第7話 勝負の行方
「わたし、お茶持ってくるから海道さんは座って待っててね」
矢来さんは私に座布団を渡してきた。椅子がないからこれで床に座っててくれってことだろう。
「ああ、うん。お構いなく」
襖を後ろ手に閉めて去っていく矢来さんを見送った私は適当に腰を落ち着けてから、ぐるっと視線を一周させて部屋を観察する。
ここが、矢来さんの部屋……。
私の部屋よりもパッと見てわかる程度には狭い。勉強机と本棚が敷地のほとんどを占めている。あとベッドが見当たらないあたり、多分敷布団で寝ているんだろう。これもまた、予想外だった。天蓋付きのベッドで寝てそうなのに。
良くも悪くも歴史を感じる部屋だけど、それでもなんだかいい匂いがした。
私はあまり他人の家独特の香りが好きではないのだけど、矢来さんの部屋は少なくとも不快ではない。
ただ、この部屋妙に暑い。と思って確認したら、エアコンがなかった。扇風機はあるけど、なんか風が弱いし年季が入ってそう。
「あ、ごめんね。この部屋暑いよね」
私が扇風機を見ていたタイミングで矢来さんが帰ってきた。なんか、文句を言っているみたいで申し訳なくなる。
「代わりと言ったらなんだけど、はいこれ。よかったら食べて?」
「ありがとう」
手渡されたのは、これまた昔懐かしいチューペットアイス。青色だからブルーハワイ味だろうか。矢来さんのはピンク色でイチゴ味かな。
「えいっ」
矢来さんが掛け声と共にチューペットを簡単に真っ二つにする。華奢に見えて、意外と力があるようだ。
私も負けじと腕に力を込める。込める……。込め……折れないんだけど?
「わたしがやってあげる」
ヒョイと私の手からチューペットを取り上げた矢来さんは、私を嘲笑うかのように一瞬でパッキンとした。
「せっかくだから、こっちあげるよ。半分こだね」
矢来さんは私にブルーハワイの片割れと、それからイチゴ味の片割れを差し出してきた。
「……どうも」
受け取ってブルーハワイの方に口をつける。ひんやりとした、いかにも人工甘味料的な甘み。この手のアイス、食べたの何時振りだろ。思わず感傷に浸ってしまう。
「はむっ、んんっ」
矢来さんは豪快にチューペットを咥え込んでいた。おしとやかさとか、全く気にしてない食べ方だな。
ていうか、卑猥だ。
大量の氷を口に含んだ矢来さんはしょりしょりと音を立てて咀嚼している。冷たくて顔を顰めるぐらいなら、もっとゆっくり食べればいいのに。
「あ、海道さん知ってる? 実はチューペットって色が違うだけで味一緒らしいよ」
「へぇ……。かき氷みたいなもの?」
「えっ、かき氷ってそうなの?」
「……チューペット事情を知ってて、かき氷のウンチク知らないことってあるのね」
知識の偏り方がすごい。
「でも、色が違うだけで味も別物に感じるんだからすごいよね!」
「まあ、そうね」
本当は香料で風味付けはされてるから、厳密には色以外にも違いはあるのだけど。
でも、子供っぽく無邪気に驚く矢来さんを見ていると、そんなツッコミは野暮な気がした。だから、相槌を打つのにとどめておく。
「海道さん、見て見て」
「なに?」
「べー」
は? なんで私はあっかんべえされてるの?
