自主企画3本掛け持ち全集

七海けい

第1話:デジタルカメラと、洋館と、僕(ホラー)


 熊蝉くまぜみが鳴く、8月の昼下がり。

 迷彩ズボンに白シャツ一枚の僕は、愛用のデジカメを片手に、地方某所ちほうぼうしょの林道を歩いていた。


 白峰しらみね高校の写真部に所属する僕は、オカルト研究会にも顔を出している。

 この時点で、僕の趣味はお察しだろう。


 そう。僕の趣味は、心霊写真の撮影だ。


 幽霊写真玄人くろうとの先輩からは、独特の色調とピンぼけを活かせるフィルムカメラを使えとあつをかけられ、生意気な後輩からは、スマホカメラの加工し放題ぶりを自慢される中、僕は僕で、こののデジカメにただならぬ誇りと愛着を持っている。


「……」


 僕は、強烈な日射と猛暑を我慢して立ち止まり、道脇みちわきにデジカメを向ける。

 日差しで色あせた草木の向こうには、昼でも薄暗い雑木林ざつぼくりんが広がっている。


 フラッシュ機能は、OFFにしておく。

が、嫌がるからだ。


 僕は、無人の林野にシャッターを切る。


 かちゃん、とん。


 熊蝉の騒々しさに比べると、随分とはかない音量で、シャッター音が鳴る。


「今日も可愛いよ」


 僕は、デジカメに写るに言った。

 夏日にれた雑木林の隙間から、白いワンピースを着た少女が、笑顔を覗かせていた。



 僕のデジカメは、少女を写す。

 この世にいない、少女を写す。


 流れるような黒髪に、白を基調にした服装。清廉せいれんな笑顔と、控えめな立ち姿。


 その場所には、絶対にいないのに。

 僕のデジカメを介すと、存在する。


 僕以外の誰のカメラにも、彼女の姿は絶対に写らない。

 このデジカメ以外のどのカメラにも、彼女は写らない。


 つまり、彼女はこのデジカメだけに見える幽霊なのだ。


 ちなみに、声は知らない。


 僕のデジカメには、録音や録画の機能も付いているけれど、シャイな彼女は映りたがらない。画面の隅に体育座りをして、顔を隠してしまう。無理矢理近づくと、指の間から瞳をのぞかせた後、スッと消えてしまう。


 彼女は、身体の一部を消して写真に写ることもできる。ポルターガイスト現象を起こしてもらったり、首や腕だけを見せたもらったり。そういう芸当もできる。


 すっかり彼女に魅入みいられてしまった僕は、彼女を題材に、たくさんの心霊写真を撮ってきた。僕が8月の炎天を彷徨っている目的も、彼女の「撮影会」をするためなのだ。


「あそこか。……」


 林道の脇に、築数十年はあろう2階建ての洋館──鹿翁館ろくおうかんが見えた。

 流れる汗もそのまま、僕は小走りで、そのび付いた門前に急いだ。


「……」


 腰丈こしたけほどの外扉に、鍵は掛かっていない。僕が扉に手を掛けると、キィ、と音を立て、中扉への道を開けた。蔦が這う外壁に、割れた窓。中庭の隅の方には、首が取れた子猫の置物や、カラカラに干からびた植木鉢うえきばちが放置されている。少なくとも外側からは、住人の気配を感じない。心霊サイトでこの洋館を見つけたときは半信半疑だったが、本当に廃墟のようだ。


 僕は殺風景な中庭に入り、ぐるりと辺りを見回す。

 そして、デジカメを外扉に向ける。


 かちゃん、とん。


 デジカメのシャッターが、小気味こぎみの良い音を出す。


 僕は、撮れた写真を確認する。

 彼女は外扉の脇に立ち、ピースをして写っていた。


「次は、もうちょっと怖いヤツを頼むよ」


 僕は苦笑気味に、洋館の内扉を開けた。



 洋館の内部は、思っていた以上に生ぬるく、そして、意外と明るかった。所々の採光窓から差し込む夏日が、辺りにただほこりを一粒単位であらわにする。フラッシュをいて撮影すれば、オーブがたくさん撮れるだろう。


 でも、僕の目的はそれじゃない。


 僕は、今にも崩れ落ちそうな螺旋らせん階段に目を付けた。虫食いだらけ足場に、蛇が彫り込まれた手すり。ギッシ、ギッシ……、と軋ませながら、この家のあるじが今にも降りてきそうだ。


