小島よしおのネタでしか笑えない女の子に告白して振られる話

匂坂笹生(サキサカササオ)

そんなの関係ない

 放課後の校舎裏。運動部の喧騒が遠くに聞こえる以外は、反響する蝉の鳴き声と湿った熱気だけが辺りを包み込んでいる。

 僕は日陰に一人佇みながら、呼び出した相手の登場を、心臓がはち切れそうな思いで待っていた。

「場所、ミスったかな……」

 額の汗を拭いながら、そう独り言つ。シャツの背中が汗がぐっしょりと濡れているのは、たぶん、暑さのせいだけではないだろう。

 十分ほどして、彼女は現れた。

「ごめん、待たせちゃったかな?」

 急いで来てくれたのだろう、息を切らし気味に、彼女は片手で謝罪のポーズをとった。

 僕は今までの暑さなんて吹き飛ぶような気分だった。

「あ、いや、こっちこそごめん。急に呼び出したりして」

 努めて冷静に。一人で勝手に焦ってたんじゃ格好がつかない。

「大丈夫だよ。委員の仕事もひと段落着いたしね。……それで、話って?」

「それは……」

 ごくりと、自分が唾を呑む音が聞こえた。カラカラに乾いた喉から、必死に言葉を絞り出す。

「す、好きです……その、相田あいださんのことが」

 言った。言ったぞ。

 思わず閉じてしまった瞼をゆっくりと開けると、そこにはとても困った顔をした相田さんがいた。

「えっと……ドッキリか何か……じゃないの?」

 そう言って周りをキョロキョロと見回す。が、辺りに僕ら以外の人がいる気配はない。もちろんそんな仕掛けはないので、僕は真剣な面持ちで首を横に振る。

 暫しの沈黙が流れ、再び蝉の鳴き声が空間を掌握する。

 沈黙を破ったのは彼女だった。

「……私が転校するってことは、佐々岡ささおかくんも知ってるよね?」

 そう、相田さんは一週間後、高校一年の二学期が終わるのと同時に、この町から東京へ引っ越していってしまうのだ。三日前のホームルームで、担任からクラス全員に報された。だから当然、僕も知っている。知っていてなお……いや、知ってしまったからこそ、僕はいても立ってもいられなくなってしまったのだ。 

「自分でも、めちゃくちゃ迷惑なことをしてると思ってる。でも、今言わなきゃ、一生言えないだろうから」

 言ってしまえば、これは単なる自己満足なのだ。彼女を困らせるとわかりきっている行為。「なんて身勝手な奴だ」と罵られボコボコに殴られても、文句は言えない。

 それでも、僕は言葉を続ける。

「相田さんの笑ってる顔が好きだ。ちょっと控えめな笑い声も、笑うときに手で口元を隠す仕草も好きだ」

 笑ってるとこばっかだな、と自分で言っていて気がつく。しかし、実際そうなのだから仕方がない。今年で16歳になる僕の初恋は、彼女の笑顔に奪われたのだから。

 僕の言葉を聞いて、それまで黙っていた相田さんの口元に、薄っすらと笑みが浮かんだ。

「笑ってる私……か……」

 そう小さく呟く。

 なんだろう、嬉しそうな様子でも、はたまた僕を嘲るような感じでもない。なんというか、自嘲的な笑みだった。

「ねえ、絶対に誰にも言わないって約束できる?」

「えっ」

「だから、約束。できるの?できないの?」

「で、できます……」

 畳み掛けるような物言いに、いつもの彼女からは感じない圧を感じてしまい、僕はたじろぐ。何を?とは思ったが、それはこれから聞けるのだろうか。

 僕の返事を聞いた後も、相田さんはしばらく悩んでいる様子だったが、僕が黙って彼女の言葉を待っているのを見て、覚悟を決めたような顔で口を開いた。

「私ね、笑えないのよ」

「………………へ?」

 彼女の言葉の意味を、僕はとっさに理解できなかった。思わず間の抜けた声を出してしまう。

 相田さんが、笑えない……?

「正確に言うと、笑いのツボが人と違いすぎるの。だから、申し訳ないけれど、あなたが好きだと言ってくれた私の笑ってる姿は、全部愛想笑いで、作り笑い。真っ赤な偽物なのよ」

「そんな……」

 それが冗談でないことは、彼女の真剣な表情を見ればわかった。僕の中で、これまで見てきた彼女のイメージが、音を立てて崩れ始める。

 笑いのツボが人と違いすぎる、とはどういうことなのだろう。実はかなりのお笑い好きで、プロの漫才でしか笑えない、とか?それとも、思わずニヤついてしまうようなブラックなジョークが好み、とか?

