ラムチョップに乾杯

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ラムチョップに乾杯

彼女が私のところにやってくる時はいつもこうだ。

私の身に何か不幸が起こった時、リンカは絶妙のタイミングで私のところへ顔を出す。もちろん何の予告もなく。

そう、まさに今みたいに。



インターホン越しに聞こえた彼女の声を確かめたくて、半信半疑のまま玄関を開けたら、そこには幼稚園の頃から変わらない、南の島の太陽みたいな笑顔のリンカがいた。

そして「アキ!久しぶりぃ!せっかくだから泊まりにきた!」と、さも当たり前のように言ったので、思わず私の口から「嘘でしょ」と声が漏れた。

なぜなら彼女は今、オーストラリアにいるのだとてっきり思っていたからだ。

突然やってきては何の遠慮もなくヘラヘラとした彼女のテンションは、気持ちが下降気味である今の私には相当に毒で、自然と眉を顰めてしまう。


「オーストラリアにいたんじゃなかったの」

「ステイ先の契約が終わったからちょっと帰って来たんだってば」

「それで、せっかくだから泊まりにきたって、おかしいでしょ」

「えー、いいじゃーん。アキと私の仲でしょう」

「っていうか、なんでいつも実家まで真っ直ぐ帰らないの」

「明後日に都内で友達にも会う約束しちゃったもんで・・・・・・ってなわけで、明日も泊めて!お願い!」

「そもそもアポなしでくるとか毎回ありえないんですけど!私が出掛けてたらどうするのよ」

「だってアキ、いつもいるし」


そんなことないし!と言い返したかったけれど、恥ずかしい事にごもっともなことを言われて、ぐうの音も出ない。


今日は金曜日。普通だったら明日の休みを前に友達と飲み会やらお稽古やらウキウキと出かけるんだろうけれど、今の私にとってはそんなものはキラキラしたファッション誌の中だけの世界だ。


仕事から帰宅して寛いでいたので半そでワンピースにパーカー、おまけにすっぴん姿で出た私と、かたや腕まくりした麻のシャツとジーンズ姿に、大き過ぎるリュックを背負っているバックパッカー姿のリンカ。

久々の再会のはずなのに、お互いファッションは女子力とは程遠い。これが私たちの現実だ。


正直な話、女子力どころか恋愛なんか今週の月曜日にいきなり玉砕したばかりだし、おかげで仕事だってミス続きで4年も勤めている立場はゼロ。

金曜日なんて字面では充分華やかに聞こえるけれど、踏んだり蹴ったりな週だったからこそ外へ向かう気力なんか湧き出てくるはずがなかった。


そんなところに、この超自由人の幼馴染の1年ぶりになる突然の来訪。

考えただけでも疲れそうな要素に、私は何も見なかったふりをして玄関を閉めようとした。が、事もあろうかリンカは一昔前のしつこい新聞屋のように扉に手と足をかけて閉じるのを阻止した。


「勧誘ならお断りです!」

「ちょっとぉ!ホント相変わらずだね、アキちゃんったら!」

「その言葉、そっくりそのまま返すし!」

「じゃあ何でインターホンの時点で追い返さなかったのかなぁ!?」

「だってあんたが日本に帰ってるなんて信じ難かったし!帰ってくるなら事前に教えてよね!」


リンカから4ヶ月くらい前にきたラインを思い返していた。

ファームステイというのでオーストラリアにいるのだと、農場で働いている写真と一緒に送られてきたのだった。

リンカは昔からお金が貯まるたび、それを軍資金に海外に働きに行く。

普通だったら旅行や観光に行くのに、わざわざ働きに行くのだからご苦労な事だと思う。行ったらしばらく帰ってこないし、今回も半年とか1年とか向こうにいるんだろうなと思いながら、昼休みにそのラインを見たのを覚えている。

ドアにかけた手の力を全く緩めず、強行突破といわんばかりに体を割り込ませようとしたので、私はバカバカしくなって白旗を上げることにした。こんなところで無駄な体力を使うには、まず気持ちが続かない。

