第30話 大義名分

 踵を軸にくるりと一回転すると、見立て通りそこには私服姿の矢来さんがいた。見たところ一人のようだ。


「だって海道さんわたしに気づかずに行っちゃうんだもん」


 口をとがらせて矢来さんは言う。


「まさか騒いでる人が知り合いだとは思わないでしょ」

「声でわかってほしいな」

「無茶言わないでよ」


 しかしまあ、矢来さんは本気でそう言っているんだろう。

 相変わらず、破天荒な人だ。

 と、そこでここが何でもない改札に繋がる通路のど真ん中であることを思い出した。

 

「……こんなところで立ち話もなんだし、移動しましょうか」

「オッケー。どうする、うち来る?」

「どこでもいいけど、矢来さんがそう言うのならお邪魔しようかしら」

「我が家はいつでも千客万来だよ」


 多分それは矢来さんがそう思っているだけだ。お母さんはきっと片付けてないとかなんとかでいつでもは困るはず。

 私は来た道をまた引き返す。今度は矢来さんと一緒に。

 さっきまで感じていた虚しさはどこへやら、軽い足取りで私は歩く。

 半分早歩きみたいなスピードになっても矢来さんは普通に付いてくる。なぜなら脚が私と比べて長いからだ。ムカつくな。

 だけど、そんなイラつきも今は心地よい。全くの無風よりは、多少騒がしいぐらいの風の方が気持ちよく感じられた。

 

「あ、そうだ」


 隣の矢来さんが何か思い立ったように言ってから、一歩私に近づいてきた。

 なんだろうと疑問に思っていると、矢来さんはサッと私の手を取る。そしてそのまま握られた。


「……なに?」


 あまりに唐突だったために妙に低い声で聞いてしまった。これじゃあ怒っているみたいだ。


「前もこうしてたでしょ?」

「そういえば……」


 初めて矢来さんの家に行った時の話だ。

 駅から家までの道をどうしてか私たちは手をつないで歩いた。矢来さん曰く、迷ったらだめだからと。


「今日は迷子になるかもしれないって大義名分もないけど」


 そもそも前回ですら、迷子になるかもなんて理由としては相応しくない。


「海道さんは毎日迷子候補ってことで」

「バカにしてるでしょ……」

「嫌ならやめるよ」

「……別に、嫌だなんて言ってない」


 我ながらちっさい声だ。それでもちゃんと矢来さんには届いたようで、


「なら、このまま行こう!」


 と、矢来さんは私の手を引いて歩き出す。矢来さんの一歩は私の一歩よりも大きいから、ちょっと引っ張られる形で。

 少しは配慮して欲しいけど、配慮なんて言葉は矢来さんに似つかわしくない。だから私が歩調を合わせてあげるのだ。

 十センチ以上は差のある矢来さんの顔を見上げる。ニコニコと、玩具でも買ってもらった子供みたいな笑顔。それだと私が玩具みたいだな。

 とにかく、邪気のない真っ直ぐな笑みを浮かべている。

 矢来さんはたとえ一人でも表情は柔らかい。学校でボッチをキメていても沈んだ顔をしているところを見たことがない程に。

 だけど、私といる時は目に見えて相好を崩している気がする。

 表情筋が溶けてなくなったみたいに、常に笑顔を私に向けてくる。

 

「海道さんどうかした?」

「なにが?」


 ジッと見ていたことがバレてしまっただろうか。


「なんだか、めちゃくちゃ笑ってるから」

「……私が? 矢来さんじゃなくて?」

「わたしはわたしの顔見えないよ。まあ笑ってる自覚はあるけどね。それよりも海道さんだよ。ニコニコして、どうしたの? 珍しいよね」

「どうしたのって言われても……」


 そもそも自覚がないのだから、どうしたと言われても困る。

 だけど、矢来さんがわざわざそんなウソをつくとも思えない。つまり私は笑っているんだろう。理由に心当たりがないので答えようはないけれど。


「ちなみにわたしは海道さんに偶然会えたから笑ってるんだよ」

「知ってる」


 自惚れでもなんでもない。この子は私を好きだと言っているんだから、当然のことだ。

 

「つまり海道さんが笑ってるのは、わたしに会えて嬉しいから?」

「どこがどう、つまりなのよ」

「いや、それ以外にないよなーって」

「なんかあるでしょ」

「なんかって?」

「なんか……。なんかはなんかよ」


 どうして私が矢来さんに会えて喜ぶのか。それじゃあまるで私まで矢来さんを好きみたいだ。

 まあ、はっきり言って別にもう嫌いでもなんでもないことは認めよう。

 厳密には元々苦手なだけで嫌いではなかったけど。

 とにかく、以前よりも親しくなったことは確かだろう。

 だけどそれはあくまでクラスメイトとして、友達としてだ。

 