 失恋のショックよりも、そこが気になってしまった。

「相田さんは、何が笑いのツボなの?」

「……それ、聞いちゃう?」

 心底嫌そうな顔をされた。よほど聞かれたくなかったらしい。

 ただ、ここまで聞いてしまったのだ。笑えないという彼女が、一体何をもってすれば笑ってくれるのか。このままじゃ気になって夜も眠れない。

 相田さんは再び黙り込んで言うか言うまいか悩んでいる様子だったが、やがて、小さく口を開いた。

「………………しお」

「塩?」

「小島よしお!!!!」

 今まで聞いたこともない声量で叫ぶ彼女に、僕は面喰らった。

 いや、それより……小島よしお?

 僕の脳内に、海パン一丁で地団駄を踏む男の映像が浮かんだ。

「小島よしおって……あの小島よしお?」

 混乱した頭で、僕はそう尋ねる。

 同姓同名の知り合い?そもそも、僕の聞き間違いか?

 しかし、彼女の答えはシンプルなものだった。

「そうよ」

 恥ずかしそうに、けれども嘘偽りのない真剣な眼差しで、彼女は言った。

 僕はますます困惑してしまう。

「彼のネタだけが、唯一私の笑いのツボなの。異常でしょ?何かの冗談だと思うでしょ?でも事実なの。だから、あなたの好意は受け取れない。ごめんなさい」

 そう言って頭を下げる相田さんに、僕は何も言うことができなかった。

 彼女が去った後も、僕は一人、校舎裏に立ち尽くしていた。運動部の喧騒は消え、夕暮れに染まった辺りに、蝉の鳴き声だけがこだまする。

「……そんなの関係ないって、言えたらよかったのにな」

 他の蝉たちの声に混じって、遠くでひぐらしが鳴いているのが聞こえた。



 四日後、学期末試験最終日のホームルームで、相田さんのお別れ会がささやかに行われた。

 クラスのお調子者の男子ペアが漫才をしたり、女子が数人で歌ったりしていた。相田さんと仲が良かった女の子たちの中には、涙を流している子もいた。

 相田さんはお別れ会の最中、ずっと泣いたり笑ったりしていたが、その笑顔が偽物であることを僕だけが知っていた。なんとも奇妙な時間だった。

 その後はクラスのみんなで椅子取りゲームをして、彼女の当たり障りのない別れの言葉を最後に、お別れ会はお開きとなった。



 終業式当日、生徒が添削すれば五分で終わりそうな無駄に長ったるい式を終えて教室に戻ったとき、相田さんの周りには人集りができていた。中には他のクラスの女子生徒や、委員会の先輩と思われる上級生の姿もある。

 僕はそれを避けて、自分の席へ向かった。これ以上、彼女の作り笑いを見るのが辛かったからだ。

 今日からしばらく使う予定のない教科書類を鞄に詰め込んでいるところで、ふと頭の中に囁く声があった。

 本当にこのままでいいのか?

 その言葉が、脳内を何度も循環する。仕方がない、どうしようもないことだと、これまた脳内で答えるが、頭の内側にこびりついた疑問はそれを答えとしてみなさない。お前はどうしたいんだ?と、さらなる問いかけが浮かんでは巡るばかりである。

 お前は彼女に────

「うるさいな!!!!」

 思わず、机を叩きつけて立ち上がってしまった。辺りは静まり返り、教室にいた生徒たちの視線が集まる。

 完全に、やってしまった。

 これで僕は変人扱い確定だ。でも別にいいか、とすぐに思う。どうせ僕には元から親しい友人なんていないし、相田さんに振られた今、格好をつけたい相手もいない。変人呼ばわりされたって、そんなの関係が──

「あ」

 その時、僕の中の何かが弾けた。

 ドサっと音を立てて、床の上に崩れ落ちる。それを見ていたクラスの女子の一人が、「ひっ」と声を上げた。

 しばらくの静寂の後、僕は渾身の思いで口を開いた。

「下手こいたぁ〜〜」

 下を向いているので周りの様子は見えないが、空気が凍りついていることだけはわかる。気でも狂ったと思われているだろう。実際、狂っているのかもしれない。それでも、僕は……

「ウィ〜〜〜〜〜〜!!」

そう叫んで、制服を脱ぎ捨てながら立ち上がる。周りの女子たちが金切り声に近い悲鳴を上げる。でも、そんなの関係ない。

 僕は彼女に、相田さんだけに目を向ける。彼女は驚愕の表情でこちらを見返していた。

 そうだ、これでいいんだ。

 僕は小粋にステップを踏みながら続ける。

「この前、好きな子に振られたよ。笑いのツボがおかしいんだって。自分の笑顔は嘘だって」

 あの日言いたかった言葉を、僕は今、パンツ一丁で地団駄を踏みながら叫ぶ。

「でもそんなの関係ねぇ!でもそんなの関係ねぇ!」

 そう、関係がないのだ。たとえ嘘の笑顔であろうと、僕が彼女を好きになったことに変わりはないのだから。もう一度……という言い方は正しくないのだろうけど、彼女の笑顔が見たいと思ったって、別にいいだろう?