私の力が抜けたのが分かった途端、リンカも無理に入るのはやめたようだ。にっこりと笑いドアから手を離した。


「やっぱりアキなら開けてくれると思ってた」

「部屋更新したばっかでドア壊されちゃたまんないっての。ほら」


仕切り直してドアを開けてあげると、大きなリュック姿を屈ませて、足元に置いてあったらしいビニール袋を持ったのが分かった。

家の中に誘いながら「なにそれ」と訊くと「手ぶらじゃあ悪いから食いぶちくらい持ってきましたとも」と誇らしげに答える。

オーストラリア土産かと思いきや、なんてこない。

うちから一番近いスーパーの袋だった。拍子抜けしたあたり、何だかんだ自分はリンカのお土産に期待していたようだ。


玄関で靴を脱ぐと「リュックあんまり綺麗じゃないから玄関に置いていい?」と訊いてきたので、どっちにしろ着替えやら必要なものがある事には変わりないので「部屋に置いていいよ」と答えるとリンカは「えっほんと?さんきゅー!」と遠慮なくソファの隣に置いたのだった。



リンカとは幼稚園の頃からの幼馴染だ。家がはす向かいで、実に高校に入るまでずっと腐れ縁だった。

子どもの頃からリンカはちゃっかり者のマイペースで、他の目が気になってしょうがない私とは正反対だった。いつも機嫌が良さそうにニコニコして誰とでも打ち解ける。仲間はずれにされてもあんまり気付かないし、気にしない。

私はいつも誰かの目線や言動が気になって、小さな事を気にしては落ち込んだり怒ったり。グループだって違ったし、ただはす向かいに住んでいるっていう関係だけだ。

それに正直、リンカの事は小さい頃はあんまり好きじゃなかった。

自分とはタイプも性格も違う事が何となく許せなかったのかもしれない。

今ではそれが無いものねだりの嫉妬だったのだと気付くけれど、そんな私の態度を彼女はちっとも分かっていないので、結果私の小さな劣等感は抱いていても何の意味もないものだった。

今ではすっかり幼馴染の勝手知ったるやというやつで、一緒にいると不思議と気が楽になってきているのだから、全くもって女幼馴染という関係は分からないものである。


リンカがいつものように洗面所で顔や手を洗っている隙に、ふと部屋を見渡しては、ちょっとだけ後悔した。なぜなら部屋があまりにも寛ぎ過ぎていたからだ。つまり、大変散かっているという状況。

ベッドやソファのあちらこちらに洗濯済みの服やシャツや雑誌が置いたままだし、メイク道具も出しっぱなし。キッチンはかろうじて綺麗にはしているけれど、これじゃあ泊まらせようにも場所がないし、人を泊めるのにちっとも偉そうにできやしない。

片づけている気配を何となく消しながら、満員電車のごとくいっぱいになったクローゼットをしめると、綺麗にしてきたリンカが戻ってきた。


「アキはもうご飯食べた?」

言いながらリンカは、買い物してきた袋の中を確認しはじめる。

私は「簡単にだけど・・・・・・」と歯切れ悪く答えると、「あ、当ててあげようか。朝残ったご飯に何か乗っけてかっこんだ」と意地悪っぽく言ったもんだから「見事大正解ですけれど、残念ながら何にもでませんよー」とネタバレをした。

まさしくリンカのご明察通りに、朝炊いたご飯の残りをチンしてお醤油と一緒にといた卵をのっけ、さらに納豆をトッピングするというTKG(たまごかけごはん)を食べたところだった。

卵かけご飯には卵かけご飯だけでしょ!という意見は勿論正しい。

しかしながら、私はそれにさらにふりかけや鮭ほぐし、キムチになめたけや海苔を気分で乗っけてちょっと濃いめの味を楽しむのが好きだ。

それに一品ご飯なのにちょっとだけ満足感も感じる。と、そんな事誇らしげに言う事でもないのだけれど。っていうか明らかにシンクから推理してるし!


