ACT13 硝子の揺り篭
薄暗い部屋――
その中央に置かれた、青白く光る液体に満たされた円筒形の透明な容器だけが、光源として辺りをぼんやりと照らし出している。
部屋には大蛇のうねりのような金属製の導力管が床や壁、天井を縦横無尽に走っており、獣の呻き声にも似た重低音が鼓動のように何処からとも無く響いてくる。導力管は全て容器へと接続されていて、その姿はさながら一本の大樹が力強く根や枝葉を伸ばしているようだった。
二人の男が、容器を眺めながら立っている。
青白く輝く容器の中には、ひとりの少女が眠っていた。
腕や足、身体には銀色の触手が絡みつき、身動きひとつとれないほどに縛られている。だがその少女の表情はあくまで穏やかで、口元には微笑みすら浮かべていた。
「かつてこの世界を支配し、管理していた聖女も、今やこの硝子の揺り篭に眠る赤子、か」
男の一人が言った。
顎に白い髭をたっぷりと蓄え、獅子の鬣のような金色の髪を靡かせる初老の大男。その眼光や纏う威厳もまた百戦錬磨の雄獅子を髣髴とさせる。大男は煌びやかな金と銀の装飾があしらわれた丈の長い白外套を纏っており、腰の左には細く直線を描く赤い鞘に収まった剣を携えている。
「聖女による支配と管理からの解放と、人の世の確立――あの戦争を使って二人の聖女から世界を取り上げただけでは、それを成したとは言い難い。我々は、未だ聖女の威を借りて世を治めているに過ぎない。真に聖女の世を終わらせ、人の世に戻すのはこれからです」
もう一人の、細身の男が言う。
手入れのされていないぼさぼさの褐色の髪と無精髭に、皺だらけのウェストコートという出で立ちは、さながら浮浪者のようなみすぼらしさだが、その襟に光る剣と本を模った徽章は男がエクザギリア政府の中枢に名を連ねる高位の人間であることを示している。
二人の背後。
新たにもうひとつの靴音が響く。
「失礼致します。騎士団長閣下、教授」
「リューシンガか」
言って教授と呼ばれた細身の男は、ウェストコートのポケットから金縁の眼鏡を取り出し、さり気なく掛ける。真紅だった瞳の色が眼鏡のレンズを通して青色となり、その変化した色の目で来訪者の姿を見た。合わせるようにして初老の男もそちらへと振り向く。
二人が振り向いた先には、騎士団長と呼ばれた初老の男と同様の白外套に身を包む青年が立っていた。端正な顔立ちをした青年の額まで伸びた銀色の髪の間からは、青み掛かった灰色の、狼のような細く鋭い瞳が顔を覗かせていた。今、彼の眼差しは二人の男へと真っ直ぐ向いている。その表情は緊張を保ちつつも、何処か自信に満ち溢れていた。
「報告に参りました。これより我が〝四番隊〟は、デザンティスへ出発致します」
銀髪の青年――リューシンガ・クロリヴァーンは二人の前に跪き、言った。
「いよいよか。これで揃いますな、教授」
「例の〝船〟の方はどうだ、リューシンガ?」
「順調そのものです。〝矛〟の運用についても、完熟訓練を終了させました。全てはアスキス教授と、メルディアット騎士団長閣下のご尽力の賜物です」
言い、リューシンガは二人に対して深々と礼をする。
「あれは我等の行く末を委ねる物だ。二番艦以降の建造も進めている。それらも完成次第、全て貴様に預けよう。上手く使ってくれたまえ」
初老の男、メルディアットが言う。
「ありがとうございます――それから」間を置いてからリューシンガはおもむろに頭を上げ、切り出す。「ザスティーク・メルディアット騎士団長閣下、そしてシュナウル・アスキス教授。私のような若輩者を〝聖女守護将〟に加えて頂いたこと、感謝の念に堪えません。世を動かす重責を担うには未だ至らぬ事の多い身ではありますが、このリューシンガ・クロリヴァーン、身命を惜しまず世の為に尽くすことを誓い申し上げます」
「よく言ってくれたリューシンガよ。〝聖女守護将〟への任命は、貴様の今迄の働きあってのこと。私も、教授も、貴様の今後の活躍に期待しているぞ」
メルディアットが口元を綻ばせる。
「私も、よもやあの孤児の少年だったお前が此処まで成長してくれるとは思わなかった。嬉しく思うよリューシンガ。これから世界は大きく動くだろう。だがそれも、お前の力無くしては成し得ない。しっかり頼むぞ」
教授と呼ばれた男、シュナウル・アスキスが笑顔を見せる。
「……時にアスキス教授。我が妹クローディアは息災ですか?」
「ああ、良くやっているよ。近いうちに彼女もこちらへ呼ぶつもりだ。聖女の騎士になることは難しいだろうが、そうでなくともあの子には世を担うだけの力が有る」
「ほう。リューシンガだけでなく、その妹君も逸材であるか。素晴らしい兄妹だな、教授」
「全くです――ところでリューシンガ、君の隊の新米を一人貰ってもいいだろうか?」
アスキスがリューシンガに尋ねる。
「采配は全て、閣下にお任せ致します」
「うむ、誰でも好きに使うが良いぞアスキス教授」
「ありがとうございます。では早速そのように手配させましょう」
「貴君の健闘を祈るぞ、リューシンガ・クロリヴァーンよ」
「はい。これより先の事は、どうぞこの私にお任せを」
再び深々と首を垂れると、リューシンガはその場を後にした。
「我々も、そろそろ幕引きの時期ですかな」
「かもしれませんね」
メルディアットの言葉にアスキスは小さく頷くと、硝子の容器へと目をやった。
(真に揺り篭の中で眠るのは聖女ではなく、人間だ――)
アスキスは、心の中で少女に語りかける。
――時計は再び動き始めた。世界を壊すのが先か、それとも世界が壊れるのが先か。
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