放浪稲

明鏡 をぼろ

稲の一生

 三河(みかわ)桐(きり)藤(ふじ)は何にも愛されない男であった。ペンを持たせても読者をそそるような言葉は一つも出てこない、針金のような腕では丸太はおろかチェーンソーも楽に扱えない、そんな文武ともに劣った男だった。しかし、もとはと言えばそんな彼が出来上がってしまったのはその性格に原因があるのだ。自己を他人とを比較することを好まず、ただ放浪しているかのようにその場その場を生きる彼の生き方はまさしく麦の畑にポツンと植え付けられ風に揺さぶられる稲のようであった。

 一体そんな彼がどうしてまともになろうと思い始めるだろうか、いやそんなことはなかった。身をゆだねることに何時までも慣れたものにいまさら骨を張る気力もそれを思い立つことも無いのである。

 桐藤は大学生であった。ファッションに送る気力などない彼に相手などおらず、女に好かれたことなど一度もなかった。毎日講義でのほほと聞き、適当にその日その日を過ごす彼である、顔の見栄えが良いはずがなかった。

 しかし一つだけ彼に尊敬の念を持つとすれば、それは彼のその才能だろう。認めがたいが天才というのは本当に存在するもので、彼はそのうちの一人だった。大した勉強をせずとも点数を取れる彼にとって努力は不要だったのである。しかしこれはかえって彼のその気質を助長することとなった。

 

 秋が過ぎ冬に至ろうとする頃のことである。桐藤はマスクにコート、下はロシア軍が身に着けていそうなほど分厚いズボンをはいて講堂にやって来た。しかしどういうわけか、彼がいつも定位置とする席に先客がいたのである。男は桐藤を見つけると手を振ったが、桐藤は構うことなく空いている席を目指した。例えその男が桐藤の友人であっても、彼はそうしただろう。桐藤がコートも脱がずに頭を腕の中に鎮めようとすると、あの男がやって来た。

「君だろ、三河ってのは」

「うん」

桐藤は最初答えない気でいたが、答えるという風にのるのも彼にとっては正解だったのである。

「なぁ、お前政治に興味は無いか」

「ないなぁ」

「ないってどうなんだよ、一階は考えたころあるだろ」

「いやぁ、無いよ」

「ほんとか?」

「うん」


男は最初困った様子であったが、その場を離れることなくさらにアプローチを仕掛けてきた。


「じゃあなんで君はこの学部に入ったんだ?」

「一番上にあったから……」

「おいマジかよ、ここ似るような奴らは全員政界入り目指してるような奴だぜ?」

「僕は普通の企業でらくに働けたらいいからな……」

「おいおい本気で言ってんのかお前。それじゃあ落ちたやつが可哀想だ。まぁいい、今日の放課後カフェに来てくれ。そこで待ってる」

「あ、あぁ」


面倒だな、桐藤は思った。


カフェには既に人が大勢いて、あの男を見つけ出すのには少し苦労した。もう帰ろうかな、と諦めたところでおぉいと声がかかり合流した次第である。

「何で呼んだかわかるか」

「いや、全く」

「だよなお前はそういうやつだもんな。わかった、まずは自己紹介だ。俺の名前は一(いち)谷(たに)明秀(あきひで)というという。パッとと来るか」

「うんにゃ」

「現在の官房長官と同じ苗字だ」

「そうだな」

「お前なぁ、あのな、俺は官房長官の息子なんだよ」

「へぇ」

「まぁいい、俺もあまりこれは言いたくないんだ。でだな、大切ななのはこっからで、俺は官房長官のポストを狙ってるわけよ」

「ふぅん」

「で、俺はお前に担当してほしいポストがあるわけだ」

「うん」

「お前には、総理大臣になって欲しい」

「断りたい。僕は楽なのがいいんだ」

「あのな、お前ほど最適なポストはいないんだぞ。お前のためのような職業じゃないか。それに俺もサポートする。だから、お前には俺を官房長官に任命してほしい。大丈夫だ、俺とお前の親父で最大限にバックアップして一番楽に総理大臣になれるようにしてやるよ。な、これ以上ないうまい話だぞ」

「いや、興味ないかな」

「お前なんて何に対しても興味ないだろ。じゃあなんだってや手もいいじゃないか。大丈夫だ、お前にとっちゃ総理大臣は簡単で楽な仕事さ」

「うーん、こういう話はこうもっと、段階を付けて……」

「うん、そりゃもっともな話だ。分かった、ついて来い」


桐藤でもわかるほどの高級車が到着したとき、いよいよまずいかもしれないという疑念が彼の中で沸騰した。このままだととんでもないところに連れていかれるかもしれない。しかし桐藤の中で培われた放浪精神は、こんなもので敗れる者ではなかった。そうして彼は、官房長官の御家に呼ばれご馳走になって図うような話し合いを経てもまだなおのほほとしていたのである。