リンカは「じゃあ、お腹いっぱいでこれはいらないかなぁ」と先ほど買い物をした中身を少し残念そうに覗いたので「何買ってきたの」と訊いてみると「にく」と袋の中からパックを取り出して目の前に出した。

半透明のビニール袋からうっすらと白くて角が丸いトレ―が見えていたから、お肉が入ってそうだなぁとは気付いていた。

そして改めてそれを見せられて思う。私が留守だったら本当にどうするつもりだったんだろう。

相変わらず考えなしだと思いつつ私は、肉かぁ、と真似て口に出すと、彼女の持つそれがどうやら普通のお肉とは違うことに気がついた。


血のように赤い色をした立派な骨付き肉2枚。

表面をよく見ると脂で少してらてらと光っていて、実に弾力のありそうな塊だ。

よく焼いたらじゅわっと滴りそうな脂身を適度にまとっているラムチョップだった。


「ラム肉じゃん。こんなの、あそこのスーパーに売ってたんだ」

「もしかして、ここらへんにトルコ系の人とか住んでたりする?」


リンカの問いかけに、私はご近所事情に頭をめぐらした。

通勤途中や買い物での断片的な光景が次々と浮かんでくる。そう言われると確かにいるかもしれない。スーパーやコインランドリーで何回かファミリーや若いお兄さんを見かけた事があると思った。

その旨を言うと「ラム肉とか切らしてないとこって結構住んでるんだよね。おかげで美味しいお肉にありつけてよかったよ」と嬉しそうに笑った。


「で、なぜにラム肉?」

「たまには面白いかなと思って。台所借りるけどいい?ちゃんと野菜も買ってきたし」

「・・・・・・食べさせてくれるんなら好きに使っていいよ」

「やだ、アキったらつれないふりしてしっかりお腹すいてるじゃん」

「宿泊料よ、宿泊料。それにこのお肉、値下げシールばっちり貼ってあるし安いもんでしょう」

「あ、さすがに分かった?」

「こんな目立つシール、見ないわけないでしょ」


だからラム肉なわけだ。だけどそこがリンカらしいと思った。

キッチンを好きに使えることとなったら、本人は嬉しそうに材料を袋から出しはじめた。私はそれを見て、せめてサラダくらいは作ろうと思い隣に立つ。

大人の女2人が小さなアパートのキッチンに立つのは案の定きゅうくつだけれど、海外で色々な経験をしているだけにそんなことはちっとも気にしていなさそうだ。


私がレタスやらトマトを冷蔵庫から出すと、ちょうど肉のパックを剥がしかけたリンカが「あっ」と何かを思い出したように言い、リュックへと向かった。

そして中から何かを探り、小瓶のようなものをいくつか両手に持って戻ってくる。

良く見ると赤や黄色、乾燥してくすんだ緑色した葉っぱや粉が入っていた。どうやらスパイスのようだ。小人のように並んだ小瓶はカラフルで何だか可愛らしい。


「何か本格的だね」

「前にマレーシアに留学した友達がいてさ、そっから美味しさの布教された」

「マレーシアってカレー系?」

「カレー系だねぇ。でも、結構いくつか持ってると便利だよ」

「スパイス何種類も持っても使い道分かんない」

「大丈夫、肉にかけたり混ぜたりすれば大概美味しくなるから。アキは何すんの」

「肉っていうからサラダくらいつくろうかなと。レタスときゅうりとトマトしかないけど」

「ちょうどよかった!オレンジも買ってきたんだけど、それサラダに混ぜちゃお」

「え~?サラダにオレンジ?変じゃない?」

「そう?グレープフルーツとか入れない?砕いたナッツとか」

「ヨーグルトには入れてもサラダには入れないなぁ。何そのオシャレ飯」


おしゃべりをしながらも、わずかなスペースで私たちは手を動かし始めた。

リンカはトレ―のラップを外し肉に塩と胡椒、持ってきたスパイスをラム肉に振り、両面にすりこむように撫でている。スパイスには自分で書いたらしいラベルが貼ってあり、クミン、カルダモン、ナツメグ、パプリカとある。

