レナさんがとってもいい人だから

顎男

第1話 シゴト

 頑張ったのに報われなかった。頑張ったのに報われなかった。頑張って、報われそうになっても、怖くて逃げた。

 ぼくはだめなやつだ。ぼくは生きてる資格なんてないんだ。そう考えると頭がしゃっきりするんだ。生きてても仕方ないから、自分が落としたり、壊したりしちゃったものに無感動でいられるんだ。どうだっていいんだ。全部壊れちゃえばいいんだ。


「ぼく、ぼく、英雄なんかじゃないんだ。レナさん、ぼくどうしよう。怖くて仕方ないよ」

「大丈夫だよ」レナさんは天使のように微笑んだ。その完璧な表情筋のコントロールは、ぼくを安心させた。

「あなたは何も悪くない。あなたはわたしが守るもの。心配なんてしなくていいんだよ。ほら、ママって呼んでごらん」

「ママ……」

「よくできました。ふふ、おかしいね。でも、安心するね……」


 深夜のファミレスでぼくたちはハンバーグステーキとカフェオレを挟んで向かい合っていた。同じものを注文しているのに、向かい合っているぼくたちはぜんぜん別の人間だった。冴えないクズのぼくと、びしっとスーツ姿を決めたレナさん。ぼくはたちは何もかも正反対だった。性格も、性別も、性質も。でも、一つだけ同じものがあった。というより、都合がいい組み合わせがあった。レナさんはぼくを必要としていて、ぼくはレナさんの役に立てるということだ。それはとっても大切で、ぼくをハッピーにする唯一のことがらだった。ぼくはそのためなら死ねると思っていた。レナさんのために死ぬ。なんて素敵な響きなんだろう! ぼくは早くその日が来ることを願った。でも、死んだらレナさんと離れ離れになってしまうから、今夜も生き残る方に乗った。


「レナさん、ぼく、今日もうまくやれるかな。もしできなかったら、レナさんはぼくを嫌いになる?」

「ならないよ。なるわけないでしょう? ぼくちゃんは、わたしの大切な人なんだから」

「そうなの? ねぇ、信じていい?」

「いいよ」

「わあ、ありがとう。ぼく、とっても嬉しい。レナさんに会えてよかった」

「ふふ、わたしもだよ、ぼくちゃん……それでね、今夜のシゴトなんだけど」


 ぼくは首をぶんぶん振った。血流が乱れて目眩がする。ケチャップを戻しそう。


「シゴトの話はやだ。めんどうなんだもん」

「でも、シゴトをしないと人間は生きていけないんだよ。とっても悲しいね。でも、いつか、シゴトをしなくていい日が来るかもしれない」

「それはいつ?」

「このシゴトが、ぜんぶ終わったら」

「シゴトには、終わりがあるの?」

「ないシゴトもあるよ。でも、これにはあるの」レナさんは窓の外に広がる薄汚いゴミどもの街を、きれいな黄色い目で眺めた。猫みたいだ。

「だからね、ぼくちゃん、イヤかもしれないけど、がんばろう? もし、うまくできたら、抱きしめてあげるから」

「えっ、ほんと? ハグしてくれるの?」

「かわいいなあ」レナさんはうっとりしたようにぼくを見てくれる。ぼくはなにかレナさんを喜ばせたらしいんだ。

「きみはほんとうに、素直で優しい特別な子。ほんとうに見つけられてよかったなあ」

「レナさん、ぼく、照れちゃうよ。照れたら指がちゃんと動かないかも」

「嘘ばっかり。わたしのヒーローは、テクニシャンなんだから。知ってるもの」

「えへへ……」

「それじゃあ、お会計しようか」

「ぼく、ぼく出すよ。えへへ、アルバイトしたんだ。引っ越しの……」

「ありがとう。でも、そのお金は自分のために使ってね。それから、きみはもうアルバイトなんてしなくていいの。お金なんて用意してあげるから、こっちのシゴトに集中して」

「でも……」

「働かないことは、悪いことなんかじゃないんだよ? 君には障害者手帳だって交付されてる。無理なことは、ちゃんと他人に頼ろう? 君よりラクして生きてる人たちなんか、いくらでもいるんだから」

「うん……わかったよ、レナさん」

「ありがとう。よかった。じゃあ、いこうか。今夜もわたしが送っていくね」


 レナさんが振り返ると、いい匂いがした。


「きみは、シゴトだけしてればいいの」



 ○




 翌朝、ぼくは珍しく朝から歯磨きをした。レナさんに会う時でも結構な頻度で歯を磨くことを忘れてしまう。アパートの鏡に映るぼくの歯は黄ばんでいる。ぼくはだめなやつだ。必死に歯ブラシで黄ばみをこそぎ落とそうとがんばっていると、テレビからニュースキャスターの声が聞こえてきた。昨夜零時頃に国会議員のだれそれが頭部に銃弾を受けて死亡しました。ぼくはぺっと歯磨き粉に混じった血が排水口に流れていくのを見ながら、思った。

 昨夜は少し、狙いが逸れた。

 次はもっと、上手くやる。

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