中編(一日目)

 結局彼女の申し出を受けたボクは、実家に帰るために予約したバスをキャンセルすることにしたのだった。幸いにして両親には帰省することを言っていなかったので、ボクの都合でどうにかできた。

 そして。

 彼女は研究室まで車で送ると言って、ボクを駅から連れ出したのである。それにしてもまさか今すぐに実験に協力してほしいとは思わなかった。本当にマイペースというかなんというか。


「というか、なんで山奥に研究室があるんですか?」


 都市部から外れ、辺りは林道に囲まれている道路を車は走っていた。


「それはが脱走したら大変だからですよ」


 彼女は何を言っているんだ?とでも言いたげな視線をボクに向けてきた。


「てか、全然状況がわからないんですけど。そもそもさっきから言っているってなんなんですか?」


 彼女に実験の中身を聞こうとすると、なぜか会話をそらして答えないようにしていた。答えたくない質問だったというのだろうか。

 自分の研究なのに? 人には言えないなんてそんなことあるのか?


「そろそろ到着します」


 そういったきりまた彼女は口を閉ざしてしまった。研究所とやらに着いた時にはすでに西へと太陽が沈みかけていた。しかもちょうどどこからか教会の鐘のような鈍く響く音が聞こえてきた。


「こちらからどうぞ」


 彼女が門らしき場所へと誘導してくれる。らしき、というのはその門が錆で朽ち果てていて原形をとどめていなかったからである。何十年と放置されたかのようなそんな印象を受けた。そして肝心の研究所の方は案外まともなつくりをしていた。

 木造建築の二階建て。都内で見かける一軒家当たりの大きさだろうか。棟内へ入ると室温が低かったせいか、寒気を感じてぶるりと体が震えた。異様なまでの寒気だった。


「二階の一番手前があなたの部屋です。荷物はそこにおいてください。一階が食堂です。今日はもう夕食にしましょうか。いい時間です。食べ終わったのならば研究室へ行きましょう。奥の地下への階段が実験体の収納されている場所で――」

「いや、あの、ちょっと……」


 到着して息をつく暇もなく彼女はスケジュールを読み上げるように早口でしゃべっていくのに戸惑ってしまった。

 というか、まだ理解できないことが多すぎるのだ。こちらとしては一つ一つ進めてほしいのだが、彼女は一刻を争うかのようにテキパキと行動していく。すでに夕食の準備に取り掛かっていた。


「え、あの、なにを……」

「なにって、レトルトのカレーを温めているのですが。ご飯はたくさんあるからお替りするといいかと」


 そこを気にしているのではないのだが。


「それともカレーは嫌いでしたか?」

「いえ、別に……」


 数分後。

 二人は正面を向いた状態でテーブルに着いた。というかテーブルと木椅子以外に食堂には何もなかった。必要最低限の食器類とフライパンと鍋。それくらいだけだった。


「質問があるんですけど」


 カレーをほおばりながら先ほど彼女が早口で述べたスケジュールの中で気になっていたことを吟味していた。


「さっき言った僕の部屋、ってどういう意味ですか」


 はて?といったふうに彼女は首をかしげた。なぜそんなことを聞くのか、とでも言いたげだった。彼女にとって疑問でないことはすべての人間にとっても疑問ではないということなんだろいうか。それは何でも傲慢すぎるだろう。


「説明が不足していましたか? あなたに頼んだアルバイトの三日間はこの研究所で過ごしてもらうためですよ。そのためにもプライベート空間ぐらいはあった方がいいと判断したのですが」


 ……なんてこった。まさか住み込みだったとは。この奇妙な人と奇妙な場所で謎の研究をやらないといけないってのか。ボクはカレー皿に残った一口がどうしても口に含むことができなかった。


                   **


 夕食後は地下室にあるという研究室へと案内された。その途中で長々と今回の研究について説明された。


「私は常々完全なる孤独というものを考えていました。回りから影響を受けず影響を与えない存在というものがあり得るのか。この食物連鎖の世界においては、人間というものは集団に属し、他の生物を食らう上位位置を占めています。しかし孤独というものはそのカテゴリーに入らないのです。どう捉えようともそれは何とも関係を持たない存在なのですから。そこで私は逆の発想により、奴を作りました。最初から何にも影響を受けていない存在がいたならば、奴自信も影響を与える個体がいない空間にいたならば。つまりは完全なる孤独を作為的に造り出せたならば!私の知りたかったものが発見できるのではないかと!」