使っているものは本格的っぽいけど今の手つきを見たところ、振りかける量も目分量だしきっと適当に味をつけているに違いない。

本当にちゃんとした味になるのだろうか。滅多に食べない料理に疑いの気持ちを持ちつつ、サラダの話を続けた。


「サラダって言うと、レタスとかきゅうりとか千切りキャベツとかにドレッシングかけたのが常じゃない?」

「まぁまぁ、たまには変わり種もよしってことで。それにオレンジ入れると結構爽やかになるよ」

「ドレッシングは何が合うの」

「普通のフレンチでいいんじゃないかな。ある?」

「あるけど、フレンチドレッシングとオレンジって合うのかな」

「きっと酸味があって爽やかで美味しいよ。それに新しい食べ合わせってワクワクしない?」


新しい食べ合わせにワクワクする。そんなの考えたことなかった。

それにフルーツを足すなんて何だか変だと思ってしまう。そんなの食べた事ないし。

その考えが顔に出ていたのか、リンカは後押しするように言う。


「美味しかったなら新しい発見だし合わなかったらそれもまた経験じゃん。まずければ鍋パの時なんかの笑い話になるしね」


そう言われると確かに納得できる。

手に持ったオレンジをもう一度見て、改めて考えた。

私は、こうであるべきだという気持ちが強い人間なのは自覚している。

だけど逆にその事に捉われすぎていることだって分かっている。そう思った時なんとなく、頭に『食わず嫌い』という言葉が浮かんだ。あまり響きのよろしくないそれに、自分がしがみついている考えが、何だかものすごく固くてつまらないように思えてきた。


「たしかに、そうかもしれない」


まさか、ふらりとやってきた幼馴染の何気ない言葉で、心の柔軟性の無さに気付かされるなんて。

ちょっとだけ悔しい気持ちを持ちつつ、新たな発見に希望を託してみるかと思い直しては改めて包丁を手にした。


きゅうりとトマトとオレンジをカットし、レタスを千切ってシンクに置いたボウルへと入れる。フリルのような葉は水を弾き、新鮮そうだ。

カットしたオレンジはとりあえず剥いて食べやすい大きさに割り、他の野菜と一緒に入れてみる。あれ?思ったより色どり綺麗じゃん。

鮮やかな緑と赤とみずみずしいオレンジが混ざり合って、ただのサラダなのに何だか楽しそうに見えてくるから不思議だ。たしかにアリかもしれない。

とりあえずサラダは出来たので冷蔵庫で少しだけ冷やすことにした。包丁とまな板をどけて洗うと、リンがフライパンをコンロにかけた。


「そういやオリーブオイルってこの家ある?あと何かジャムとかあったりする?」


またしてもいきなりのリクエストに、シンク下のキッチン収納からオリーブオイルを出してあげる。

そしてジャムは・・・・・・実を言うとある。それも変わり種過ぎて処理に頭を悩ませているものが。

私は冷蔵庫を開けてそれを差し出した。リンカはルビー色の瓶を受け取ると、はたしてこの中身は一体何の味なのか、見定めようとするもまったくもって見当がつかないという表情をする。


「アキ、これ何ジャム?つぶつぶだけど、イチゴとはちがうよね」

「コケモモ」

「は?」

「コケモモのジャム。うちのお母さんお手製の」


コケモモ!と驚くように口にすると、珍しそうにしげしげと眺めては瓶を開けた。そして一口舐めちょっとだけ酸っぱそうにする。


コケモモのジャムなんてのが実家から届いた日には、パン以外に一体何に使えばいいんだと悩んだ。母の友人の庭にコケモモの木があって、どうやらお裾分けを頂いたようなのだ。

本人いわく、コケモモをジャムにするのは結構大変らしい。とにかく手間のかかったジャムだと聞かされたからには、無下にするのは何だか心がひけたので頑張って食べていた。

しかし一人暮らしで毎日パンは飽きるし、せいぜいかけてもヨーグルトやバニラアイスだ。第一、私の食生活においてパンもヨーグルトもバニラアイスも常にストックがあるものではない。