「舌、青くなかった?」
困惑する私に矢来さんが補足説明。
「ああ、なるほど。急に煽られたのかと思ったわ」
「違うよー、なんでわたしが矢来さんを煽るのさ」
「……いや、あなた私のこと弄んでるじゃない」
っていうか、そうだ。本題忘れてた。私はこの家に、アイスを食べに来たんじゃない。
証明をしに来たのだ。私が矢来さんのキスなんて、これっぽちも嬉しくないということを。
「べー?」
矢来さんは相変わらず、舌を私に見せつけていた。たしかに、青い。けど、だからどうした。それで喜ぶなんて小学生か。
チロチロと蛇のように矢来さんの舌が動く。若干青みがかっているけど、綺麗なピンクをしている。
あれが、私の口に入って舐め上げたのよね……。
「――っ」
思い出すだけで恥辱に震える。そして、私は今からもう一度あれと対峙するのだ。
いや、だから何だって話だ。私は矢来さんとキスをしたって、嫌悪感以外の何も覚えないんだから。
「行儀が悪いから舌はしまって」
「うん」
「それから、話があるの」
「キスのことだよね?」
何食わぬ顔で矢来さんは言う。あまりに飄々としているものだから、怒っている私がおかしいみたいだ。おかしいのは間違いなく矢来さんなのに。
「もう時間も惜しいからするわよ。それで私は帰るから」
「ええ、もう帰っちゃうの? だったら、キスは帰り際がいいな」
「うるさい! つべこべ言わずにする!」
私がまくし立てても矢来さんはヘラヘラとした笑いを崩さず、はーいと言って私に近づいてきた。ふわりと、この部屋のいい匂いをさらに濃くした香り。
というか、こっからどうするの? キスたって、私からすればいいのか、それとも矢来さんが前みたいにしてくるのか。
と、私の逡巡は無駄だったようで、矢来さんは私の身体に腕を回してきた。
……なんで抱きつかれてるの? 抱きつかなくたってキスはできるでしょう。
前回と違って、顔だけじゃなくて身体も近い。近いというか、密着している。
ぷにぷにと私の胸と矢来さんの胸が押しつぶし合う。
矢来さん、胸大きいな。私も結構でかいつもりだったけど、これは物が違う。
なんて考えているうちに、矢来さんの綺麗な顔は目前に迫っていた。
息が詰まる。これからキスをするんだから、空気を溜め込んでおかないといけないのに。
比喩でもなんでもなく、全身を矢来さんに包み込まれた状態。
「じゃあ、するよ?」
声といっしょに、矢来さんの熱っぽい息が私にかかる。
「――っ、好きにして」
どうしてわざわざ口に出して宣言するんだろう。さっさと無言でやってくれればいいのに。そうやって意識付けさせてくるのはわざとか?
ああ、心臓が五月蠅い。けど、これは私の心音だろうか? 引っ付いてるから矢来さんの心臓の音も聞こえそうなものだし、これは矢来さんのものだと思っておこう。私がドキドキしてるわけもあるまいし。
「んっ」
矢来さんの唇が重なってくる。思わず声が漏れた。
この前よりも矢来さんの唇は温かく、湿り気を帯びている気がした。その分ねっとりと濃厚な感じがする。
キスに合わせて、さわさわと矢来さんの手が私の背中をさする。動きだけならお母さんが子供をあやしているものと差異はないはずなのに、やけに脳がピリピリと痺れてくる。
「んんっ、ちょっと、舌入れようとしないでよ」
またも矢来さんが私の口に舌を突きだそうとしてくるので、慌てて口を離した。
つーっと二人の唾液が垂れたので急いで振り払う。
「どうして?」
「どうしてって、別にそこまでする必要はないでしょ」
「でも、前と同じことしないと、海道さんが嫌がってるかどうか判断できないよ?」
……なんだその、一理あるようなないような言い分は。
「だからほら」
言葉に合わせて矢来さんは私を抱く力を強める。女の子とここまで激しく抱き合ったことはないけれど、少なくとも矢来さんはとても柔らかくて、これが女らしいってやつなのか。
「……ちょっとだけだから」
そう言って私は固く結んだ口を緩める。別に絆されたわけじゃない。
ただ、私が譲歩しないと永遠に帰してもらえないと思っただけ。
だって、矢来さんだし。配慮とか遠慮とかしてくれないだろうから。なので仕方がない。
「えへへ、ありがと」
何に対する礼だよ、とツッコむ暇もなく矢来さんは唇を押しつけてきた。流れるような動きで舌も差し込んでくる。
チューペットの味がした。風情のかけらもない。多分、矢来さんも同じことを思ってそうだ。
ぴちゃぴちゃと下品な音をたてて矢来さんは私の口内を犯していく。
ザラザラと温かく柔らかい、およそ舌以外ではありえない感触が、上顎から頬肉まで余すところなく擦り上げていく。
