第82話

 サウナでのぼせてしまった私は、矢来さんに介抱されながらこの手のスパ施設にありがちな、畳敷きの休憩スペースに来ていた。

 だだっ広い畳敷きの部屋にはまばらにしか人がいないため、各々が適度な距離を保って休憩している。

 私と矢来さんもそれにならって、入り口から一番遠い角あたりに陣取ることにした。


「ほら、海道さん。おいで」


 畳の上で行儀良く正座をした矢来さんは、自らの太ももあたりをポンポンと叩いた。

 矢来さんに言われるがままに、矢来さんの太ももに頭を預ける。

 当然矢来さんは服を着ているので、生足ではない。それでも柔らかいクッション性に優れた枕を使っているような気がした。


「へへ、これじゃああんまり海道さんの顔見えないや」

「……あなたの胸が邪魔なのよ」


 仰向けで矢来さんに膝枕をされている私の視界は、衣服に包まれてなお存在感を放つ矢来さんの胸部でいっぱいだった。

 私もそれなりにはある方なので、自分の胸で足下が見えにくいことはある。

 だが矢来さんのそれは格が違うので、こうして人と人とを隔てるパーティションにもなり得るのだ。


「って言われてもねえ。取り外せるものでもないから」


 そんな双峰の反対側から、矢来さんの困ったような声がする。

 

「ごめん、邪魔は言い過ぎたかも」

「ううん、大丈夫だよ。海道さんがホントは、これ大好きなの知ってるから」


 ペシペシと手で胸を叩きながら矢来さんは言う。


「それはそれで語弊があるような……」

「なら、嫌いなの?」

「……意地悪なこと聞くのね。またのぼせてやるわよ」

「あはは、それは困っちゃうかも」


 こちらとしては冗談のつもりだったのだけど、矢来さんの声音からは私がのぼせてふらついたことに焦ったことがうかがえた。

 私を揶揄うことをやめた矢来さんは、子供をあやすかのように頭を撫でてくれる。


「でも、ホントにビックリしちゃった。まさか海道さんが倒れかけちゃうなんて」

「そうね、自分でも驚いた。サウナ、そこまで無理したつもりはなかったんだけど」


 と、言いながら私は失言したことに遅まきながら気がついた。

 サウナが原因ではないのなら、どうして頭に血が上ってしまったのか。

 それは矢来さんに見惚れてしまったからなのだけど、そんな気恥ずかしい理由をまさか本人に伝えるわけにもいかない。

 だけどサウナを言い訳にする道筋を、私は今自分で潰してしまった。


「だよね。海道さん結構すぐ出ていっちゃったもん」

「ま、まあ……。矢来さんは、ずいぶん耐えてたみたいだけど」


 ということで、話を逸らす方向にシフトすることにした。

「ふふん、わたし暑いのも寒いのも耐性あるからね」

「流石、あのお家に住んでるだけある……」

「海道さんも一緒に住んで鍛える?」

「同棲したいだけでしょ、それ」

「えへへ、バレちゃった。でもでも~……」


 矢来さんの顔は相変わらず見えない。だけど、その声からして矢来さんがニヤついていることは何となくわかる。

 急にどうしたんだと訝しげに思っていると、矢来さんはしれっと続けた。


「わたしの裸見る度に倒れたら、同棲なんてできないよね」

「……何を言って、るのか、しら」

「焦りすぎて区切るところおかしくなっちゃってるよ」


 相変わらず矢来さんは妙なところで察しが良いらしく、私が彼女を目にして頭が沸騰したことに気がついていたようだ。


「……でも矢来さん、よく考えて欲しいの」


 何だかもう手遅れな気もするけれど、私の口は無意識のうちに言い訳を紡ぎ出していた。


「なにを?」

「人間が、人の裸を見て倒れるなんてあり得ると思う?」

「あり得ない」

「でしょ?」

「って、今日までは思ってたよ」

「……ですよね」


 そう、あり得ないことのはずだった。

 いくら直近にサウナに入っていて、のぼせる寸前だったとはいえ。

 いくら好きな女の子の身体だったとはいえ。

 目に飛び込んできた瞬間、心臓が叫びだして血圧が急上昇するなんて。あまつさえ、目眩がするなんて。

 こんな経験もちろんしたことがなかった。

 

「穴があったら入りたい……」


 私は寝返りをうって、顔を矢来さんのお腹に埋めるようにして視界を暗くした。

 あ、滅茶苦茶矢来さんの匂いがする……。


「そんなに恥ずかしかったんだ。ごめんね、揶揄っちゃって」


 さわさわと、まるで子供をあやすかのような手つきで矢来さんは頭を撫でてくる。

 恥じらいを覚えた相手に慰められるなんて、屈辱……でもなかった。

 言動にしろ行動にしろ、矢来さんはいちいち大袈裟で、言ってしまえば子供っぽい。

 そのくせ大抵のことは受け止めてくれるだけの器量があって、そういうところだけはよっぽど私なんかよりも大人だった。

 だから、だろうか。

 甘えることに躊躇というものがなくなった私は、矢来さんの身体に腕を回した。

 他にお客さんがあまりいないとはいえ、公衆の面前で膝枕をされながら抱きつくなんて、我ながら大胆なことをしているとは思う。

 だけど、今日ぐらいは許されていいはずだ。

 店内BGMでうっすらと流れるジングルベルを耳にしながら、私はしばしの間矢来さんに包まれたまま微睡みに落ちた。

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