「はい、オッパッピー」

 言いながら、なんとも恥ずかしいポーズをとる。この体勢、以外と筋肉使うんだな……なんて思いながら、僕は再び彼女を見つめた。

 彼女は、顔を俯けながら、肩を震わせている。あまりの恐怖に泣いているのか、それとも──

「ふふっ…………」

 長い沈黙の中に、誰かの笑い声が漏れた。周りの視線が一斉にその声の出所に集まる。そこには、

「……あはっ、あはははははは!うひひひひ……!ひっ……ひー!」

 相田さんが、腹を抱えて笑い転げていた。目元に涙を浮かべて、息苦しそうに笑っている。

 周りの生徒たちは何が起こっているのかわからないといった様子で、その場を一歩も動こうとしない。

 その時、担任の佐伯が僕の前に来た。

「佐々岡、職員室まで来なさい」

 そう言って、僕が脱ぎ捨てた制服を拾って手渡した。

 その間にも、相田さんは依然、教室の床で笑い転げていた。



 あれから一週間が経った。予定通り、彼女は東京へ引っ越していき、彼女と入れ替わるように夏休みがやってきた。部活に所属していない僕にとっては、惰眠を貪るばかりの退屈な日々。

「はあ……憂鬱だ……」

 僕は既に、三学期に登校するのが嫌になっていた。

 クラスであんな醜態を晒したのだ。他のクラスでだって噂になってるだろうし、どんな顔で教室に入ればいいのかわからない。からかわれるか、無視されるか……そのどちらか、もしくは両方だろう。少なくとも、クラスの女子には口を利いてもらえそうにない。

 いっそ不登校になってやろうかと本気で考えていると、部屋の扉がノックされる音が聞こえた。

拓海たくみ、あんたにお手紙来てたわよ」

ドアを開けた母の手元には、一枚の封筒があった。

 誰からだろう、と思いながらを受け取る。差出人の欄には、相田恵美あいだえみと書いてあった。

「それ、女の子からでしょ。あんたも隅に置けないわねぇ……」

 ニヤニヤしながら言ってくる母を強引に部屋から追い出して、僕は再び封筒に視線を落とす。

 相田恵美。女の子らしい綺麗な字で、確かにそう書いてある。

 なんだろう、緊張してきたな。

 僕は震える指先で封を開けた。そこには一枚の便箋が入っていた。


『拝啓、佐々岡拓海くん。

 手紙の書き方なんてわからないけれど、最初に拝啓って書けばそれっぽいでしょう?佐々岡くんも真似していいですよ。

 ……じゃなくて、元気ですか?私はそこそこ元気です。東京はバカみたいに人が多いですが、なんとか潰されずに今日も生きてます。佐々岡くんは部活に入ってないから、毎日暇してるだろうと思って、こんな手紙を書いてます。私は優しいので。

 ……そんなことが言いたいわけでもなくて、ああ、もう。手紙って難しいですね。

 あの日のこと、感謝しています。あんなに笑ったのは久しぶりのことでした。おかげで私もクラスの子たちから変な目で見られてしまいましたが……とまあ、それは別にいいんです。

 一つ勘違いしないでほしいのは、私は単なるモノマネで笑うような安い女じゃないってことです。クオリティの低いモノマネなんて、下位互換にすぎませんからね。むしろムカつくタイプです。

 それでも佐々岡くんのモノマネであんなに笑えたのは、その必死さやネジの外れ具合に、小島よしお本人をも凌ぐものを感じたからです。あなたはきっと将来、すごい芸人になれます。そのためにも、精進あるのみです。

 それでは、またいつか。  


     ありがとう。


          相田恵美より』


 手紙を読み終えて、僕はベッドの上に大の字に倒れ込んだ。

「芸人になるつもりねぇよ……」

 突っ込みどころが多すぎてそう呟くのが限界だった。

 でも、改めて感じる。

 僕はまだ、彼女が好きだ。

 終業式の日に見た彼女の笑う姿は、僕が恋した笑顔でも、控えめな笑い声でも、口元を手で隠す仕草もなかったけれど、やっぱり彼女のことが好きだった。

 そして彼女は手紙の最後に、「さよなら」じゃなく「またいつか」という言葉を使った。

 また、会えるのだろうか。

 この町から東京までは、かなりの距離がある。簡単に会いに行けるような場所ではないだろう。

 でも──

「そんなの、関係ないよな」

そう呟いて、僕はそっと便箋を封筒にしまった。

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