人生とは短いもので、一日は目まぐるしく過ぎていった。それは桐藤が総理としての勉強に明け暮れていたからであり、早カフェでの会話から三年が過ぎていた。


「三河、次はついに国会への道だ。大丈夫、俺の親父の力があれば何とかなる」

「あぁ、そうかな」

「うん、そうだ。だからお前は、真っすぐ俺たちが言った通りにやればいい」

「うん、わかった」


 強い風に当たりすぎた稲は今実をつけ立派に成熟していた。その気質こそ変わらないが、中身にはこの三年間で蓄えられた知恵と知識がしっかりと蓄えられていたのである。

桐藤には、総理大臣になるための準備が出そろっていた。


「どうして総理大臣になったのですか?総理、答え下さい」

「その質問に関しましてすでに説明されたものであり、又今回の議題には関係ない質問です。お控えください」

「長官じゃなくて総理が話してくださいよ!納得いきません」

「そうだ!その通りだ!」


こんなやり取りを何回くりかえしただろうか。


あれから二十年がたった。総理への道は長いものであったが、それでも歴史で見れば十分短いルートだった。

しかし、既に三河内閣への支持には低迷の兆しが見て取れた。

『総理、国会での応答回数未だ一桁』

『政策、官僚のみで決められたか』

『相次ぐ諸外国からの不信任』


ただの赤新聞だと一谷官房長官は言ったが、桐藤はそれらを気にしていた。


今頃になってようやく生まれてしまったのだ!それは桐藤の中での革命であった。彼の心には、やっと向上心という一つの指針が芽生えたのである。それはこの総理を目指してから今までの苦節二十三年の賜物であった。今や稲はその身をぴんと張り立ち上がろうとしている。しかし、風があまりにも強すぎる。

「なぁ、一谷、私はどうすればいい」

「いいか桐藤。昔も今も同じだ。ただ黙って俺たちの支持通りにすればいい。野党なんて所詮烏合の衆だ。愚痴しか言えぬ立場ものだ。いいな」

「だ、だが支持率は下がる一方で……」

「気にするな。いいな」

「あ、あぁ」


桐藤はドサッとソファにもたれ込んだ。


バタンと総理事務室の扉が開かれた。扉の前には官房長官とその他数人の大臣がいる。

「総理、もうあなたは年貢の納め時だ」

「え、ちょっと待ったどういうことだ」

「もう無理なんだよ、誰もあんたを支持していない」

「え、だってお前はそんなの気にするなって」

「あぁ、もう終わりだからな。あんなの気にしたところであんたに出来ることもできない。あんたは根本から間違ってたんだよ」

「根本って、何が?」

「やっとまともに口を利けるようになったな。だがな、お前の根はずっと前から変わっちゃいない。その堕落した神経は改善されていない」

「いや、私は変わったぞ!向上心を何よりも感じている。お前もわかるだろ?」

「あぁ、感じるとも。でもな、やっぱり遅すぎたんだよ。三河内閣は今日で解散だ。そう言え」

「いや、いや私はこれから頑張るぞ。まだいけるぞ私なら!!」

「おい、捕まえろ」

「やめろ、私は総理だぞ!この国のトップだぞ!」


『三河内閣解散、国民諸外国共に安堵の声』


「さて、一谷内閣の支持率は驚異の63・2%となっております。いやぁ、素晴らしいですね川越教授」

「いやぁ全く、彼はやってくれましたよ。あんなに落ちぶれていた政界を立て直してくれたのだから、流石元一谷官房長官のご子息。前の内閣は、ええと、名前はなんでしたっけ?」

どっと笑い盛り上がるコメンテーター達。

『まさにV字、一谷の改進止まらず』

『GDP遂に上がるれるか』

『元政府関係者が三河桐藤知能障害説を話す!』


今、一人の悪役がいるとき、それは何によって悪役と判断されるのだろうか。誰も真実など知りえない。誰も助けてくれない。


『トラックと衝突、父母助からず。息子の脳に後遺症』


「僕の人生、こんなの嫌だ……嫌だ嫌なんだ!」


「どうせ、僕は悲劇の主人公です。総理大臣は、上げて落とすための道具にすぎないんです」


今、一本の稲が枯れようとしている。枯れた稲がも同ことは二度とない。それでも、稲は枯れる苦しみよりも早く死ぬことを選んだのである。



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