「………はぁ」


 時間にして五分以上は喋っていただろうか。

 僕の相槌さえもはさむ隙もないくらい、饒舌に語られる。

 ボクは集中力が欠けてしまい、およそ半分くらいは適当に流していた。


「つきました」


 彼女が厳重そうな鉄製の扉に何重にも取り付けてある南京錠を一つ一つ外していく様子を後ろから眺めていた。こんなにも鍵をつける必要があるのだろうか。それともそのとやらを逃がさないためにそこまでしなければならないのだろうか。


「どうぞ中へ」


 研究室のなかは何もなかった。いや、何もないというと語弊がある。中央に横たわる一人の人間を除いて、その部屋のなかには実験にふさわしい器具や道具というものが一切なかった。


「起きなさい客人が来ました」

「はにゃ…………?」


 彼女に起こされたはやけに体が小さい少女だった。年齢は二桁に達しているだろうか。ぼろ雑巾のような黒くすさんだ白衣を身に纏い、腰近くまで延びきった黒髪をうざったそうに払った。しかも足で。


「……どうも」

「……………………」


 返ってきたのは長い沈黙。奴は無言のままじろりとボクを見上げてきた。視線があっただけでぞくりと背筋が凍るような感覚がした。ただ目があっただけというのに。

 奴の目が深紅の血色に染まっていたのが関係していたのかはボクには判断できなかった。


「実験まで少し時間があります。まあ気持ちを楽にしてくつろいでいてください」

「………」


 こんなところでどうやってくつろげっていうんだ。それにしても本当に何もないのに何を実験するというんだろうか。そういえば、彼女はボクにモニターをしてほしいと言っていたが、モニターというのは実験を観察しろということだろうか。

 この目の前にいるやる気の無さそうにだらんとしている奴を見ていればいいのだろうか。

 腕につけていた時計で時間を確認する。十一時五十五分。すでに日付が変わろうとしていた。室内にいては外の暗さなど確認するすべがないのだから。入ってきた扉以外には出入口がないということは、奴はずっとここに閉じ込められていたのか……?


「時間になりました。始めましょうか」


 彼女も同様に腕時計で時間を確認した時だった。時間にして待機していたのが五分くらいだっただろうから、今は零時ちょうどのはずだ。

 今日と昨日の境目。一般的にいえば夜の始まり。

 人によっては丑三つ時が夜と捉えるかもしれないが、ボクにとっては夜の時間そのものだった。

 奴が突然うめき声をあげたのだ。苦しいとわめくようなそんな声。地にへばりついて苦渋に満ちた表情をしていた。彼女はそんな奴の様子を確認するとうなずいた。


「モニターを頼みます」


 彼女は一言だけ残すとボクにビデオカメラを残し、もと来た通路へと引き返していく。


「……え、あ! ちょっと待ってくださいよ。どういうことか説明して──」

「安心してください。カメラに納めてくれればそれでいいですよ」


 ボクが彼女のほうを向いているときに変化していたのだろう。振り向いたときには奴の姿は変わっていた。変わり果てていた。黒かった髪は一瞬にして脱色して純白な髪へ変化を遂げた。それだけではない。何より変わったのは奴の表情だった。

 覇気のない顔つきから想像もつかない化け物へ。睨んでいた目は瞳孔までもが大きく開かれ、鋭く尖った八重歯を覗かせた口はいやらしく横にひいている。

 にたぁと笑う。

 笑う。

 嗤った。


「ギャハハハハハハハハハハ!」


 そして。

 ボクの持っていたビデオカメラが木っ端微塵に消し飛んだ。

 加えて最後に彼女はとんでもない言葉を遺して消えた。


「これが世界と無関係の人間ですよ。つまりは完全なる自己完結の存在。それが殺人鬼です。それではおやすみなさい」


 鉄の扉が閉まる重々しい音が響くと、奴はニヤリと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る