防腐剤を使っていないので早く食べないと悪くなってしまうと思いつつ、正直すっかり飽きてしまい、あと2、3枚パンに塗れるだろう半端な量で残っていた。

ジャムの経緯を説明するとリンカは最後に大きく頷いて「なるほど」と呟いた。


「うん、じゃあこれ使おう」

「え?これ、使うの」

「食べたかった?」

「いや、別に使っていいものだけど、ラム肉にコケモモジャム?ただでさえスパイスで味ついてんのにワケわかんないんだけど」

「このままでも美味しいけど、ソースはお好みでつければいいじゃん。あとは、お酢と中濃ソースもちょこっと借りていい?」


とりあえずリクエスト通りの調味料を冷蔵庫から出してリンカに預ける。

まったくもってどんな味になるのか想像つかないでいる私の事はさておき、リンカはフライパンを温め始め、私はそのまま傍で料理の出来上がりを見守る事にした。


充分温まったフライパンにラム肉を置いた途端、熱でジワーッと音がした。

色も赤色からだんだんと白く変わり、火が通り始めているのが分かる。すると、片面を焼いている間、足元に置いてあるスーパーの袋から今度は大きな瓶を取り出した。

白ワインだ。キャップをいったん緩め、手元をすぐにフライパンに戻すと、焼いた下面の様子を見てはお肉をひっくり返した。

返された面はこんがりと焼き目がついていて、ペッパーなどのスパイスとラム肉特有の脂が混じってほんのりいい匂いがしてくる。


焼くうちにどんどん脂が出てきて、しだいにパチパチと弾けるような音がした。キッチンペーパーで余分な脂を少しだけ取り、先ほどの白ワインをほんの少しだけフライパンの肌に落とすと、まるで拍手が起こったような音が響く。

するとリンカは慌ただしく私に指示した。


「蓋!なんか蓋ある!?」

「蓋!?えっと、お鍋のしかない!」

「充分!」


もう!本当に手際どうなってんの!指示いきなりすぎ!と心で抗議しながら、シンク上にある棚から慌てて鍋の蓋だけを渡した。

蓋はフライパンにちょうど良くはまり、あっという間にガラス面に蒸気の水滴がついた。蒸し焼きだ。

火力を少しだけ弱めたのを見て、私は丸く平たいお皿を2枚出す。

もうちょっと焼くのかなと見ていたら、思ったよりも早く蓋を外して菜箸を一個に刺した。箸は弾力のある肉にすんなりと吸いこまれ、肉汁が赤くない事を確認すると火を止め、用意したお皿にラム肉を置いた。

表面はこんがり焼けて、白いお皿にお肉の脂が少しだけ広がっている。そして、もっと獣臭い匂いかと思ってたけれど、意外にもほんのり甘いのだと感じた。思わず舌の奥の方で唾液が出る。


ラム肉を焼いた後のフライパンには結構な脂がたまっていた。

どうするのかと思っていたら、今度はそこに先ほどのコケモモジャムの残り全部と、お酢と中濃ソースとワインをちょっとだけ垂らして、再び火を点けた。


全てを混ぜるようにフライパンを交互に傾けると、脂と糖分と水分がパチパチじゅわじゅわと色んな音を立てながら、とろりとしてゆく。

だんだんと周りに小さなマグマみたいなプツプツと泡ができて、甘酸っぱくも肉汁で香ばしい美味しそうな匂いが漂う。ルビー色はもっと濃い色になり、まさに深紅のソースだ。仕上げに胡椒を少しだけ振り、良い感じに煮詰まったところで火を止めて私はスプーンを渡した。

