第20話 魔王涙目


「いやあ、すごいなあマコトクンは」



 昇降口で土足に履き替えず、上履きのままの俺を捕まえて、不破が嫌味を言う。



「昨日あんなに私たちの前で大見得きってみせたのに、次の日には普通に学校に登校してるんだもん。すごいよマコトクンは。大物だよ。魔王の私が思わず見上げちゃうくらいおっきいね。ビッグ過ぎて足元にも及ばないなあ。参った。お手上げさ」



 レヴィアタンを差し向けてきた事に文句を言ってやろうと思ったが、それ以上に不破の言葉がボディーブローのように効いてくる。



「お、俺は学生の義務を果たしていただけだ……!」


「随分と慎ましい義務だね。まるで人命よりも勉学のほうが大事に聴こえるよ、それ。……まあ、私としてはどちらでもいいんだけどさ。でも、協力してくれないとはいえ、同じ事をしている以上、足並みは揃えてほしいよね」


「……ほ、放課後に向かおうとしてただけで……」


「おお、そうだね! そいつはナイスアイデアだ! 放課後に向かったら、ちょうど退勤する時間と重なるかもしれないからね。人がいっぱいいると、もしかしたら色々とややこしくなるし、最悪逃げられるかもしれないけど、マコトクンなら大丈夫だよね」


「ぐ……ぬぬぬ……!」


「ボス、それくらいにしておきましょう。マコトクンも反省しているようですし」



 なぜかレヴィアタンが止めに入る。



「も、元はといえば、おまえが教室に来なければ……ていうか、来てたとしても、そのヤバい人が着てそうな服装は必要なかっただろ。完全にイヤガラセじゃん!」


「おや、〝来て〟と〝着て〟をかけているのですか。さすがですね」


「お、おまえ……! マジで人をおちょくるのが上手いな……!」


「あっはっは。そこまで褒めなくてもいいんですよ」


「褒めてねえよ!」


「まーまー、これ以上続けてもただ悪戯に時間を浪費するだけだよ、マコトクン」


「おまえがそれを言うか!? こいつを差し向けてきた、おまえが!?」


「さて、では昨日言っていた会社へ向かおうとしようか」



 不破は俺との会話を勝手に切り上げると、俺を置いて歩き始めた。



「おまっ!? 話を聞──」



 いや、落ち着け。冷静になれ高橋誠。

 ここで無様にツッコミを入れようものなら、不破こいつは嬉々として嫌味で返してくるだろう。所詮は魔物の戯言。人語を解するからといって、知能はゴキブリ以下のケダモノ集団だ。たまたまこいつらの口から発している言葉が俺にも理解できる、それだけだ。冷静になるんだ高橋誠。



「クールダウン。カームダウンだ……」



 一度鼻から大きく息を吸い込み、肺にあった胸糞悪い気持ちを口から吐き出す。

 それに、ここで時間を取る必要性もない。今はただ事態の把握と、このバカげた事件の収拾にあたらなければ……。



 俺は怒りをすべて吐き出すと、不破の後に続いて歩きだした。



「おや、うだうだ言うのはもうやめたのかい?」


「もう安い挑発には乗らない。せいぜいさえずってろ」


「お。……いやはや、成長したね、マコトクン。目を突っ張るとはこのことかな?」


「それを言うなら目を見張──いいさ。俺はもう、無作為にツッコんだりはしない

。ざまーみろ」


「……では、このまま歩きながら、目的地へと向かいながら状況を説明しようか。いま、鈴とローゼスクンは件の会社の、その周辺に張り込んでる」


「なんだ、ローゼスと蠅村は一緒に行動していたのか」



 なるほど、どうりで蠅村の姿が今朝から見えなかったわけだ。



「いいや、合流したのは今朝みたいだよ」


「今朝?」


「そう、私が鈴を家から送り出して……それから数分のところで、鈴から連絡があったんだよ」


「……なんて?」


「『繁華街で暴れていたローゼスを捕獲しました』ってね」


「ほか……はあ!? な、なにやってんだあいつは……! ひと晩中魔物たちと戦ってたってわけか!? それも、人が多い場所で!?」


「いいや、それは違うみたいだよ」


「……違うってなにが?」


「そうだね、どう説明すればいいものか……まずは魔物転移装置についてのおさらいをしようか。マコトクンも知っての通り、魔物転移装置のアプリを起動する際、微弱な魔法が携帯から発せられて、使用者の精神を破壊する……というのはもう知っているだろう?」