そして、最後に舌と舌がぶつかる。先端と先端でつつき合って、まるで舌でもキスをしているみたい。
私が動けないのをいいことに、矢来さんは遠慮なく私の舌をからめとった。
「んぷっ、んんんっ」
ていうか、息苦しい。呼吸できないんだけど。
ポンポンと矢来さんの背中を叩いてそれをアピールする。だけど、それを矢来さんは何と勘違いしたのか更に激しく舌を舐り上げてきた。
依然として矢来さんは私の背中も撫でてくる。というか、片手に至ってはお尻を触っている。エロ親父か。
矢来さんの手のひらが私の臀部を鷲掴む。お尻、大きいの気にしてるんだからやめて欲しい。けど、声が出せない。
頭も口も身体も、何から何までが熱くなってきた。下腹部はジンジンと疼きを覚えているし、そろそろ限界。
「んちゅっ、やぁぁっ、矢来さっ、ん、もうっ」
息も絶え絶えに私が抵抗すると、やっとのことで矢来さんは口を離した。相変わらず、抱きつかれているけど。
「はい、チーズ!」
「は?」
矢来さんの手にはスマホ。外側のカメラが私に向けられていることに気付いて、矢来さんの思惑がわかった。だけど、あまりに急なことだったから顔を背けることも叶わず。
パシャリと作り物のシャッター音。
画面で撮影された写真を確認した矢来さんは満足気に頷いて、私を解放した。
「なっ、なに? なんで写真なんか撮ったの?」
「客観的事実ってやつを抑えたくて」
「どういうこと?」
「わたしがいくら言ったって、海道さんはキスは嫌って主張をやめないでしょ?」
「当たり前じゃない。だって、嫌だもの」
「これ見て、まだそんなことが言えるかな?」
そこで私は初めて矢来さんの意地悪な笑顔を見た。こんな顔もできるんだ。なんか、印象が違う。外見に似つかわしい、アンニュイな雰囲気。
って、そんなことを気にしている暇はない。私は矢来さんのスマホに表示された写真を見る。
そこには顔を赤らめて、目をトロンと蕩けさせている女の子。
まるで自分とは思えない顔をしているけれど、紛れもなく私だ。
「こんなに気持ちよさそうな顔しておいて、嫌ってのは無理があると思うな」
「なっ、いやっ」
認めたくない。私が女の子と、ましてや矢来さんとキスをしてこんな顔をしているなんて。でも、こうして現場を取り押さえられてしまうと否定するにできない。
というか、私は喜んでるの? それすらわからない。
……いやいや、違うこれは、これは……。
「わかった、わかったわ。キスが気持ちよかったのは認める。だけど、それはあくまで生理現象! わかる? だから、別に嬉しくもないから」
「ふうん」
「ひゃっ」
つーっと矢来さんの指が背中をなぞる。それだけで、今まで出したこともない声が出てしまう。
「これも嫌?」
「嫌に、決まってる……。やぁっ、嫌って言ってるでしょ」
私の言葉など聞かず、矢来さんはフェザータッチをやめない。
それどころか、明らかに触り方がいやらしくなっている。
背中を指が何度も行ったり来たりして、私の反応がいい所を探してあててくる。そして、そこを執拗に何度も刺激された。
私は体勢を保つのも苦しくなって、思わず前屈みになり矢来さんの胸に顔を預ける形に。
圧倒的な質量を持ったそれに、私の頭部は優しく迎え入れられる。
これは、女の私でもすごい……というか幸せになる。そりゃ、男の子は血眼になっておっぱい見るよね。初めて共感したよ。
だけど、私でも結構視線を感じるんだから、矢来さんはもっと大変そうだ。もっとも、矢来さんは他人の目線なんて気にしてなさそうだけど。
それから、ひとしきり矢来さんに遊ばれた。
若干、矢来さんの胸に名残惜しさを覚えながら私は顔をあげる。
……どんな顔してればいいんだろう。
「気持ちよかった?」
「え? ええ、まあ」
って、私は何を正直に答えてるんだ。矢来さんが調子に乗っちゃうのに。
けど、私の答えにえへへと笑う矢来さんを見ていると、なんだかそれでもいい気がしてきた。善行を積んだみたいな。
「……ちょっと、お手洗い借りたい」
一旦落ち着こうと、尿意もないのに言った。
「廊下を出て右手だよ」
「ありがと」
襖を開いて廊下に出る。
その時だった。
ガチャりと扉が開く音。矢来さんの部屋は襖だからそんな音はしない。
音は玄関からしていた。
扉が開き誰かが入ってくる。
「あら」
その人は私を視認して珍しそうな声をあげた。
モデルか女優か、とにかくそんな華やかさを持った大人の女性。そして、顔立ちには見覚えしかなかった。
「綴のお友達?」
「あ、どうも……。お邪魔してます」
矢来さんのお母さんだ。
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