「お肉にかけちゃっていいよ」

思わずそう口にすると、一瞬「いいの?」と目で確認されたのでそのまま頷く。

リンカは嬉しそうに笑って、お皿に乗せたお肉にソースをたっぷりと乗せた。


「なんか、ごちそうみたい」

「サラダも良い感じじゃない?さ、食べよ食べよ」


 焼いたお肉が冷めないうちに、冷蔵庫から出したサラダを深めの丸皿にそれぞれ取り分けてフレンチドレッシングをかけると、部屋の真ん中にあるテーブルへと持って行った。


お酒はリンカの買ってきた白ワインを飲むことにした。色気がないけどワイングラスがないので、普通のグラスに注ぐ。

そして腰を落ち着けると、二人一緒に手を合わせて「いただきます」と言った。

そのハミングに何となく小学生の給食を思い出す。


お行儀悪いかもしれないけど、思い切って手で肉をつかんでかぶりついたら、リンカも同じようにした。

お肉は弾力がありながらも充分柔らかく焼けていて、筋に沿って脂身部分がぷるんと弾みながら剥がれた。噛むと思った通りに脂と独特の風味が口の中に広がり、コケモモソースの甘酸っぱさも加ってよりいっそう味の幅が広がった。

ラム肉は確かに牛や豚とは違う匂いがある。だけど赤身ながらも感じたとおりに味はほのかに甘い。

ソースは逆にこっくりとした甘酸っぱさと胡椒のパンチが少しきいていて、味のバランスがどちらも良いと思った。

コケモモジャムにこんな使い道もあったなんて。お母さんに言ったらびっくりしそうだ。

それと何より「肉を食べてる感」というものを感じる。

焼き肉とはちょっと違う、本能的な感覚。でもけして悪い気持ちじゃなく、むしろ満足感に近いような気さえする。指先が脂でてらてらと濡れて光るのも何だかワイルドだ。

指を濡れふきんで拭いてはワインを飲み、サラダに箸を伸ばしてを繰り返す。

新しく出会う味に感動していると、リンカは少しだけ面白そうに噴き出したので、何かおかしかったのか訊ねた。


リンカは「なんか、いただきますって日本語で言うの、やっぱりいいなぁって思って」と笑った。そういえば「いただきます」って言う文化は、日本独特のものなんだと思い出した。


「ステイ先とかでは流行らせなかったの?」

「まぁ、お祈りした後に、いただきますって言ってたよね。でもステイ先の家族みんな大体合わせて使ってくれるよ。うん、オレンジサラダ、美味しいね」

「うん。サラダにオレンジと、フレンチドレッシングも結構ありだね。でも酸っぱいもの同士で重なっちゃったかな」

「ラム肉のほうは火通しちゃうとそこまで甘酸っぱく感じないかも。お酢も風味付けみたいなものだし」


フレンチドレッシングとオレンジは不思議とマッチしていた。

同じ甘酸っぱさでも全然違う種類の味に、口の中でぷちぷちとオレンジの果汁が甘く弾ける。

シャキシャキとしたレタスと、トマトとオレンジの食感はそれぞれ違った楽しみが生まれて、こういうサラダもいいものだなと気付いた。


「それにしてもよくこういう料理を思いつくね。私じゃ絶対に思いつかない。そもそもラム肉買わないし」


白ワインが水のように喉へと通る。ちょっとだけぬるくなっちゃったけどきりりとした味わいは充分変わらない。

リンカもワインを飲むと、今まで行った海外のご飯事情を教えてくれた。


「気が付いたら何でも食べられるようになったかな。観光で行ったトルコにはキュウリのサラダにヨーグルトソースが出てきたし、マレーシア留学の友達が作ったものには魚のカレー煮みたいなのあったし。あとオーストラリアも昔はカンガルーの肉を食べていたらしいよ。なにせ先住民が住んでいたからね」

