第2話 始業式
予想通り、体育館で行われた始業式は過酷の一言につきた。
何の変哲もない公立高校なので、教室には設置されているクーラーも体育館にはないし、今後導入される見込みもない。
おまけに全校生徒を押し込めているから、湿度が高い。むわっとした空気を尻目に私はそそくさと体育館を後にした。
「あっつ……」
だからといって外が涼しいかと言えばそうでもなくて。
人口密度が緩和されただけで目ぼしい変化はない。
シャツの襟をパタパタと扇いでいると、誰かが私に近づいてくるのがわかった。
大方、いつものメンバーだと思い振り返った私は、そこに立っていたのが予想外の人物だったので思わず驚き、身構えた。
「やー、ほんとにね。くたばれ太陽って感じ」
殺意の高い発言とは裏腹に、満面の笑みで矢来さんが話しかけてきた。
朝礼前のことといい、どうして今日はこんなにも私に突っかかってくるんだろう。今まで会話を交わしたことなんて、数える程度しかないのに。
「……そうね」
我ながらコミュニケーション能力に欠ける返事だ。しかし、元来は私はあまりお喋りではない。会話が嫌いな訳ではないけれど、じゃあ積極的に他人と話がしたいかと聞かれれば間違いなくノーと答える。
「あ、でも海道さん的には暑い方が嬉しいのかな? 髪切った甲斐があるみたいな!」
そんな私の素っ気ない返答を気にも留めず矢来さんは何が嬉しいのか相変わらず楽しそうに話を続ける。
「いや別に、暑いのは嫌いよ」
「なら、くたばれ太陽だね」
「……うん」
はっきり言って、私は矢来さんが苦手だった。嫌い、ではなく苦手。
まず、一々声が大きい。それに動作も派手だ。身振り手振りを交えるのはいいけれど、それにしたってそこまで腕を振り回すこと必要ある?
どことなく大型犬をイメージさせられる。私は猫派なので全くもって心がときめかない。
「っていうか、海道さんとまともに話したの初めてだね?」
ほら、こうやってまた私の顔をあからさまに覗き込んでくる。
黙ってさえいれば大人びた美人な顔が、目前ににゅっと現れたから、わざとらしく目を逸らしてやった。ついでにやたらといい匂いがする。こんなにも暑いのに、汗臭さとは無縁なのかこの女は。
「そうね」
「一回お話してみたかったんだよね。って、わたしクラスメイトのほとんどを話ことないけど」
「……」
そして、私が矢来さんを苦手な最たる理由はこういうデリカシーに欠ける発言が多いところだ。いや、正確には空気が読めていない、だろうか。
わたしクラスに友達がいないんですと言われて、どんな反応をしろと? 笑えばいいのか、憐れめばいいのか。
きっとこれは私だけが思っていることではない。だからこそ、矢来さん本人も言うように、クラスで孤立している。わかっていてそうなのだから救いようがない。
「あっ、律いたー! もー、なんで先行っちゃうの」
ガヤガヤと喧騒の中から私を呼ぶ声がした。振り返ると、いつものメンバー。
渡りに船、これで矢来さんもどっか行くだろう。
と、思っていた私がバカだった。
いつメンと合流した私の隣に、矢来さんは変わらず歩いている。
そうだ、こいつ矢来綴だった。
「あ、えと、矢来さんと話してるなんて珍しいね」
「うん、まあ……」
「なんたって今日初めてちゃんとお話したからね!」
どうしてお前が自信満々に答えるんだ。あと、珍しいねは皮肉だ。どっか行けという意味も込められているのだけど、矢来さんは当然気づかない。
「よ、よかったねー」
結果、私の友人である小波唯は猛烈に愛想笑いをしていた。数少ない、私が胸を張って友達と呼べる唯にこんな顔をさせるなんて、やはり許せない。
けど、矢来さんを怒る気にはなれないし、これは私以外もそうだ。
矢来さんに悪気がないのはもはや周知の事実で、矢来さんを否定するのは、何故だかこちらが悪いことをしている気になってくる。
そりゃ、矢来さん本人がいないところでは「あの子空気読めないよね」みたいな話になったことはある。陰口というよりは、ただの事実確認だけど。
「あ、小波さんとお話するのも初めてだ!」
なんて天真爛漫に言われてしまうと、益々愛想笑いしかできなくなるのだ。
その後は私たちのグループによる身内話になったから、流石の矢来さんでも首を突っ込んでくることはなかった。まあ、普通に何食わぬ顔で横にいたけど。メンタル強すぎる。
「今日は午前中までだよ、つまり絶好の遊び日予知だよ」
唯が小柄な身体を揺らしながら嬉しそうに言う。
「てことで律」
「あー……ごめん。今日は無理」
「あちゃ、翔也君?」
「うん、そうなんだ。だから、また今度ね?」
「いいよいいよ、カップルの邪魔をするつもりはないからね」
顔に寂しいと書きながら言わないで欲しい。それに唯は私がなし崩し的に翔也と付き合っていることを知っている唯一の学友だ。だから、余計に気を遣ってくれているんだけど。申し訳なさでいっぱいになる。
「翔也って、あの隣のクラスの人だよね?」
「え?」
隣からやたらと小声で声をかけられた。ああ、矢来さんか……。
「そうだけど。てか、なんでそんな声小さいの」
「あんまりおっきな声で言うことじゃないのかなって」
私は感動していた。まさか、矢来さんにそんな気配りができるなんて。
……いや、いくらなんでもこれは失礼だ。
「別にいいよ。みんな知ってることだし」
「そうなんだ。彼氏かー。わたしいたことないや」
「ふぅん。矢来さん可愛いんだから、適当に釣れそうだけど」
「わたし可愛い? 可愛いかー」
どうして私に褒められただけでそこまで笑顔になれるんだろう。
言われ慣れてないとか? いや、鏡見たら自分が可愛いことぐらい把握できるでしょ。
「でも、適当はやだな。海道さんだって、その翔也って人のこと好きだから付き合ってるんでしょ?」
「……ああ、まあ」
私の冴えない返しに矢来さんは眉をひそめていた。
けどそれも一瞬で、ふと目を離しらいつも通り人の好さそうな笑みに戻っていた。
「そうだよね」
うんうんと、何かを確認するように矢来さんは頷いていた。
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