648話 陣痛
数日が経過した。
合同結婚式の余韻もなくなり、ラーグの街はすっかり元通りになった。
相変わらず平和な日々が続いている。
「きょ、今日はいい天気ですね」
「ふふん。こんな日は外で日向ぼっこするに限るわね」
「そうだねっ! マリアもお昼寝するよっ」
「気持ちのいい日になりそうです」
「お昼をたくさん食べてからのお昼寝……。最高ですわ~」
ニム、ユナ、マリア、サリエ、リーゼロッテがそう言う。
彼女たちは今、ハイブリッジ邸の庭にてくつろいでいる。
普段は働いたり鍛錬したりもしているのだが、今日は休むようだ。
たまにはこういうのんびりした時間を過ごすのもいいだろう。
一方の俺はと言えば……。
「おらぁっ!」
「むっ! なんのこれしき、でござる!!」
蓮華と共に、剣術の鍛錬をしていた。
剣での攻防を終え、一息入れる。
「蓮華の刀捌きは見事だな。動きがまるで見えない。また腕を上げたか?」
「うむ。数日前のたかし殿との鍛錬が実を結んだのでござる」
「さすがだ。”山風”の二つ名に似合った軽やかなスピードだ」
「お褒めの言葉ありがたく受け取るでござる。しかし、拙者の技はまだまだ未熟。師匠の動きに比べれば児戯に等しいでござるよ」
蓮華が謙遜してそう言う。
チートの恩恵を最大限に受けている俺と互角の時点で十分過ぎると思うが……。
師匠とやらは、どんな化け物なんだよ。
「その割には俺の攻撃を何度も受け流しているが?」
「たかし殿も本気ではないでござろうに。おいそれと負けてはおられぬでござる」
「俺が本気ではない? そんなことはないと思うが……」
「いやいや。本気を出したときのたかし殿の剣筋は、こんなものではござらん。かつてのどらごん戦やりーるばっはとの戦いは見事でござった」
「んー。そうなのか?」
ファイアードラゴン戦は、自身の生死が掛かった戦いだった。
その後のラスターレイン伯爵家との戦いも、なかなかに緊迫したものだった。
確かにあれらと比べれば、ただの模擬試合である今の集中力は下かもしれない。
「そうでござる。まぁ、今の段階では勝ちを譲るでござるが、いずれ必ず追いつかせてもらうでござるよ」
「ははは。それは楽しみだな」
「では、そろそろ休憩にするでござる。その後は魔法鍛錬をしよう」
「ああ、わかった」
俺と蓮華は木陰に移動する。
木陰では、ミリオンズのみんながくつろいでいる。
「お疲れー。タカシ」
「お見事な剣筋でした! さすがはタカシ様です!」
「二人とも凄かったね。蓮華さんのスピードは、私よりも速くなっちゃったかも?」
アイリス、ミティ、モニカが声を掛けてくる。
「うむ。もにか殿の速度も凄まじいものでござったが、それに少しばかりは追いつけているやもしれぬ」
「蓮華さん。こちらの飲み物をお飲みください」
「おお。かたじけないでござる」
ミティが飲み物を持ってきて蓮華に渡してくれた。
彼女を始めとした3人のお腹は、かなり大きくなっている。
もういつ出産を迎えてもおかしくない。
などと考えているうちに……。
「うっ! いたた……」
「どうした? ミティ」
突然、ミティが苦しみ始めた。
「ひょっとして生まれる? 陣痛の周期が短くなってきていたし。いよいよこの時が……」
アイリスがそう言う。
「え? そうなのか!? じゃあ、早く産婆さんを呼ばないと!」
この街にももちろん産婆はいる。
ベテランで実力の確かな者に事前予約を入れてある。
領主である俺からの依頼なので、可能な限り他の予定は入れないようにしてくれている。
呼べばすぐにでも来てくれるはずだ。
「ちょっと行ってくる!」
俺は慌てて駆け出そうとする。
だが、そんな俺の肩が掴まれた。
「待つでござる、たかし殿」
「蓮華? しかし……」
「たかし殿はみてぃ殿の側にいてあげるでござるよ。ここは拙者が!」
確かに、”山風”の二つ名を持つ蓮華であれば素早く産婆を呼んできてくれることだろう。
「ああ。分かった。よろしく頼む」
「承知!」
蓮華は颯爽と走っていった。
そして、そんな俺たちの騒ぎを聞き付けたのか、屋敷にいた使用人たちが集まってきた。
「わわっ! いよいよご出産ですか!?」
「こっちも準備を進めますぅ」
「分娩用の部屋は清潔に保っております。ご安心を」
レイン、リン、セバスたちがテキパキと動き出す。
「みんな、ありがとう!」
俺は感謝の言葉を述べる。
「いえいえ。当然のことですよ!」
「ご主人さまの大切なお子様ですからぁ」
「ハイブリッジ騎士爵家の未来を担うお方のご誕生です。使用人一同、気を引き締めていきますぞ!」
「うむ。心強い。頼んだ」
「「「はっ!」」」
それからクルミナやハンナたちも合流し、出産の準備を進める。
産婆は蓮華に連れられて無事に来てくれた。
出産に向けて万全の態勢が整いつつある。
「タ、タカシ様……。いよいよですね……」
「ああ。ミティ、頑張るんだぞ。応援してるからな」
俺は分娩室の前で、そう声を掛ける。
出産そのものには立ち会わない。
俺がいても何もできないしな。
素人は下手に手を出さない方がいいのだ。
「はい。頑張ってきます。最後に、手をギュッと握ってもらってもいいですか?」
「ああ。いいよ」
俺はミティの手をそっと握る。
「えへへ……。これで大丈夫です。なんだか勇気が出てきました」
「そうか。良かった」
「では、行ってまいります。タカシ様」
「おう。気をつけてな」
ミティは産婆やレインと共に、分娩室に入っていった。
もしものときのために、サリエも入っている。
彼女は卓越した治療魔法に加え、医学的な知識もあるからな。
産婆やメイドで対応できない状況にも対応できる可能性がある。
そしてサリエだけでは治療不可能な事態が発生すれば、分娩室の前で待機している俺の出番である。
俺とサリエの合同魔法であれば、即死レベルでない限りは対応できる。
「ミティ……。大丈夫かな? ボクも他人事じゃないよ」
「元気な赤ちゃんが生まれるといいねっ!」
「念のため、わたくしもここで待機しておきますわ」
さらに言えば、アイリス、マリア、リーゼロッテも治療魔法を使える。
万が一にも母体が死ぬことはないだろう。
赤ちゃんについては母体に比べて多少のリスクはあるが、それでも大きな心配は要らない。
卓越した治療魔法の使い手が控えている状態での出産事故は、過去にもあまり例がないと聞いている。
ただし、生後すぐから治療魔法を乱発し過ぎると、子どものその後の発育に悪影響があるという話もある。
基本的には使わない方向性だ。
「ミティ……。そして愛する我が子よ……。どうか無事に生まれてくれ……」
ここからは祈るばかりである。
そして、俺の体感時間にして無限にも等しい長い時間が過ぎていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます