604話 だってよ……、ご主人……!!

 クリスティとアランが死闘の末、リトルベアを撃破した。

 しかし喜びも束の間、2頭目のリトルベアの出現により窮地に陥ってしまった。

 奴の爪がクリスティに迫る。


「ちくしょう……」


 彼女は死を覚悟した。

 そのときだった。


 ザクッ!!

 何かが切り裂かれるような音が響いた。

 クリスティの肉がリトルベアの爪で切り裂かれた音だろうか。


 いや、違う。

 クリスティに痛みはない。

 謎の参入者が、リトルベアの攻撃からクリスティを庇ったのだ。


「ご、ご主人……?」


「よう。無事だったか。すまんな、慣れない重力魔法でここに来るまで手間取ってしまった」


 乱入者の正体は、タカシであった。

 彼は重力魔法を使用し、崖の上から落下してきたのだ。


 熟練の重力魔法使いであれば、繊細な制御によりもっと速くここに来れただろう。

 例えば、落下当初は自由落下でぐんぐん進んだ後、徐々に減速するという制御も可能だったはずだ。

 しかしタカシは重力魔法を取得したばかりだったので、少し時間が掛かってしまったのである。


「グルル……。ガアアァッ!!」


 リトルベアが怒り狂い、タカシに襲いかかる。


「おっと。まだやる気か」


 タカシがリトルベアに視線を向ける。

 彼の実力なら、リトルベアなど相手ではない。

 腕に抱えたクリスティを置いて自由になれば、容易く葬れるだろう。

 だが……。


「失せろ」


 タカシがリトルベアを睨みつける。

 次の瞬間、リトルベアがガタガタと震えだす。

 まるで、蛇に睨まれた蛙のように。


「グルル……。ギャオオオォッ……」


 リトルベアが怯えながら後退していく。

 その様子は、先ほどまでの威勢の良さからは想像できないものであった。

 タカシの威圧感が、リトルベアに恐怖を植え付けたのである。


「ふぅ……。もう大丈夫そうだな」


 タカシがそう呟く。

 彼がリトルベアを討伐せず、威圧で追い払うだけにした理由は2つある。


 1つは、抱えているクリスティのため。

 彼女身の安全と、一刻も早い治療を優先したのだ。

 そしてもう1つは、彼自身の問題のためであった。


「さあ、クリスティ。治療してやろう。……ん? 向こうで倒れているあいつは、例の冒険者か。極度に疲労している上、骨折もしているようだな。ま、先にクリスティだ」


 タカシがそう言う。

 彼は女好きであり、仲間思いでもある。

 女性でありハイブリッジ家の配下でもあるクリスティと、男性であり配下ではないアランでは、優先順位に差が生じる。

 もちろん命に関わるケガを負っているのであれば、優先順位の入れ替えもあり得る。

 しかし、見たところそこまでのケガでもなかったのだ。


「ご、ご主人……。ひっく……! あ、あたいのために、なんてことを……」


 クリスティが涙を流しながら、そう言う。


「おいおい。どうしたんだ? クリスティらしくないぞ。そんなにリトルベアが怖かったのか?」


 タカシが冗談めかして言う。

 クリスティは、普段からタカシに対しても強気な態度をとっているため、このような態度を見せることは珍しい。


「違う……! だってよ……、ご主人……!!」


 クリスティが嗚咽しながら話す。

 彼女が気にしてるのは、タカシの左腕の……。






「袖が!!!」






 クリスティがそう叫ぶ。

 リトルベアの攻撃から彼女を庇った際に、爪により上着の袖が切り裂かれてしまっていたのだ。


 彼の上着は、特別に思い入れのあるものだ。

 少し前にサリエやオリビアと共に裁縫を行い、見事自力で完成させたのである。

 特に袖の装飾が気に入っている様子で、事あるごとに自慢していた。

 それが無残にも切り裂かれてしまっているのを見れば、クリスティが動揺するのも無理はない。


「安いもんだ。袖の1つぐらい……。クリスティが無事でよかった」


「……う……うう……。うわああああああ!!」


 クリスティは、タカシの胸に顔を埋めて泣き続ける。

 ソロでの冒険者活動をタカシが認めてくれなかった理由。

 大自然の過酷さ。

 魔物の驚異。

 己の非力さ。

 なにより、タカシという男の偉大さをクリスティは知った。

 こんな人物にいつかなりたいと心から思った。


 しばらくして、クリスティは泣き疲れた上に安堵したためか、眠ってしまった。

 タカシはそれを穏やかな目で眺める。

 しかし、1つ気になることがあった。


(…………袖くらいで大げさじゃね? 腕を切り裂かれたのならばともかく……)


 タカシは加護の恩恵や日々の鍛錬により、様々な能力に秀でている。

 闘気の制御についても、成長を続けている。

 常時身にまとっている闘気により、彼の肉体強度は一般人やそこらの冒険者とは一線を画する。

 リトルベアの爪を受けた場合、上着の袖は切り裂かれても、腕は若干の切り傷が生じる程度で済むのだ。


 (ま、いいか……。クリスティがこれほどしおらしいのも珍しい。雪月花やそこの冒険者との一件で、何か心境の変化でもあったのかな?)


 タカシはクリスティを抱きかかえたまま、治療魔法を発動させる。

 そして次は倒れている男の元へと歩み寄る。


「ふむ……。こいつは酷いな……。よくここまで戦えたものだ。根性がある」


 タカシは思わず感嘆の声をあげる。

 アランの傷はそこまで深くない。

 しかし、闘気と魔力の消耗具合は生半可ではない。

 タカシがささっと治療魔法を掛ける。


「これでよし。……ん? これは……?」


 タカシは、男が所持していた剣を拾い上げる。

 それは、非常に強力な魔剣であった。


「……ミティが作った剣か。俺が込めた火の魔石もあるが、魔力が失われている。うまく使ってくれたようだな」


 冒険者や衛兵の底上げをするため、タカシはいろいろな施策を行っていた。

 そのうちの1つが、上質な武器を比較的安価に提供することだ。

 既存店の邪魔にならないよう、直売は避けて既存店に均等に卸している。

 実際に活用されているのを見て、少し嬉しい気持ちになった。


(んん? この男の忠義度も30を超えているな……。あんなに舐めた口を聞いてきたのに)


 男が舐めた口を聞いたのは、タカシとハイブリッジ騎士爵が同一人物であることに気付いていなかったからだ。

 忠義度が以前よりも上昇しているのは、ハイブリッジ騎士爵が作った魔剣によりリトルベアの討伐に成功したためである。


(まあいいか。冒険者ギルドの一件での対応も、今回のストーキングも、重力魔法による落下も……。それぞれもっとうまくできたかもしれないが、結果オーライとしておこう)


 ケガ人は出たが死人はなし。

 アランの忠義度が30を超えた。

 その上、彼にとってもっといいニュースがあったのだ。


「さて。クリスティとこの男を連れて、地上に戻るとするか。雪月花たちが待っているからな」


 タカシはそう言って、アイテムルームから『魔法の絨毯』を取り出したのだった。

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