忘る勿れと青、春に咲いて
不朽林檎
はじめに
プロローグ
自分を殺してやりたいと思ったことはないだろうか。
たとえば口を滑らせて、恋人と不和を起こしたとき。または、あと少しというところで試験の及第点に及ばなかったとき。あるいは、二日酔いの頭痛と目眩が喉奥から吐瀉物を引きずり出したとき。このような時、僕らは往々にして過去の自分を呪い、時にはメッタメタに痛めつけて殺してやりたいと思う。
だがよくよく考えてみれば、かような怒りは些か理不尽なものとも思われる──なぜならそれは、確定した今を知った上で、そんなことなど知る由もなかった無知な自分を責めることに他ならないからだ。全能の神様じゃない僕ら人間がそれをやることは、ひどく虚しくて詮の無いことだ。冷静に受けてみれば、これらの倒錯した殺害衝動は後悔の二文字に取って代わられるはずである。そして後悔は先に立たない。常識だ。
ではもし、未来の自分について何かの手落ちが見つかった──などということは現実的に不可能であるに決まっているが、もし、そのようなことがあったとして、未来の自分を恨めしく思った時、例の殺害衝動が向かう先はどこに収束するのだろう。
自信をもって答えよう。
それは、現在の己なのである。
時間の流れは神様の意志だか熱力学第二法則だかに支配されているらしいので、僕らは一方向にしか人生を経験し得ない。未来の自分は今の自分に端を発するあらゆるシークエンスが導く一種の帰結であり、そこに至るまでの事象に関与できるのは他ならぬ現在の自分だ。ゆえに、不甲斐ない未来を阻止できるのは、現在の自分自身を除いて他にはいないのである。
僕らは現在を生きながら、過去を呪い、そして未来に呪われうる。人生とはかくも頼りなく、ときどき僕は前を向いているのか後ろを向いているのか判らなくなる──とまあ、このくらいにしておこう。
なにせ、学歴のお里が知れてしまいそうな前口上は、たった一つ、身も蓋もない嘆きを導くための枕詞に過ぎない。そもそも僕は未成年だから酒を飲んだこともないし、試験の結果を悔いるくらいに勉強したこともない。ましてや恋人など望むべくもない。だから先ほど挙げた例でさえ、この議論において適切かどうか判じかねる。
問題は、そう、つまり、僕が未来の手落ちを発見したことである。
──僕は、童貞のまま死んでいくらしい。
死ぬしかないのだと思った。
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