「え!?カンガルー・・・・・・」


さすがにカンガルーは想像したくなかったけど、次々と繰り出される世界の意外なグルメ話が新鮮で面白くて、アルコールも手伝ってかおおいに笑ってしまった。

お肉を食べて、お酒を飲んで、喋って笑って寛いで、心のまま素直なリアクションをしていたら、最初の疲れ果てていた気持ちがどこかへ飛んで行ったことにふと気が付いた。


料理はあっという間に食べ終わってしまい、残りのワインとおつまみチーズをだらだらと楽しんでいた時、実は常々感じていたことをリンカに言いたくなった。


「リンカってさ、私の元気がないタイミングの時にふらっと来る気がする」


ワインを飲みながら、一瞬彼女が目を丸くするのが分かった。ほんの少し照れ臭くなった私は、間を挟まずにそのまま続けた。


「前もさ、仕事で結構大きいミスしちゃって会社行きたくないって思った時でさ。今回だって・・・・・・職場の人に片想いしてたけど、月曜日しょっぱな朝礼で結婚報告だもん。おまけに相手が後輩だし。でも、なんか今はどうでもよくなってきちゃった」

「そうなの?」

「うん。だって、お肉食べたし。お肉に夢中になったらちょっとスッキリしたっていうか。変な話だけど」

「たしかに元気がない時はお肉食べると良いって聞くし、じゃあ私の買い物と突撃はちょうど良かったじゃん。それに私こそ、アキに偶然感じてたんだけど。だって日本に帰ってきてさ、絶対にアキが出掛けてる日に当たった事ないし」

「ちょっと、まるで人を引きこもりみたいに言わないでくれる?」

「あはははは。分かってるってば。……でも、元気がないタイミングで私が来るって言うのはたまたまだけど」

「そこは幼馴染みの勘でとか言っときなよ」

「えぇ~。そんなこと言ったって。だけどラム肉買ってきて大正解だったね」

「なんで」

「獣肉って食べるとスタミナつくらしいから、失恋したてには打ってつけじゃん。こう、狩猟本能上がりそうじゃない」


いきなりの理論に思わずワインを噴き出しそうになる。まったくもって人を何だと思ってるんだか。

私はリンカに軽くチョップしてやると、はしゃいだような声をあげて、危うく手に持っていたグラスからワインがこぼれそうになった。それでますます笑う私たちはすっかり酔っぱらいだ。


「アキがちょっとでも元気になったんなら結果オーライじゃん」

「それを言うならセールに感謝っしょ」

「ちょっと何か毒舌に磨きがかかってない?」

「だって元気がない時に来ると思ったら、ただの私の思い込みって事が分かったんだもん。おまけに人を引きこもりみたいに言うしさ」


私が拗ねたように言うとリンカは笑いながらゴメンごめんと軽く言った。

あんまりリンカの事は好きじゃないとか昔は散々思っていた癖に、大人になってこの腐れ縁にどこか救われている自分がいるなんて告白、アルコールじゃなく恥ずかしさで顔が熱い。

自分の思い込みを誤魔化したくて、ヤケクソのようにグラスを呷った。

もちろん、そんな私の意地っ張りをリンカは気付いていないだろう。気にしいで上辺だけの私と、マイペースで悠然と構えるリンカ。

大人になってもこの図式は変わらない。お互い他愛のない事で連絡して、自分との違いを感じながらも笑い合う。きっとおばさんやおばあさんになってもそうだろう。

それに腐れ縁だってこれもまた立派な縁だ。


「ところで、私達ってせっかくワイン飲んでるのに乾杯してないね」

「ワイングラスじゃないからじゃない?買えばいいのに」

「缶ビールは飲むけど、家でワインは意外と一人じゃ飲まないし」

「コップ酒ならぬコップワインかぁ」

「マグカップよりかいいでしょ」

憎まれ口をたたき合いながら二人のグラスを淡い琥珀色で満たすと、私たちは目を合わせて同時にグラスを掲げた。

「じゃ、改めまして乾杯しますか」

「アキの失恋記念に?」

「記念じゃないし!」

「じゃあせっかくだから、復活のラムチョップにってことで」


私たちはちっとも格好がつかない普通のグラスで乾杯した。

すると勢い余ってワインがはねて大騒ぎになり、やがてまた大笑いへと変わった。オシャレも女子力もムードも全く存在していない。


でも私たちはこれくらいがお似合いだ。だって腐れ縁なんだもん。





(了)

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