「ああ」


「ローゼスクンはどうやらそれを逆手に取ってね、この区域全域にアンテナを張っていたんだよ」


「アンテナって……」


「そう。アンテナ。文字通りのね。感覚を鋭く研ぎ澄ませることで、小さな音を拾えるように、魔法だから魔力も拾うことが出来る。ローゼスクンはその感覚を限界まで研ぎ澄ませることによって、即座にその魔法に反応できるようにしていたんだ」


「しかも、それをひと晩中……?」



 不破が黙って頷く。



「マジかよ……いや、それが出来たからといって、相手に勘付かれないように携帯を壊すのは──」


「出来るでしょ?」


「そうだ、ローゼスなら出来るのか」


「そう。彼女は元盗賊。それも凄腕のね。なにせ、カイゼルフィールでもマコトクンが来るまで一度も捕まったことがなかったんだから。そして、そんな彼女が本気を出せば──」


「携帯が盗られたにせよ、壊されたにせよ、自然を装える」


「そういう事。そしてここで朗報だ。カイに探らせたところ、昨晩の被害者……つまり、中毒者の数はなんとゼロ! ローゼスクンがすべて未然に防いでくれていたんだって!」


「ま、マジかよ……やるな、ローゼス……」


「ただ、結果だけ見れば昨晩だけ魔物の発生件数はゼロだから、怪しまれることには変わらないんだけどね。……でもそれも、あくまで〝結果〟を見るまでは……だけどね」


「……本当は俺が呑気に登校なんてしていなければ、今朝のうちに、結果を見られる前に元締めを叩けてたって事か?」


「ふふ、どうだろうね。マコトクンの……学生さんの本分は勉強だからね」



 ……これは本格的に俺が悪いな。これでもし失敗でもしたらローゼスに合わせる顔がない。



「……いや、でも待てよ、さっきローゼスが暴れてたって言ったよな? アプリの無力化は成功したんだよな……?」


「うん、その事なんだけど……、たしか君たちの世界のとある詩人がこんな事を言ってたよね。『光が多いところでは、影も強くなる』って」


「……前置きはやめろ。怖いから」


「つまり、朗報があれば悲報もあるって事」


「なんか、すさまじく嫌な予感がするんだけど、それ……聞かなきゃダメか?」


「魔物転移装置の一件で、ひとり頑張ったローゼスクンはとりあえず休憩しようと考えた」


「俺の答えを聞かずに話し始めるな」


「でもそこは夜の繁華街、怪しい人や怪しい話でごった返している、混沌が支配している空間。そんな混沌の中に異国の……いや、異世界の美女をひとり放り込んだらどうなると思う?」


「それって……」


「そう。酔っ払いやらホストやら、スカウトやらにしつこく言い寄られたんだろうね。気の短いローゼスクンは思わずそういった殿方に手と足を出しちゃったって事さ」


「マジかよ……」


「さすがに〝力〟は使わなかったみたいだけど、それでも殴れば成人男性一人くらい難なくぶっ飛ばせるし、蹴れば成人男性三人くらい難なくぶっ飛ばせる」


「それで軽い騒ぎになったと……」


「その通り。たしかにローゼスクンはすごい働きをしてくれたけどさ」


「それと同時に、それをかき消すくらいの事もやらかした、と」


「そういう事。……あのねえ、困るよマコトクン。ローゼスクンの手綱はきちんとマコトクンが握っていなくちゃ。あの子、この世界だと、マコトクン以外の話は聞かないだろうし」


「いや、いちおう止めはしたんだけどさ……」


「いやいや、そこはもうちょっと本気で止めてくれないと」


「……例えば?」


「鎖で手足をがんじがらめにして、適当な木の下に吊り下げておくとか?」


「それでローゼスが止まると思うか?」


「……うん、止まらないだろうね」


「待てよ? 不破んトコにある大量の駄菓子で釣れば、あるいは……なあ不破、しばらくおまえのところの駄菓子を無料で──」


「はい、この話、終わりっ! くれぐれも今後は、ローゼスクンの動向に注意を払っていてくれたまえ!」


「なるほど、不破の弱点はここ財政か。……なるほどな」



 いままで散々言われっぱなしだったけど、これからはこの手を使おう。



「……あまりいじめないでね」


「それは不破次第だな」


「うぅ……」



 不破は肩を落とすと、俺の前で、初めて情けない声を洩らした。

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