第26話 マーフィとのり弁

 幸次は自分のパソコンの前で猛烈に後悔していた。何故こんな失敗をしでかしてしまったのだ。何故。嗚呼何故。


 今日は平日である。美穂はお友達とお茶会だ。一応幸次も誘われたのであるが、正座するという行為に苦手意識が出来てしまっているので、今回はお断りしている。

 朝から着付けがあるとかで、昼食代として500円渡されている。中学生か。見た目だけは中学生ではあるが、中身が中身だ。自分でチャーハンなどを拵えるのも悪くはないが、少しくすんだ硬貨を見ているとあるアイディアが浮かんだ。


 近所の弁当屋『ランチボックス佐々木屋』にそれはある。ランチボックスという店名の割に夜8時まで営業している弁当屋は、近所の商店では古参と目されている。先代から引き継いだ息子も店名にカタカナを入れるという冒険をしながらも、近所の主婦の、腹を空かせた学生の、1日の労働を終えた疲れ切った会社員の、そして幸次の絶大なる支持を得続けているここいらでは知らぬ者などいない有名店である。


 のり弁である。某弁当チェーンが始めたと言われるそれは、ここランチボックス佐々木屋でもメニューに追加されている。流行りと見るや即座に導入し、自分のものとして提供する柔軟さに、界隈は驚愕と歓喜の声によって受け入れられた。まあ大げさではあるが、現在まで不動の人気メニューとして買い求める人々の空腹を満たしているのであった。


 本日のランチボックス佐々木屋(面倒なので以後は単に佐々木屋と表記することにする)は、大変華やかな雰囲気であった。薄い金色の髪(本人に言わせると「ビールを薄めたような色」とのことである)を背中に垂らした女の子が弁当が出来上がるのを待っていたからである。カウンターに立つバイトのユミちゃん(名札にもユミちゃんと書かれているのである)は突然現れた女の子を前にそれはもう緊張したと後に語る。英語でどう話しかけようかと迷っていると「のり弁ひとつ」と普通に日本語が出てきてひと安心。そのあとは奥にいる店長とひと言ふた言言葉を交わす女の子だが、口調と会話の内容がどうにもそこらのおっさん臭い。割とミニのワンピースを着た女の子な見た目とのギャップがありすぎる。ばいばいと手を振って帰っていく後姿を眺めながら、都会っていろんな人がいるんだなぁと感心しきりのユミちゃんであった。


 とりあえず、近所の弁当屋で海苔弁当380円とカップスープを買ってきた。まだまだ熱々の弁当を持って書斎へ移動する。今日はネット飯。だ。ネットサーフィンしながらご飯である。


 パカリ、と弁当のふたを開ける。とりあえず、付属のソースをかけようとして気が付く。置く場所がない。マウスをどかして弁当を置く。机から少しだけはみ出している。幸次は注意深くソースを海苔弁当の主役であるところの白身魚のフライにかける。ぐらり。おっとっと。


 油断していた。敵は海苔弁当だけかと思っていたのだ。カップスープも置き場に困っており、弁当のすぐ横に置いていたのだ。

コツンとカップに当たる弁当。ぐらり。おっとっと。

 弁当に続いてスープが。弁当を押さえていたため、救助が遅れてしまった。あっ! と声をあげて弁当から手を放す。悲劇は弁当がキーボードの上に置かれていたことによって増大した。キーボードの微妙な傾斜により、ズルリと滑り落ちる。


「あああああっっっ!!!」


 バシャー。ベチャー。


 デスクトップパソコンの本体の上に降りかかる厄災。

 運悪く、グラフィックボードの交換中で、真新しいボードを取り付けて試運転中であった。まだ、動画すら見ていないが。

 故に、ケースの蓋が開けっ放しである。そして、今日も元気に発動するマーフィー。きちんと弁当がさかさまに落ちていき、スープが追い打ちをかけることと相成った。


 ばちん。


 モニターが暗転する。幸次の顔も暗転する。


 やはり、ジャムだかマーガリンだかを塗った面が下になるのであるなぁ。と、幸次はしみじみと思う。


「あ、あう。あう」


 書斎はアシカの如きうめき声しか上げられない幸次の声と、「くぅぅぅ」と可愛らしい空腹の音が鳴り響いていた。


 そして佐々木屋と略す機会がなかったのであった。

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