蒼穹と砂時計

朝露。

第1話 いつもの朝

 僕の朝は、いつも遅い。


 雑にかける肌触りの良いタオルケット。

 聴覚を刺激する近い蝉の声と様々な雑音と、

 開きっぱなしの窓の外が僕を現実へと引き戻す。


 カラカラと鳴る空の風鈴の音。

 風になびくカーテンのフックが似た音で鳴く。

 陽のよく当たるベッドは、今日も暖かい。

 いや、暑いと言うべきか。


「――おはよう」


 目元に乗せたままの腕を下ろし体を起こす。

 体が重いのはもう慣れたこと。


 所々に埃の目立つ木の床に置く両足。

 寝具の縁に揃えられた靴へと手を伸ばす。

 色褪せた茶と白。少しサイズの合わない靴と下。

 半分乱暴に突っ込む足。

 履く靴下のもどかしさが少し鬱陶しい。

 だが、履かない訳にはいかなかった。


 それから程なくして立ち上がる少年。

 その足が狭い部屋を数歩程引きずって歩く。

 向かうのは古くなり所々欠片の飛んだ木製の扉。

 左で握るドアノブを右下へと捻り、

 軋む音と鳥の囀りとに迎えられながら、

 僕はその部屋を後にした。


――ミーンミンミンミン。


 続けて迎えるのは重なった蝉の鳴き声。

 あまりの外の眩しさに眩み、少年が目を瞑る。

 開けた高台の端に雑に刺さる柵。

 横目に眺める澄み渡る青い空。

 遠くに見える海はそれよりももっと深い。

 その中で色としての強い存在感を持つ入道雲。


 この景色を見る度に、

 あぁ、また夏が来たんだなと。

 今日もそんな思いに耽けて、

 顰める眉に表情が連れて歪む。

 見飽きた景色に少年は背を向けた。


――行こう。


 広がる自然の中続く獣道。

 ここで時間を食っている暇はない。

 進むのは草木の生い茂る森の中。

 先程の小屋の立つ高台からは少し坂を下る。


 赤いテープの巻かれた子供の木。

 そこを抜けると空気がガラリと変わる。

 広がる森に育つ陽を遮る高い木の数々。

 湿った空気が段々と冷えていくのを肌に感じ、

 少年が小さく身震いをする。

 時折頭を掠める枝と葉とにつく大きなため息。


――そろそろまた整えなくちゃ。


 この辺りでは夏に雨が降る事自体が珍しい。

 海に近いが故にそれが仇となってしまっているのが原因なのだと、昔大人が愚痴紛いに言っていた。

 だがそんな環境にも関わらず、

 この間もまた雨が降った事を少年は憎んでいた。

 本来ならばあってはならない異常事態。

 今年の夏ではこれで二度目となった。


 微かに触れる枝から落ちる露が右腕を伝う。

 見上げるのは立派に腕を揺らす大木。

 時折踏みしめる草花の梅雨が靴下を湿らせる。


 ついこの間まで僕より背の低かったその木。

 ついこの間ようやく顔を出したその草花。


 先輩達の背を追って必死に陽を覆い隠す。

 かつてと比べてかなり立派になった幹。

 何度踏まれてもその夕には既に立ち直り。

 今ではついに花をも咲かせた草とその野花。


 この森は常に成長し続けている。

 ついこの間まで見下ろしていたものの殆どは、

 あっという間に僕の背を越して、

 気が付けば僕が見上げる側となっている。

 草花だって、元はここまで強くなかった。

 すぐに折れるものもいた。

 だが、諦めず伸びるものの努力と根性とは

 必ず実るものだ。

 故に今、こうして花を咲かせている。


 僕はこの森にいつも一人取り残されていた。

 段々と高くなっていくハードルに追いつけない。

 彼らの様に、挙げられた条件に食らいつけず、

 結局最後はいつも切り捨てられる。

 味方などいないに等しかった。


「……急ごう」


――が待ってる。


 やや急ぎ足で進んでいく獣道。

 所々で土から飛び出る大きな石。

 それらはゴツゴツと道を崩し、

 そして土踏まずでそれを踏みしめる。

 ただずっと木とその枝と草花とが広がる、

 同じ景色の続く森の中。


 一頭の鹿が少年の顔を見て逆の道に姿を消す。

 均等に生える草に足跡は残らない。


 その中で段々と見えてくるのは、

 それらが別れ広く拓けた場所に建つ木と、

 欠けた煉瓦との小さな建物。

 木の頭から微かに見えたその屋根に、


 少年が、笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る