「よし……」


 僕は、デジカメを夜景モードに切り替え、螺旋階段に向けた。遠鳴りする熊蝉の声に惑わされず、僕はデジカメを構える。


 かちゃん、とん、


「……」


 周りが静かなせいだろうか。

 シャッター音が、いつもより大きく聞こえた。


 僕は期待を胸に、撮れた写真を確認する。


「うん、凄く良い感じ」


 彼女は螺旋階段の後ろに現れ、逆さ吊りになり、首から先だけを覗かせている。垂れた黒髪と、澄ました無表情がいかにもそれらしい。


「じゃあ、次、行くよ」


 それから僕は、何十枚という数の写真を撮った。一階のロビーは、想像していたより広かった。螺旋階段の上端に、彼女の裸足はだしだけが映っている写真。遠目に映る近世風の肖像画に、彼女の顔が同化した写真。浮遊した両手が、割れた食器を運んでいる写真。30分ほどかけて、めぼしいシチュエーションを撮り尽くした僕は、頼りない螺旋階段を上り、個室が並ぶ二階の廊下に出た。さすがに暗いので、僕はズボンのポケットからペンライトを取り出す。

 彼女は、僕が漠然と思い描いたイメージを察してポーズを取り、演じてくれる。彼女は、とても気が利いて、器用な女の子だ。僕がめると、彼女は調子に乗って色々な振る舞いを見せてくれる。天井に張り付いてみたり、メイド服を着て写ってみたり、たまにドアップで写ってみたり。この日も、随分とはっちゃけてくれた。


「ふぅ。そろそろ、最後の一枚にしようかな」


 僕は、画面の中で微笑む彼女に呟いた。おどけた様子で振り返る彼女は、まるで本物のカノジョのようだ。


 僕は、廊下の最奥にある個室の扉を開けた。

 チリン。と、扉の上に付いた呼び鈴が鳴る。


 一脚の丸テーブルに、背の低い寝台ベッド絨毯じゅうたんは埃を被り、くすんでいる。タンスの上には、西洋人形が2体、並んで鎮座している。金髪の女の子と赤髪の女の子が、それぞれ水色とピンク色のドレスを纏っている。


「子供部屋、かな」


 僕は、ペンライトを片手にシャッターを押す。


 カチャン、トン。


 僕は、撮れた写真を確認する。


「──っ」


 そして、ギョッとする。


 写真に写っていたのは、彼女ではなく、ベッドに腰掛けた老婆ろうばであった。僕は、あわてて部屋に目を戻す。しかし、そこに老婆はいない。


「……?」


 僕は、再び画像を見る。ペンライトで照らされた老婆の相貌そうぼうは、骸骨がいこつ土気色つちけいろの皮を張り付けただけの不気味な顔立ちだった。ぼろ切れを羽織り、黒いステッキを抱きかかえ、猫背で居座る老婆の指は、西洋ドールを載せたタンスを指していた。


「……っ、あれ」


 僕は、部屋のタンスを見た。

 さっきまでそこにあったはずの西洋人形が、2体とも見当たらない。


「何だ……っ?」


 僕は急に不安になり、部屋の外に目をやった。いつの間にか、屋敷の中は随分と暗くなっている。吹き抜ける生暖かい風が、か細い音を鳴らす。気付けば、熊蝉の声も静まっている。代わりに、



 ドドドドドド……



 遠雷がとどろく。


「……夕立ゆうだち、かな」


 僕は、気味の悪い部屋を後にする。僕は、頼りない木肌きはだの廊下を踏みしめ、螺旋階段を目指す。

 どうせ雨宿りをするなら、出口が近い方が安心だ。


「……、それから」


 カチャン、トン、


 螺旋階段までの、暗がりの中。僕は、ペンライトの明かりを頼りにシャッターを切った。

兎にも角にも、彼女の存在を確認するためだった。


「──なっ、……」


 撮れた写真を見て、僕は足を止める。


 廊下の、ちょうど僕の目の前を写した写真に、真っ赤に濡れた西洋人形が立っていたのだ。そいつは、膝丈ほどの身長に不釣り合いなほど長い黒髪を垂らし、額の辺りから、滝のように血を流していた。


「……っ?」


 僕は戦慄して息を呑み、目を見開いた。頭の天辺てっぺんから背筋にかけて、寒気がりてくる。

 当然、僕の目の前に血濡れた西洋人形はいない。


「……」


 僕は、腹をくくって一歩を踏み出した。


 ──ドォオオオオオオオオン……、、、、!


 途端、僕の心を挫くような雷が、洋館の近くに落下した。白閃はくせんが採光窓を抜け、廊下を青白く照らす。


「……っ」


 僕は身を竦め、螺旋階段に目をやりつつ背中を壁に預ける。

 カタカタと震える膝を押さえながら、廊下の最奥を見やる。


「……やっぱり、誰もいない……よな……?」


 僕は譫言を呟きながら、デジカメを廊下の最奥に向ける。

そして、震える指でシャッターのボタンを押す。ほぼ同時に、雷撃が洋館の柱をビリリッ! と揺らした。閃光の中、僕は焦って連写する。


 カチャン、トン、

 カチャン、トン、

 カチャン、トン、

 イーッ、 ジジッ


 デジカメが動作不良を起こした。レンズのピントが合う前に、次の写真を撮ったからだろう。

 僕は一度デジカメの電源を切り、入れ直す。

 そして、撮れた写真を確認する。


「──っあ、」


 僕は、間抜けな声を漏らした。画面に写っていたのは、赤髪の西洋人形だった。白雷に照らされたそいつは、片手にシーツのようなもの引きずって廊下の真ん中に佇んでいた。だが、それがシーツでないことは、すぐに分かった。それは、彼女のワンピースに違いなかった。


「何で……っ」


 僕は、半ば反射的に次の写真を確認する。



 そこには、老婆と彼女が写っていた。杖を突いた老婆の足下に、血塗れた彼女が転がっていた。彼女の頭からは、黒髪の代わりに血が流れ、その死に顔は、人形の物とおぼしき金髪の鬘で覆い隠されていた。



「嫌だ……」


 僕は、腰を抜かしながら廊下の奥に目を向けた。ペンライトで照らすより先に、雷が廊下を照らす。

 座り込んだ僕の目の前には、あの老婆が立っていた。老婆は僕を見下ろすなり、杖を逆手に振り上げ、怯える僕の喉を一突きにした。




***




 僕が目を覚ましたのは、病院だった。

 何でも、僕は熱中症になり、林道で倒れていたらしい。僕を助けたのは、林道を通りがかったキャンパーだったと言う。


 母親からは、こっぴどく叱られた。──8月の猛暑日に、水も持たずに外出する馬鹿がいるか! ごもっともだった。


 病室での療養中。僕は、デジカメの記録を見た。あの日、洋館で撮った写真は、何もかも消えていた。代わりに、覚えのないデータが一つ、メモリに残っていた。


「……動画?」


 僕は、恐る恐るムービーを再生した。

 流れてきたのは、老婆の濁声だった。


『──……お前さんは、……少しばかり熱を入れすぎた』


 画面は、暗くてよく見えない。

 老婆の声だけが、再生される。


『──まぁ、多感な年頃の少年には、こくな話かも知れん』


「どう言う意味だよ……」


 僕は、震える声で反駁した。


『──調子に乗ると、あの手の怪異は霊威を増す。持ち主を取り込み、日常生活を侵蝕する』


「……?」


『──なまじ、悪意がないぶんタチが悪い。無邪気は無害に非ず。幽霊と付き合うなら、よくよく肝に銘じておけ』


「…………?」


『──今回は、これで勘弁してやる。……次は知らんぞ』


 ここで、動画は終了した。


 そして、


「っ!」

 かちゃん、とん。


デジカメのシャッターが、ひとりでに切られた。

音に合わせ、フラッシュもド派手に炸裂する。


「……何なんだよ、本当に……」


 僕は、思い切って撮られた画像を確認する。

 新しく増えた写真には、病室の隅に佇む、彼女が写っていた。

 彼女は、申し訳なさそうに下を向いていた。




***




 8月の末。

 僕は、愛用のデジカメを持って、洋館があった場所を訪れた。


「……」


 洋館があった場所は、想像通り、ただの空き地になっていた。

 僕はペットボトルの水を呷ると、デジカメを構え、シャッターボタンを押した。


 かちゃん、とん。


 ただの空き地を写した写真には、フリル付きの日傘を差した彼女が立っていた。流れるような黒髪と、純白のワンピースを風になびかせている。開けた背景には、青々たる大空と、立ち上る入道雲が見える。


「……、似合ってるよ。その傘」


 そう言って、僕はきびすを返した。











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