怪異拾遺

三遊亭楽天

第1話 銀兵衛先生の怪談

 中学の国語の先生に銀兵衛さんという先生がいた。

 銀兵衛というのは自ら名乗っている渾名で、本名は全く違ったが、同僚の先生方からも「銀兵衛さん」と呼ばれていた。

 本人曰く、「横浜銀蠅」から取ってつけたそうである。

 とても型破りな先生で、退職される日に体育館のステージに上がり、生徒が静まるまでずっと微笑んで立っていて、静かになったら一言、

「じゃあな」

と言って、体育館の真ん中をスタスタと歩き、途中で女子生徒の一人に愛用の猫のバッヂを渡して去って行った。

 とても粋な先生であった。


 銀兵衛さんは授業中にたまに怖い話を聞かせてくれた。

 その話術は巧みで、マジで怖かった。


 あれからもう30年以上の時が経っているというのもあり、細部は忘れてしまっているが、先生が話してくれた怖い話をひとつ、載せてみたいと思う。




 銀兵衛さんはその日も大好きな酒を召し上がっていた。

 いい心持ちで家路につく。

 通い馴れた道、乗り馴れた電車。いつもと同じだった。


 銀兵衛さんがふと吊り革に目をやったのは、偶然だっただろう。

 酔った目でぼんやりと吊り革を眺めていると、不思議な事に気付いた。

 他の吊り革は、電車の揺れに合わせて僅かながらに揺れている。

 しかし、三つだけ微動だにしない吊り革があるのだ。


 ……何だろう?と思ったが、すぐに気にせず視線を外した。目の前の窓を踏切りが横切っていく。


 御自宅の最寄りの駅で下りた。

 毎日歩いている道を歩く。


 ……あれ?


 なかなか家に辿り着かない。

 気付けば同じ場所に戻っていた。


 ……そんな馬鹿な。


 銀兵衛さんは、再び歩き始めた。


 また、見慣れた場所に戻って来る。


 おかしい。


 家に向かう。


 元の場所。


 堂々巡りである。


 ふと、先ほどみた三つの吊り革と、踏切りが頭を過ぎった。


 ……まさかな。


 何度目のトライだったか。

 銀兵衛さんは家に帰る事が出来た。

 疲れていたのですぐに眠りに落ちた。


 翌朝。

 銀兵衛さんは一階の居間でお茶を煎れ、調べたい資料を取りに二階の書斎に向かった。

 僅かな時間だった。

 お目当ての本を取って戻って来ると、コタツの上の茶碗が真っ二つに割れており、湯気の立つ茶が天板の上に広がっていた。


 銀兵衛さんは猫と暮らしているが、猫は茶碗を真っ二つには出来ないだろう。


 何なんだ、一体……。

 銀兵衛さんは不思議だと思いながらも、『まぁ、そういう事なんだろう』と納得した。怪異には馴れている。


 ふと、新聞の記事に目が吸い付けられた。


 そこには、あの踏切りで母子三人が死亡した事故について書かれていた。


「……この話な、聞いた人のところに順番に母子三人の亡霊がやってくるんだ。今夜は誰のところに来るのかな?」


 そう言って銀兵衛さんは笑った。

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