやら、無事に産まれたようだ。

 俺は思わずガッツポーズしてしまった。


「ミティさんは頑張っていましたよ。さあ、彼女と赤ちゃんをひと目見てあげてください」


 サリエも出てきてそう言った。


「ああ、分かった!」


 俺は分娩室に入る。

 そこには、疲れ果てながらも満足げな表情を浮かべるミティと、彼女の腕の中に抱かれている小さな命があった。


「ミティ……おめでとう……」


「タカシ様……。私……。頑張りました」


「ああ、よくやったな。本当にありがとう」


「えへへ……。ありがとうございます」


 ミティは涙ぐみながら微笑んだ。


「この子が俺たちの子どもなんだな」


「はい……。とても可愛い女の子ですよ」


 俺はミティの腕の中を見る。

 そこにあったのは、まだ瞳が開いていない、ふにゃふにゃの小さな赤ちゃんの顔だった。

 俺はそっとその子に近づく。


「初めまして。パパだよ」


「あう~」


「うおっ! 喋ったぞ!」


「ふふっ。当たり前じゃないですか」


 ミティがおかしそうに笑っている。


「ミティ。正式に名前を付けてもいいかな?」


「ええ。もちろんです。以前相談していた名前にするのですよね?」


「ああ。女の子だから……。ミカ、だな」


「ふふふ。何度聞いても素敵な響きですね」


「だろう? 今から君の名前は、『ミカ』だよ」


 ミティの『ミ』とタカシの『カ』から取った名前だ。

 別に絶対に名前から取ると決めていたわけではないのだが、ミティと相談の上、語感もいいということでこの名前に決めた。


「あう~」


「よしよし。いい子だ」


 俺は満足感と共にミカを眺める。

 さっそく抱っこして親子のスキンシップを図りたいところだが、生まれたての赤ちゃんと過度に触れ合うのはあまり良くないと聞いたことがある。

 それはもちろん現代日本におけるうろ覚えの知識だし諸説もあるのかもしれないが、サリエや産婆に事前に聞いていた話とも矛盾しない内容だったので信用できると思う。

 明日以降でいくらでも触れ合える機会はあるだろうし、今日はスキンシップを我慢しよう。


「では、ミティ様とミカ様は、ミティ様のご自室にて休憩されるのがよろしいでしょう」


「そ、掃除は万全ですよぉ。それに、今後はわたしたちが常に1人付くようにしますのでぇ」


「はい。よろしくお願いしますね」


 ミティは産後の疲労からか、少し足元がおぼつかない。

 そんな彼女を、レインが付き添って連れていってくれた。

 産婆が主体となり赤ちゃんの生後処置も終わっている。


 これで俺の出番はない。

 俺もこの分娩室を出て休もう。

 部屋を出た俺を待っていたのは、アイリスとモニカだった。


「ふふ。無事に生まれたみたいだね」


「ああ。元気いっぱいな女の子だったよ」


「よかった。ミティは大丈夫なの?」


「ああ。産後で疲れているようだが、メイドたちが付いている。問題ないだろう」


 心配なので俺も付きっきりで看病したいが、それは産婦の負担になる可能性がある。

 出産直後の弱った母体にとって、他者と無闇に接するのは厳禁らしい。

 赤ちゃんとも同様だ。

 治療魔法を使える俺なら益もあるだろうが、常に側にいる必要はない。

 万が一に備えて屋敷内で待機しておくぐらいがベストだろう。


「そういえば、あの子の髪の色だけど、タカシと同じ黒系だったね」


 モニカがそう指摘する。


「ああ。ちょっと嬉しいな」


 日本人の俺の髪はもちろん黒だ。

 ミティの髪の色はやや緑味を帯びた黒系だ。

 光の加減によっては鮮やかな薄緑に見えることもある。


 ミカの髪の色は、俺やミティと同じ黒系統だった。

 まだうっすらとしか生えていないので確証は持てないが、ちょうど俺とミティの中間ぐらいの色合いかもしれない。


「お館様ぁ~! おめでとうございますぅ!」


「おめでとうございます!」


 リンとレインが小走りに駆け寄ってきた。


「おう。2人ともありがとうな。無事に生まれてくれて良かったよ」


「えへへ。お役に立てたならよかったですぅ」


 リンが嬉しそうに言う。


「それで、ミティは部屋で寝ているのか?」


「はい。やはりお疲れだったようで、すぐにお休みになられました! 今はサリエ様と産婆さんが予後観察をしています。私たちメイドからはハンナさんに出てもらって、万が一に備えています!」


「なるほど。それなら安心だ」


 産婆にはもちろん適切な報酬を約束しているが、今後のアイリスやモニカの出産でも万全を期してもらうために、やや多めの報酬を渡しておくか。

 メイド勢はこれも業務の1つと言えばそれまでなのだが、今後も気持ちよく働いてもらうためにはやはり多少のボーナスは必要だろう。

 そしてサリエへの感謝も忘れてはならない。

 明日以降にミティやミカと接することや、アイリスやモニカの出産を楽しみにしつつ、俺は日常に戻っていくのだった。

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