ヨキの火

有智子

大聖堂のフィフラ

 半神半人の神ヨキ。

 この大聖堂で祀られているのは、かつて大災害が起きてこの地を氷が覆った時、国中に火をもたらして氷漬けの土地を溶かし、この世を明るく照らしたとされる勇敢な英雄だ。

 こんな国外れの辺境の街にヨキの大聖堂がある理由は、ヨキが最後に戦って眠りについた地がここだったからと言われている。雷神オレインと七日七晩戦ったあと、勝負は引き分けとなり、疲れ果てたヨキは眠りについた。その際の被害が大きかったため、他の神々が、もう自分の勝手な理由で神の力を使ってはいけないといって、眠ったヨキをそのまま封じてしまったのだという。それからヨキは、誰かのために力を使う時が来るまで、人々を見守っているのだと。

 ヨキは元は人だった。尋常ならざる力と豪胆な性格で神に認められ、人に生まれながら半分を神として拾い上げられたのだ。その姿は若い男で、燃える火のような長く赤い髪を持っているとされている。それゆえこの土地あたりでは赤毛の子供が生まれると、ヨキの祝福を受けた子と呼んでありがたがる人も少なくない。


 だからフィフラは自分の赤い髪が好きだった。陽の光に透かすと、穂をずっしり垂らした麦畑が夕日に照らされた時のように、輪郭が黄金色に光った。事実フィフラのような見事な赤い髪を持った人は、この街にひとりもいなかった。礼拝にくるお金持ちのお嬢さんたちのような、絹のドレスも煌びやかな宝石も今後持つことはないだろうけれど、生まれ持ったこの髪だけは、フィフラが死ぬ時までどんな装飾品より目立つだろう。

「おはようございまーす」

「おはようフィフラ」

 陽が昇る前に起き出して、もそもそと着替えた後、宿舎を後にして井戸へ向かうと、司祭様がもう起きて散歩していた。汲んだばかりの冷たい水で顔をあらってエプロンで拭くと、調理場で使うための水を盥に汲み始める。手早く終わらせて調理場へ向かう。大聖堂で小間使いとして働くフィフラの朝の仕事は、井戸から水を汲むこととその日最初の火を熾すことだった。これは赤い髪のフィフラがやることが喜ばれた。一日の最初にヨキに捧げる火だからだ。

「今日一日の糧に感謝します」

 大聖堂の祭壇に火を灯し、両手を組んで祈りを捧げる。静かなこの時間がフィフラのお気に入りだった。


 フィフラが大聖堂にやってきたのはほんの五歳の時で、もう十年も前になる。季節は冬だった。とはいっても、その詳細をはっきりとは覚えていない。その時に家族とは離れてしまったらしいが、フィフラはもうとっくに物心ついていたはずなのに、ちゃんと覚えていないのだ。覚えているのは、強い雨が降る音、ずぶ濡れになって重たく体にのしかかっていた衣類、靴の爪先まで水が染み込んだ不快さと、そして空を割るような激しい落雷のことだった。

 記憶という本の最初のページの方に、ずっと年月を経てしまったせいで薄らいだ鉛筆の線のような心許ない精度で、断片的に残っているものは、たったそれだけだ。司祭様によれば、フィフラはひどい竜巻の日に家族と離れ離れになってここにやってきて、見つかった時は街の入り口で意識を失っていたという。警備隊に連れられて、孤児院も兼ねたこの大聖堂で暮らすことになった。家族のことを考えるたび身に迫ってくるのは冷たい孤独だった。もしかして自分は最初からたったひとりだったんじゃないかと思うほど、肉親の感覚は覚束ない。自分の出自があやふやなことを心の奥底でフィフラは恐れていたけれども、一方でここにいる間は、このことを他人と比較して特別悩まなくとも済んだ。フィフラと同じような境遇の子供は他にもいた。

 大聖堂の人々は驚くほどあたたかくフィフラを迎えてくれた。まず第一にフィフラの髪の色が、ヨキの祝福の色だったのもある。こんなに見事に赤毛の人はこれまで見たことがないといって、司祭様は聖職者になる道をすすめてくださった。こんなに見事な赤毛なら、家族もきっとそうだったんでしょうと聞かれていつも言葉につまっていたフィフラの震える手を、司祭様は心配しなくていいというようにやさしく握ってくれた。あなたはヨキの祝福の子なのだし、ここでゆっくり暮らしていていいんだと。

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