「矢来さんが笑ってたからつられてとか、そんなところよ」

「ふうん?」


 何とも言えない返事を残して、矢来さんがそれ以上追求してくることはなかった。

 少し気になったから聞いてみただけで、恐らく初めからあまり興味はなかったんだろう。

 じゃあ聞くなと言いたいところだけど、私は自分が笑っていたことに気づいていなかった。それを知らせてくれたのは有り難い。

 これからは表情をしっかりと引き締めなければ、また矢来さんに変な事を言われてしまう。


「だけどわたし、海道さんが学校でそんな風に笑ってるところ見たことないや」


 てっきりその話題はもう終わったかと思っていたから、矢来さんがポツリと言った言葉を飲み込むのに少し時間を要した。

 

「そんなことは」

「学校ではわたしと海道さん話さないでしょ? それでその時、海道さんは沈んだ顔してる。でも、外でわたしと話してる時は結構笑ってる。つまりこれはわたしとお喋りするのが楽しいってことになると思うんだけど」


 私の言葉を遮って矢来さんは言葉を並べ立てる。矢来さんが理詰めで話しているところを初めて見た気がした。

 しばらく黙っていると思ったら、この論理を構築していたのか。

 どうやら、矢来さんは何が何でも私が笑っている理由を、矢来さんと一緒だからということにしたいらしい。

 たしかに学校では矢来さんと話すことはないし、あまり笑っている自覚もないけど……。

 というか、学校で思い出したことがある。 


「学校と言えば、どうしてあなた私に話しかけてこないの?」


 と言ってから、これじゃあ拗ねているみたいだと気付き慌てて言葉を付け足す。


「ラインであんなに話すことがあるなら、普通に話しかけてくればいいのに」

「だって海道さん、学校でわたしに声かけられたら迷惑でしょ?」

「……どういう意味?」


 本当に、矢来さんが言っている意味がわからず聞き返す。

 すると矢来さんは少し顔を曇らせて口を開いた。


「学校でわたしとお話ししてると、海道さんのお友達があんまりいい顔しないから」

「そんなこと――」


 ない、とは言い切れない。いや、むしろ矢来さんの指摘はもっともだ。

 唯は気にしないだろうけど、他の人はどうだろう。口には出さなくとも、嫌悪感を覚える人はいるかもしれない。私が誰と交友関係を持とうが私の勝手なのにだ。


「だ、だけど、そんなの矢来さんが気にすることじゃないでしょ。あくまで私の問題なんだから」

「わたしは海道さんに迷惑をかけたくないだけだよ」


 それは矢来さんなりの優しさなんだろう。

 だけど、だとしても。

 何か違和感があった。矢来さんには悪いけれど、その配慮には有り難さもない。

 むしろ憤りを覚えている自分がいた。

 矢来さんに、と言うよりは矢来さんにそんな気遣いをさせた私とその環境に向けての怒り。

 そんな空気を読むだなんてこと、矢来さんには似合わない。矢来さんはもっと自由で勝手で、天衣無縫な人のはずだ。行き過ぎたイメージの押しつけは良くないかもしれないけれど、少なくとも私にとっての矢来さんはそういう人だ。

 それが外部要因で捻じ曲げられてしまうなんて、私は私が許せない。

 だけど、私はどうすればいいのか。私が迷惑じゃないと言ったところで矢来さんの考えが変わるとも思えない。言葉程度でどうにかなるなら、最初から矢来さんがそんな行動には出ていないはずだ。


「でも、普段お話ししない代わりに、こうやってお休みの日に会えると嬉しさも百倍だね。砂漠で飲むコーラが美味しいみたいな!」

「そのたとえはよくわからないけど……」

「コーラ……コーラ飲みたいね。コンビニ寄っていい?」

「お好きにどうぞ」


 きっと矢来さんは大して気にしていない。私に迷惑をかけたくないからそうしているだけで、そこに不満や妬みなどの感情は介入していないように見える。

 だから今だって、朗らかに笑って、取り留めないのない発言をしているんだろう。いや、本当にコーラを飲みたいだけかもしれないが。

 私は矢来さんの、そんな能天気さに甘えているのかもしれない。矢来さんに寄りかかって、いろんな事を先延ばしにして。

 いい加減、何か一つぐらいは折り合いをつけるべきなんだろう。

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